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天狗の傷薬

作者: 田中白亀

神様の傷薬



「いたいのいたいのとんでけー!」


苦笑が漏れた。

今時こんなことを本当に思っているのは子供だからだろうか。

それでも溢れ出ていた血は勢いが止んだ。

子供は一心不乱に繰り返す。ご丁寧に両手をとんでけー!の度に万歳のフリまでつけて。

子供の息が上がり軽く酸欠になる頃には傷は瘡蓋になっていた。


珍しい。


人が意思の強さで世界の事象に影響を及ぼしたのは昔話と呼ばれる時代の頃まで。

遥か昔からこの地に留まる私でもそれらを見たのは数度のみ、現代では我等の姿さえ見ることが出来るのは稀なのだ。


これは拾い物をしたものだ。

体を起こして擦り寄れば女の子はにぱぁと笑う。

特に尻尾が気に入ったのか抱え込み放さない。

残りの尻尾で体を挟むとくすぐったそうにしながらも暖かさからかだんだん瞼が落ちてくる。

すうすう寝る子を見つめる金の目が瞬くと、スラリとした和服の青年の姿をとった。


白い長い髪に瞳孔が縦の金の瞳、整いすぎたその容姿は人ならざる存在だ。

悠久の時を生きる我等は暇になると近隣と勝負をする。

たまたま隣のカラス天狗に仕掛けたが返り討ちに合った。さすがは空域を根城とするだけはある、空中戦でかまいたちを放たれ空間もろとも切り裂れ、神界から落ちてしまった。

目の前に正体を曝して空から落ちてきた私の血に驚いた子供はお母さんから習ったのと冒頭のとおり傷を治したのだった。


獣から妖に変化したものは神界を目指す。

永遠を望む者達には神界は垂涎の的だ。

光栄なことだろうよ。

一人頷いた神弧は寝た子を神界に連れ去り、さぞかし良い眷族になるだろと下っ端どもに放り込んだ。




下っ端と言えど神界に来れる妖弧に人間が敵うはずもない。

何もできない子供に、神使にすらなれぬ妖狐達は苛立ちを顕にする。


泣き虫!

なんで人間ごときが九炎様に連れて来られた!

役立たず!


泣きじゃくる子供に嫉妬も相成り更に当たり散らす、悪循環に陥った。

結果を出さない人間の子など、報告がなければ神弧はいつの間にか忘れ、

人化できない妖弧であろうと神界に来るものはなにかしら術を使えるが、幾年月が過ぎようとも小さな術しか使えぬ幼子をとうとう下っ端狐達は領域から追い出した。





神界で生まれ落ちた神使は妖に比べ気位が高い。

裏を反せば驕り高ぶる。

弱い個体は格好の的であった。


「襲っても誰も咎めなどしない」

「元々気に入らなかったのだ」

「いい気味だ」

幼子の抵抗は小さな光球、たった一つ。

小さな神弧達は笑いを噛み殺す。


「そうかなら私が貰っても構わないな」


他の気配などないこの場所に低く響き渡る声に慌てる。

突如膨大な神気を感じとると小さな神狐達は一斉に逃げ出した。





「毛色が違うと思いきや、お前人間か」

空から現れたのは見たことのない赤い髪に同色の鋭い瞳、動き易そうな修験者の姿。

童子は赤い目を擦りながら頷いた。

彼は天狗であった。

狐の狩りの習性という名目の襲撃に迷惑をかけられ苦情を神に陳情した帰り道。

神水の泉の畔で光るモノを見つけた。

小さなだけど清らかな光に目を奪われ、降りてみれば狐の幼子達が一人を組伏せている。

あの驕り高く戦闘狂の眷族にしては風変わり様程に思わず声をかけた。

残された幼子は神気も妖気の欠片もない。

だが、清らかな光と同じく素直な態度が気を引き、下を向く幼子から状況を聞き出した。


「ここの者共は獣臭い。人間界には戻してやれぬが、我等ならば幾ばくか人に近い。

ついてくるか?」


差し出された大きな手は綺麗な手の狐達とは違い固くマメのできた私の手によく似てた。

手を取り引き寄せられると、かの人の背中からは黒くて大きな翼が現れそのまま飛び立つ。

空から見下ろす辛くて苦しかったあの場所は広い大地の小さな小さな一部でしかなかった。






カラス天狗の領域は天空の一角を占める天領山にある。

神気が高い神弧には神以外に上から見下ろされるのは気に入らなかった。

今日も狩りを始めよう。

白き長い髪をなびかせ天狗の領域に降り立つと、その者の優美な九つの尻尾は巨大な炎となる。

莫大な神気に次々と当てられると天狗や大鴉達は正体を曝して倒れていった。


その中にたった一つの人形ひとがたに目につく。


「何故その子がここにおる」


そうだあれは我が領域で修業に励んでいるはずのモノだ。

掴もうと出した手をカマイタチが掠める。

飛んできた方向を見やれば、生意気なカラスが一羽。

因縁となる神気が同等な天狗。


「よくも我が眷族を盗んでくれたな。闘うならば分かるが、盗人とは天狗も地に落ちたらしい」

「この間落ちたのはお前だったはずだがな。」

「何を言いよる。その子は我が領域での修業中の身。ここにいるのが紛れもない証拠ではないか」

何も知らんのだな、と天狗は呟く。

「連れて来てから大部経つ。

居なくても気付かなかったのだろう。

お前の眷族どもが虐げ捨てたのを私が貰った。

修業とは連れ出した者が見守り行う責任よ。

何もしなかったお前に語る資格はない。

領域と同じく他人のものが欲しいのか?」


自分に相応しい物を狩猟することが横取りと称された神弧は怒り狂う。


天狗の前身はカラス。

人の営みは身近に知っていた。

狐のようにただ戯れに人を騙すことのみの関わりではない。

それが人に対する認識の差異であった。

人間は獣に比べ子の期間が長い。

独り立ちを促すために突き放す狐と幼子として育てた鴉。

やっかみはあったが幼子(雛)を虐める者はなく、恐る恐るながらも忌み嫌われる鴉に触れる幼子に下っ端大鴉達は興味を示す。

時おりキラキラと光る雛に大鴉達はデレた。

天狗も例外ではなかった。


神弧は意趣返しに並み居る大鴉どもを叩きのめすと、天狗が作ったカマイタチの次元の隙間に幼子を放り込む。

どうせ力も発揮できない半端者。

ならば要らぬ。


「八咫様!空良そらが!」

「騒ぐな」

大鴉達が悲鳴をあげる。

「ふん。神気は我の方が上ぞ。追える者が残ればいいがな」

そう言い捨てると巨大な焔の柱が建ち登る。が、その柱が切り裂かれ消え失せる。

カマイタチ、真空は焔から空気を遮断する。

慌てる神弧に天狗は冷静に追い詰めていく。

それは天狗の怒り。

大鴉達は見守ることしかできなかった。








ここはどこ?

ああ、あの赤い鳥井は見覚えがある。

そうだあの狐と会った場所だ。そして帰りたいと望んだ故郷!

キョロキョロと見渡すと、ふらふらと歩く女性が見える。

空良、空良と呟き子供を探す変わらぬ姿に声をあげた。

「お母さん!」

思わず駆け寄る。

しかし、女性は憔悴した顔を更に歪める。

「あなた誰。何を言ってるの」

「私だよ。空良だよ、お母さん」

「居なくなったあの子はまだ3才なのよ。質の悪い冗談は止めて!」

堰を切ったように泣き崩れた女性を前に立ち尽くす。


私は知らなかった。

人界と神界の時間の流れは異なる。

時を戻るすべはない。

あんなに帰りたいと願った故郷には既に居場所はない。


絶望に見開く目を覆ったのは優しい黒い羽根。

「泣くな」

その言葉で自分は涙を流していたことにも気付く。

その大きな手が体を包み込む。

天狗の姿に半狂乱になった母親が何かを叫んでいたが、忘却の術をかけられると静かに神社から去った。


神使である天狗と大空の二人きり。

丸い大きな月が天上に上がろうとも動くことはなかった。


やがて大きく息を吐き出すと天狗は言った。

「人間とは異なる力を宿したお前は逃がしてはやれぬ」

背くことなく合わせる赤い瞳はどこまでも真摯。

「戻さぬことを恨むか?」

よく見れば天狗は神弧との闘いのボロボロの姿のまま。

なのに天狗は私を気にかける。

左右に首を振る。

「お前も望むなら辛い事を忘れてもよいのだぞ」

天狗は誰よりも私に優しい。

記憶を消されてそれを忘れるのは嫌だった。

記憶は辛いだけじゃない。そう、この場所は初めて治癒の術を使ったのだ。

幼い記憶を基に天狗にかける。

みるみると傷が塞がり、驚きに目を見開く天狗に左右に首を振る。

「来てくれてありがとう」


何も言わず僅かに抱く力を強めると天狗は界を渡る。

暖かい腕。

悲しい時、辛く苦しい時、いつも優しく包む。

人間に生まれ神界という狭間の世界に辿り着いた私の戻れる場所はここだけだ。


彼の腕の中が私の唯一の居場所。










後に神界で天狗の傷薬と呼ばれる私の過去の話。






お読み頂きありがとうございました。

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