少年の光
『闇』での生活は想像以上に過酷なものだった。
来る日も来る日も厳しい訓練で身体を酷使し、気絶するように眠りに落ちる。そんな日々が一年以上続いた。
その後は本物の武器を使用し、様々な状況を想定した実戦形式の特訓。剣はもとより、弓や槍、何より暗殺に欠かせない暗器の扱い方を徹底的に叩き込まれた。
命の危険を感じたのも一度や二度ではなかった。
――俺は強くなる。強くなるんだ。
指導役の男に容赦なく蹴り飛ばされ、弱音が口から零れそうになる度、何度も自分に言い聞かせた。
そして一人の少女の姿を頭に思い浮かべた。そうすると、不思議と身体の底から気力が湧いてきた。
少女の名はライカ。
彼女に会うまでは、俺が最年少だと思っていた。こんな残酷で非道なところに子供などいるはずがない、と。
だけど彼女は俺より二つ下で、俺よりずっと前から『闇』で生きていた。
初めてライカに会ったのは、『闇』に来てまだ十日も経っていない日のことだった。
まずは体力をつけろと王都近くの平原を延々走らされ、その後も腕立てや腹筋などを陽が暮れるまでやらされた俺は、意識を朦朧とさせながら指導役の後ろについて歩いていた。
昼を過ぎたころから降り出した雨は、衰えることを知らず、陽が沈んでも止むことはなかった。
――早く眠りたい。
雨のせいで余計に体力を奪われていた身体は、睡眠を欲していた。いっそここで眠ってしまいたいと思うほどに。
頭に浮かんだ考えは抗い難い魅力を持っていたが、それを指導役が許してくれるはずもなく、俺はどうにか振り絞った気力で足を前へ前へと繰り出していた。
そんなときだった。
前を行く指導役が急に駆け出した。ばしゃんっ、と地面に溜まった水が跳ねる。
まだ訓練をする気なのかと絶望にも似た気持ちになったが、そうではなかった。
「こんなところで何をしている!?」
俺ではない誰かに指導役が怒鳴った。彼の背中が邪魔で誰がいるのかは分からなかった。
「訓練はどうした!」
豪雨の中、指導役の声はよく聞こえた。だが、対照的に見えない誰かの声は全く聞こえなかった。
俺は二人にゆっくり近づいた。本当は走りたかったが、残りわずかの体力では無理だった。
「自分が何をしたか分かっているのか!」
かっ、と空が真っ白になる。それと同時に指導役の背中から誰かが飛び出して地面に倒れ込んだ。彼がその誰かを殴ったのだ。
「次はない。分かったな」
地面に向かってそう吐き捨てると、指導役は振り返って俺を睨んだ。
「二人で四半刻以内に戻れ。出来なければ罰を下すからな」
返事を待たず、指導役は雨の中に消えていった。
俺はのろのろと身体を起こす人間の許に辿り着くと、その人物が自分と同じ子供だということに驚きながら手を差し出した。
仲間意識、というよりかは、罰を受けたくないという思いの方が強かったように思う。
だが――
「誰?」
張り付いた銀の髪を掻き上げながら顔を上げたのは、明らかに俺より歳下の少女だった。
驚くほど整った顔立ち。生気の宿らない暗く濁った銀の瞳が、彼女から可愛さを失わせていたが、それでも綺麗な服を着れば間違いなく貴族の令嬢として通用するだろう。
その方が、すり切れた服で泥まみれになっているより、ずっと彼女に相応しいと思った。
――何故、こんな子が『闇』に?
「家に戻る」
立ち上がった少女は、立ちすくむ俺の手を取って駆け出した。引っ張られるまま足を動かす。体力の限界で歩くのもやっとだったはずなのに、何故か走り続けることが出来た。
少女の手は小さくて、温かった。
彼女の疑問に答えていないことに、そして彼女の名前を知らないことに気付いたのは、『闇』の住み処に戻ってしばらく経ってからだった。
翌日、同部屋の年上の少年から彼女がライカという名だと聞いた。前の日に行方知れずになっていて、もう少しで脱走者と見なされるところだったことも。
俺はもう一度ライカに会いたいと思った。だが、二年前からいる彼女と俺では訓練内容が重なることもなく、たまに通路ですれ違うくらいで話す機会は皆無だった。
だから俺は彼女に追いつこうとした。どんなに辛い訓練にも耐えた。
三年後に初めて一緒に行動したときは、任務内容よりも彼女の傍にいることに緊張したように思う。
それから俺たちはよく行動を共にするようになった。
最初は口数も少なく表情も硬かったが、徐々に心を開いてくれた。信用はしても信頼は出来ない『闇』の中で、ライカとだけは信頼し合えた。
ライカのぎこちない、だけど作られたものではない本物の笑みを見る度、彼女は『闇』にいるべきではないと思った。誰よりも光の下にいるべきだと。
だが、彼女は決してそれを受け入れようとはしなかった――。
今、王都には『闇』を殲滅せよと王に命じられたローディスの騎士が散らばっている。見つからずに王都を出るのは不可能に近い。
『闇』の住み処から逃げる寸前、長の口から“何という裏切り”という言葉が零れるのが聞こえたが、あれはどういう意味だったのだろう。
いや、今はそんなことどうでもいい。どうにか逃げ道を見つけ出して、ここを脱出するのだ。
そして二人で新たな道を歩む。
光の下にある眩く輝く道を――