『闇』の少年
いつからだろう、光を望むようになったのは。
十歳のとき人を殺した。
俺の両親は、ヴァラファール大陸の西の国、バルドゥクで行商をしていた。村から村へ、町から町へ。家がある村に帰るのは冬の季節だけだった。
俺が幼いころは父親一人で行商に出ていた。
だが、そろそろ一緒に行ってもいいだろうということになり、俺が十歳になった日、三人で村を出た。
爽やかな風が鳥の声を運んでくる、眩しいほど晴れた日だった。
初めての旅、初めての村の外の世界。
見るもの全てが新鮮で、楽しくて仕方なかった。
どの町や村、里に着いても、皆が嬉しそうに寄って来てすぐに人だかりができた。
「よく来てくれたねえ、待ってたんだよ」
「前に持ってきてくれた薬、よく効いたよ。今日もあるかい?」
「いつもありがとうね」
皆に頼りにされている父親が誇らしくなった。
自分も父のような行商人になりたいと思った。
だが――旅は突然終わりを告げた。
「有り金全部と食料、それと女を置いていけ。そうすれば命は助けてやる」
茂みの中から出てきた男が、御者台に座っていた父親に剣を突き付けながら叫んだ。
清潔とは程遠い身なりの男。野盗と呼ばれる類の盗賊だった。
やたらと眼がぎらついていたことをよく覚えている。
父は要求を拒んだ。
逆らえばただでは済まないことは分かっていたはずだ。
だが、多くの人が待ち望んでいる荷を、何よりも妻を置いていくことなど出来るはずがなかったのだろう。
父は護身用に持っていた短剣を抜き、野盗と戦おうとした。
そして、あっけなく殺された。
俺と母は地面に倒れ伏した父に駆け寄った。
野盗は母の髪を掴んで無理矢理連れて行こうとしたが、母は必死に抵抗した。
全身で抗い、逃れようとした。
母を助けなければ。
俺は立ち上がって足を踏み出した。
そのとき、つま先に硬いものが当たった。
父の短剣。
自然と、まるでそうすることが当たり前かのように、俺は短剣を拾い上げた。
鈍い光を放つそれは、ずっしりと重かった。
母の悲鳴が聞こえ、はっと視線を上げると彼女の背中から剣先が飛び出ていた。
「ちっ、せっかくの上玉だったのによ」
悪態をつきながら野盗が母の身体から乱暴に剣を引き抜く。
とさりと崩れた母と眼が合った。
だが、彼女の瞳にはもう光は宿っていなかった。
怒りとか、憎しみとか、そう言った感情はなかったように思う。
ただ、そうしなければならないという強い思いが俺を突き動かした。
「しゃあねえ、手に入った金で町で女を買う――なっ!? うぐぅっ!」
助走をつけ跳躍すると、隙だらけの男の背中に全体重をかけて短剣を突き刺した。男が地面に膝をつくと短剣を抜き、もう一度刺す。
何度も何度も。
血で手が滑って短剣を落とすまで、ずっと刺し続けた。
それから自分がどうしたのかはよく覚えていない。
気が付くとベッドに寝ていて、傍には知らない白髪の男がいた。
森の中で血まみれで倒れていたのを助けたのだと、その男は言った。
「死んでいるのかと思ったが、お前はかすり傷一つ負っていなかった。あの血は誰の血だ?」
俺は正直に答えた。
兵士に突き出されるかもしれないと思ったが、どうでもよかった。
だが、男はそうしなかった。
ほう、と感心したように頷くと、一緒に来るかと訊いてきた。
――俺は、行くと答えた。
連れて行かれた先はローディスの王都だった。
俺が生まれる前に荒れたことがあったらしいが、その名残は見当たらず平和で栄えた国に見えた。
「今日からここがお前の家だ」
明らかに“普通”とは違う家。地下に広がる薄暗い空間が俺の新しい住み処になった。
いくつもある扉のうちの一つの前に案内され、寝る場所はここだと言われた。開けてみると質素なベッドが四つ向かい合わせで並んでいたが、人はいなかった。
「朝から日が暮れるまでは鍛錬してもらう。そのうち任務にも出てもらうことになるだろう」
ここに来るまでの間に説明は受けていたので驚くことはなかった。
非合法組織『闇』。
もしかすると、戸惑ったり躊躇ったり、あるいは拒否するのが一般的な反応だったのかもしれない。
だが、何故かそんな気持ちにならなかった。水を飲むようにすぅっと、白髪の男の話を受け入れられた。
きっとすでに人を殺していたからだろう。
親と過ごした、あの優しい日々には戻れなくとも未練はなかった。
何故なら、二人はいなくなってしまったから。
俺の中には間違いなく『闇』がある。
しかし、それに心まで支配されるつもりはなかった。
強く、誰よりも強くなったそのときには、再び光の中に自分の居場所を取り戻すと決めていた。
『闇』に取り込まれるなと、俺は心の中で何度も念じた。
その『闇』に魅了されるとも知らずに――。