導きの章 第四部 樹海のエルフ
旅の目的に「伝説の聖なる武器」を集めることが加わり速くも1つ目の武器のすぐ近くにまで到達することになったイチ達ですが、ことはそう簡単には行かないようです。帝国側の刺客、バイパーの魔の手が迫ります。果たしてイチ達はヴォルガノン達の追跡から逃れられるのでしょうか?アンダルシア地方に踏み出した旅の一行、いよいよ未知の世界へと旅立ちます。
「むむむ…さっきから魚は寄ってくるのにどうも調子が悪いなぁ」
ピクリとも動かない釣竿を見つめながら白金の髪の少女がそう言う。
「まぁ仕方ないよ、自然が相手だもの。エンドラーズとリリアが焚き火用の枝拾いから帰ってくるまでに釣れてれば良いんだけど…」
オニキスが空っぽのバケツを覗き込みながらそう言った。かれこれ一時間、食料調達係のイチとオニキスの釣果は未だゼロだ。
イチ達4人はアンソルギーの町からだいぶ離れたアンダルシアの西の端に来ていた。東へと内陸に進むにつれてどんどん人の生活の気配から遠ざかり、やがてうっそうと生い茂る森へと辿り着く。森の中に道があるはずもなく川沿いに車で上流へと遡るような形でここまで進んできたのだが、いよいよ川幅も狭くなりこれ以上の上流には車で行くことは不可能な状態である。先に進む良いアイデアも浮かばず、結局のところ今日はこの川岸に面した森の端で野宿することになったのである。目的地がそれほどはっきりしていないとは言え、要するに足止めをくらった形となった。既に日も傾き始めていたが、明日の予定はまだ決まっていなかった。
…そんな状況下で呑気にも釣りに勤しむ2人を林の影から監視する二つの緑色の目があった。
「人間に獣人…こんな辺境の地にいったい何の用事かしら」
林の影からイチとオニキスを見ていたのは一人の少女だった。精悍な顔つきをしており、瞳と肩まで位の真っ直ぐな髪の毛はライトグリーンで耳の上の方が尖っている。動きやすそうだか小奇麗で高そうな布地を使った服装、そして弓を片手に背中には矢の入った筒を背負っていた。
「てゆーか、あいつら何勝手に私達の土地で魚なんか釣ってるのよ。他の種族がこの土地にいるだけでも気に食わないのに…よし、ちょっと脅かしてさっさとここから立ち去ってもらおう」
そう言って、少女は背中の筒から矢を一本取り出した。それを手際よく弓に掛け狙いを視線の先の2人から少しだけ離れた地面に合わせながら弓を引く。風が一瞬やんだ瞬間、彼女は矢を射った。矢は迷い無くまっすぐと飛びイチのすぐ隣の地面に小石を跳ね上げながら突き刺さった。
「わわっ!??なんだなんだ??」
急に飛んできた物体にイチは驚いて飛び上がった。矢を射た少女の思惑通り、これで2人がここから立ち去ってくれると思いきや…
「てめぇっ、なんのつもりだこの野郎!!!」
小さいながらに気性の激しいオニキスが逃げるどころかいきなり少女に向かって飛び掛ってきたではないか!
「きゃあ!ちょっ…待っ…痛っ」
オニキスに懐に突っ込まれた少女は思わず地面に押し倒されてしまった。オニキスの鋭い爪が彼女の白くて綺麗な腕に食い込み激痛と出血が彼女を襲う。そこはさすが獣人、小さくても鋭い猛獣の眼に睨まれた少女には成すすべが無い。オニキスが少女の喉笛に牙を突き立てようとした…その時、
「待ってオニキス!乱暴はダメだよ!」
間一髪のところでイチが止めに入った。
「なにさイチ、こいつはあたい達を殺そうとしたんだよ?ここで甘やかしたらろくなことない」
「それは違うよオニキス、こんな近距離で矢を外す下手な弓手もそうはいないよ。…ね?そうなんでしょ?本当はちょっと驚かしてやろうとしただけなんだよね?」
イチがそう優しく少女に話しかけると、
「うう…ひっく…えっぐ…ひどいよぉ、私はただ縄張りで勝手に釣りをしていたあんた達を追い出そうとしただけなのにぃ…」
そう言って泣き出してしまった。よくよく見てみればオニキスとの格闘のせいで腕は血まみれ体は泥まみれ、それはもう酷いと言うか可愛そうなくらいの状態である。
「あーぁ…これは酷いや、まずは止血して消毒しないと。オニキス、悪いけど荷物の中から治療に使えそうな物を持ってきてくれる?」
「おいおい冗談でしょイチ?そんな奴を助ける義理なんてあたい達にはないし」
オニキスがそう断ると…
「…いいから、早く持ってきて頂戴」
普段は穏やかなイチが珍しく恐いくらいに強い口調と威圧的な態度で言い返した。
「うっ…わ、分かったよ。分かったからちょっと待ってよ」
オニキスは慌てて荷物の中から清潔なタオルやら包帯やら消毒液やらを探し出す。無理も無い、あんな恐いイチを見るのは初めてだったから。
「ありがとうオニキス。それじゃあ手当てするから動かないでね、えーと…」
「…ノエル。エルフ属のノエルよ」
落ち着きを取り戻した緑色の瞳の少女は座りなおしながらそう名乗った。
「えっ、ノエルってエルフなの?すごいやすごいや!ぼく、エルフを見るの初めてなんだ〜!ぼくはイチ、よろしくね」
「はぁ…まぁ、よろしく」
急にハイテンションになったイチにノエルは戸惑いを隠せないようだ。もちろん、イチが異種族であり弓で撃とうとした自分を助ける理由が理解できなかったこともあるが。とりあえず、イチが手際よく血まみれの腕を消毒して包帯を巻いてくれるのでノエルは黙って成り行きを見守ることにした。
「ちぇっ!なんだよ、面白くないの…」
なんだか急に蚊帳の外になってしまったような感じを受けたオニキスはその寂しさを紛らわすかのように再び釣りを始めた。皮肉なことにすぐに魚が針に食い付く様になり面白いように釣れたが、オニキスは何にも嬉しくなかった。
…水面に映った自分の顔を見て、なんだかちょっとだけ泣きそうな気分にすらなった。
《エルフと獣人と人間》
「へぇ、俺とリリアがいない間にそんなことがあったとは…」
エンドラーズが焼いた魚に噛り付きながらそう言う。
「あまり言いたくはないけど、我々エルフを含め様々な種族がどうゆう目で人間を見ているかは知ってるよね?まぁ…あなた達は私達にとっては良い人の集まりみたいだけど」
ノエルがちょっと複雑そうな表情で言った。
ノエルがこの人間達と出会ってから数時間、まさかこれほどまでに仲良く話せるようになるとは彼女自身が一番驚いているのかも知れない。オニキスの釣った魚と本当は果実摘みに森に来ていたノエルが持っていたブルーベリーやキイチゴも加わって総勢5人の夕食は会話もはずんで豪華なものになっていた。
「こいつらは根っからのお人好しだよ、あたいが断言するね」
オニキスがちょっと皮肉を込めて言う。
「えー、オニキスだって人のことは言えないでしょ?今までだってぼくのことを何度も助けてくれた」
イチが屈託の無い笑顔でオニキスに言った。
「そっ、それはイチには牢屋から出してもらった借りがあるし…べ、別に人間が好きなわけじゃないんだからな」
オニキスは照れくさくて顔を真っ赤にしながら恥ずかしそうにそっぽを向くが、内心はきっと嬉しかったに違いない。それは遠まわしに昼間のことをイチが正当化してくれたことを意味するからだ。
「異種族間でこれだけ話し合える機会もそうそうないわよね。もっとも、今は人間と話すことなんて危険すぎてお尋ね者の私達にはできないけれど」
リリアがそう苦笑いする。
「だいたいの話はイチから聞いたよ。あのナタリア帝国を敵に回すなんて…流れとは言え正気の沙汰とは思えないよ」
「うんうん、全くその通りだ。あたいがいなかったら今頃みんな死んでるね、うん」
ノエルにオニキスが深く頷きながら賛同した。
「まぁ、強ち間違いじゃないけどさ、そいつはちょっと大げさだぜオニキス。…ところでノエルだっけ?ちょっと聞きたいことがあるんだけどこの場所を知らないか?」
そう言いながらエンドラーズが聖なる武器の在り処を示した地図のこの辺りに最も近いと思われる場所の星印を指差しながらノエルに見せる。
「あー…知っていることには知っているけどやめた方が良いよ、この場所には私達でも絶対に近付かないの」
「え、どうして??」
イチがノエルにそう尋ねる。
「昔からその場所には魔物が住むと言われているの。詳しいことは私にも分からないけど、何でも数百年も生きている吸血鬼の類が古い城の跡に住み着いているらしいよ。確かに、宝物とかがあるみたいなことは聞いたことあるわ」
ノエルがそう答えた。
「吸血鬼ねぇ、そう言えば小さい頃に昔話で聞いたことあるかも…森の奥深くに住む蚊の妖精のお話」
「蚊の妖精?なんかあんまりパッとしないな…」
リリアの昔話の内容にエンドラーズが少し苦笑いする。
「そうそう、話は変わるけど明日にでも私達の村に来ない?確かに私達は人間とか獣人は嫌いだけど…色々と世話になった恩人にはそれなりの感謝を示すのもまた私達の流儀。もともと私が蒔いた種でこうなちゃったわけだし、村長様は穏健派だからきっと大丈夫なはず。村長様に聞けばあなた達の探している物の情報も手に入るかもよ」
ノエルがそう提案してくれたので、
「エルフのみんなってどんな暮らししているのかな〜??ご馳走も出たりする?」
イチが嬉しそうにはしゃぐ。
「あのさ、あくまでもけっして仲良くない種族同士なんだからもう少しその軽い考え方は改めた方が良いんじゃないかとあたいは思うんだけど」
オニキスがそう釘を刺す。
「まぁまぁ、ノエルが誘ってくれてるんだから良いじゃないか。ダメだったらダメでそれは立ち去れば良い話なんだし、俺は賛成だぜ」
「そうそう、少なくとも帝国関係者に見つからないだけありがたいと思うよ」
エンドラーズとリリアがそう言った。どうやらエンドラーズとリリアにとって歓迎されるか否かはあまり関係無いらしい。
「うう…ま、イチがそれを望むならあたいはそれに着いていくまでだよ」
ノエルと仲良く話すイチを横目で見ながらオニキスが怪訝な表情で言う。
結局、明日にエルフの村に行くことが決まってから5人は特に堅苦しいことは抜きに他愛も無い話を夜が更けるまで楽しんだ。しかし、終始オニキスの表情は複雑そうであった。それは警戒心の薄いイチ達への不信感と言うよりは、これほどまでに誰とでも心を通わせてしまう彼女達の心の広さへの不思議さを忌み嫌われる獣人としての立場から感じていたのかも知れない。
《森の奥の古城》
「ふーん…で、要するにこの連中を生け捕りにして差し出せと。お前はそう言いたいわけ?」
黒と白の斑のコントラストを持った長い髪の毛を右手で撫でながら、左手に持った数枚の写真を見てその女は言った。
「ずいぶんと物分かりが良い様だなアノフェレス」
黒髪短髪で金色の瞳を持つ男がそう薄笑いを浮かべる。
ここはアンダルシアの西の端、とある深い森の奥の古城。壊れた壁から差す月明かりの下で何やら話す2人の人影があった。親しいもの同士の会話ではなく、初対面の者同士の商談のようなどこか腹の探りあいのような雰囲気が漂っていた。
「別にまだ承諾したわけじゃないんだけど。こんなことをして何の得が私にあると言うのバイパー?」
アノフェレスが怪訝そうに聞く。
「そうだなぁ、エルフの土地をくれてやるよ。お前がエルフ嫌いなのは知っている、何せもともとあそこもお前の土地だったからな。この件が成功した暁にはエルフを一人残らずお前の土地から消してやる」
「へぇ、ずいぶんと自身あり気なのねバイパー。人間の割には度胸があるじゃない。…いいでしょう、その代わりもし約束を破ったらあんたの血を全て抜き取るつもりだからお忘れなく」
バイパーの提案にアノフェレスは不気味な笑みを浮かべながら首を小さく縦に振った。
「ああ、ちゃんと覚えておくよ。…生憎だが俺はもう人間とは決別したからな、あの薄汚い獣のような嘘はつかん」
交渉の最後にバイパーはそう意味深な言葉で返答した。
…イチ達の知らないところで魔の手が確実に迫っていた。
まるで見えない暗闇を音もなく近付く蚊のように…。
影を覗かせる新たなる刺客の恐怖、その姿は次回明らかになるでしょう。この旅を通して人間と異種族との関係も少しずつ明らかになっていきます。イチが垣間見るのは果たして人間のエゴだけなのかそれとも…?これから先、世界が抱える様々な「負の部分」が彼女達を翻弄していくことになるでしょう。それに対してどう立ち向かうのか…今後の展開もお楽しみに。