導きの章 第三部 斬れない柵
これまでイチ達が旅してきたのは大陸の西端の方でしたが、いよいよ本格的に東へと旅の進路を意識し始めます。それぞれ異なった目標を胸に秘めながらも、協力し合う4人の旅路はこれからが本番です。
「…今日は随分と激しかったですね姉さん。あ、久しぶりで欲求不満なんですか?」
「ば、バカ野郎…仮にも夫婦でそんな会話があるかカエサル。てゆーか、何回も言うようだけどもうとっくに夫婦なんだからいい加減その呼び方やめろよ」
ここはインベリス郊外、真夜中のロゼリアーヌ邸。ベッドの上で裸のカエサルとロゼリアーヌは性交渉の後の心地よい倦怠感の余韻に浸っていた。
「ところで姉さん、こないだプレゼントしたペンダントどうしてます?」
「ん?ああ、あの赤い首飾りのことか。あれならちゃんと持ってるよ、仕事中はしてないけどね」
「そうですか。…明日からまた家を空けるそうですね?」
「悪いが今回は大きな山でな、西方で人探しに協力せにゃあかん。だから少々帰ってこれそうにない。とりあえずサジは一緒に連れて行く予定だから心配するな。…すまんな、こんな夫をほったらかしにするような妻で…」
「良いんですよ、姉さんのことは何かとよく分かっていますから。僕はいつも通り事務の仕事をしながら姉さんの帰りを待ちますよ」
「ああ…できる限り早く帰れるように努力するよ」
そう言って二人は優しく抱き合う。カエサルの優しい言葉がロゼリアーヌの心の葛藤を揺さぶった…。
《アンソルギーの町》
「おお〜、やっぱり素材が違うと重さも全然違うや。これならもう少し切り返しも素早くできそう」
そう言いながら、鞘に収まったままの細身の剣を軽く素振りする白金の髪の少女とその仲間達が通りを歩いていた。
「コラコラ、いくら鞘に収まっているとは言え振り回しちゃダメでしょイチ」
リリアがそうイチに言う。
「えへへ…ごめんごめん、あまりにもフィットするものだからつい」
イチは舌をちょっと出しておどけてみた。
一行はアンソルギーの町にいた。比較的大きな町で人もたくさんいるが、自治が強く帝国の影響が少ないのでお尋ね者の4人には最適な場所でもある。今は午後の買い物時の商店街の人ごみに紛れながら、今日の宿を探している最中だ。午前中に立ち寄った武器屋でイチは特殊金属で加工された細身で軽い剣をリリアに買ってもらって上機嫌の様子。
「それにしても、どうして銅の剣を置いてこなかったのさ?店主は引き取ってやるって言ってたのに」
エンドラーズは刃毀れした上に曲がって歪んだ銅剣を未だに大事に抱えているイチを少し不思議に思ったのか、そう彼女に尋ねる。
「ああ、これね…これは僕にとってお守りみたいなものだからね、『大事なことを忘れないためのもの』って感じかな」
イチはあえて『幼馴染がくれたもの』とは言わなかった。それが意図的な表現だったのか、あるいはただの気紛れなのかは分からない。
「まぁいいんじゃないの?信じるものは人それぞれだし」
そう言うオニキス、どうやら彼女とって他人の信仰心は興味の外のようだ。
「さぁさぁ、遊んでいる暇は無いわよ。これから向かうのはあのアンダルシア地方なんだから、必要なものはできる限り買っておかないとね」
リリアがそう言う。アンダルシアとは大陸の中央の広範囲の地域を指す。いちおうナタリア帝国領ではあるが、内陸ゆえに自然環境が厳しく人があまり住んでいないため未知の部分も多い。昔から『神々の住む場所がある』とか『理想郷が存在する』とか色々と神話紛いの言い伝えの残る場所である。しかし実際にエルフやドワーフ、そして獣人など人間以外の文明を持った者達のお多くが現在まで暮らしていると言われている。イチ達のようなお尋ね者にしてみれば村や町の集中する海辺沿いを進むよりもアンダルシアを突っ切った方が好都合ではある。そして何よりも、彼女達が探すことにした武器の在り処がこのアンダルシア地方に集中しているのである。
「地図上で武器の在り処を見ると…一番近いのはアンダルシアの西の端だな。確かエルフの村があるとかどっかで聞いたな…ここからはそう遠くないよ」
エンドラーズが地図の印を見ながらそう言った。
「エルフかぁ…物語でしか聞いたこと無いけど一回会ってみたかったんだよね!」
「やめときなよイチ、連中は見た目は格好良いけどプライドが高くて気難しいんだ。あたい達のような獣人は野蛮呼ばわりされていて仲が悪いし」
イチの台詞にそうオニキスが指摘する。
「へぇ〜、そうなんだ…余計に会ってみたくなったよ」
どうやら好奇心旺盛なイチにオニキスの静止を促す言葉は逆効果だったようだ。
「はぁ、相変わらず呑気ねイチは。ま、細かいことはその時に考えるべきなのかもね」
リリアがため息を吐きながらそう言う。
とりあえず、当分の目的は決まった4人ではあったが…この後何を買うべきか相当悩んで苦労したことは言うまでもないだろう。
《意外…イチの鍛錬》
…ヒュッ!ヒュッ!
「…んん…何よこんな真夜中に…」
草木も眠る丑三つ時、不自然な風切音にリリアは目を覚ます。リリア達はアンソルギーの町の片隅にある一軒の民宿に泊まっていた。和風の平屋造りで、その音はリリアのいる個室に面した中庭から聞こえてくる。気になったリリアが寝巻きのまま中庭に出てみると、見覚えのある白金色の髪をした少女が細身の剣で何やら空を切っている。剣の鍛錬のつもりなのだろうか、その機敏で身軽な剣捌きはまるで見えない相手を翻弄するかのように見事なものであった。
「やぁリリア、起こしちゃったんだったらゴメンね。この剣、軽くて使いやすいんだけど脆いから切り込む角度が難しくて…」
そう言いながらイチは剣を鞘に収める。どのくらいの時間を鍛錬に費やしたのだろうか、イチはかなりの量の汗を掻いているように見えた。それでもリリアを見つめるその顔はいつも通りの笑顔だ。
「え、あ…もしかしてイチって剣の道の人なの?」
「はは、まさか。ぼくにとってこれは護身用のちょっとした趣味だよ。他にも弓矢とか吹き矢とかライフルとか…要するにだいたいの武器とかその類の道具は使えるよ。村にいた頃は狩猟とかもしていたからね」
リリアの質問にイチはそう答える。意外かもしれないが、どうやらイチはリリアの想像以上に才色兼備な人物のようだ。このことをエンドラーズやオニキスが知ったらきっとリリアと同じように驚くことだろう。
「あぁ…そ、そうなんだ。運動神経が良さそうなのは分かってたけど、それだけ剣を扱いこなせてればグルスを倒したってのも嘘じゃあないか」
リリアは心底イチの剣捌きに感心しているようだった。
「ねぇねぇリリア、アンダルシアってどんな所なの?」
「私も行ったことはないから詳しくは知らないよ。そうねぇ…言ってみれば未知の世界ってところかな。最近は色々と異常現象が起きて大変だって風の噂で耳にしたことはあるけど」
イチの問いにリリアが答えると、イチがさらにこんな質問をする。
「それじゃあ、アンダルシアの次にはどこに行くの?」
「そんなのまだ決めちゃあいないよ。…少なくとも、私の目的は国を滅ぼした連中に復讐することだから…」
リリアは拳を硬く握り締めながらそう答えた。
「そっか…それも立派な目的なのかも知れないね」
イチはそうとだけ言うと、タオルで顔の汗を拭う。それから剣を持って自分の部屋に戻り際、一言振り向くこともなくこうリリアに言った。
「復讐なんてやめた方が良いよリリア。そんなことしたって後には何も残らない。…例えどんな名刀でも柵や過去まで切り捨てることはできないんだよ」
そう言い残してイチは足早に自分の部屋へと戻っていった。
「イチ…」
リリアは何も言い返せなかった。
その夜、リリアは眠ることが出来なかった。あの時、振り向くことすらしなかったイチの表情や心情はどんなものだったのだろうか?彼女は自分に何を伝えたかったのだろうか?そればかりがリリアの頭に浮かんだ。
「柵や過去まで切り捨てることはできない」
あの言葉…果たしてどんな意味を持っているのか、それはイチにしか分からないのかも知れない。
物語り全体の複雑な人間関係や思惑が見え隠れするようになってきました。これから旅を進める中で新しい人物との出会いやイチ達の成長があると思います。まだまだ序盤ではありますが、長い目でこの物語を見守ってくだされば作者としても幸いでございます。