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第九話 捕縛

 このオスの個体名だけは、カーウィンも記憶せざるを得なかった。

 ミス・ジェニファー・アンダーソンと交際しているから、だけではない。

 複数の情報から、心因性か内因性か、おそらくは内因性であろう一種の精神疾患が報告されている。最近、といっても五年前の資料によれば、強度の人格の崩壊はまだ見られず、加えて境界性人格障害の可能性も否定できない。

 しかし今し方の短い発声から見たところ、分裂病特有の崩壊は既に始まっている。

 『勇者』または『英雄』の資質として申し分ない。

 有象無象に埋没する素地では、決して英雄になれないのは、誰もが知る事実だ。歴史的に見て、一介の犯罪者として終わるか、英雄となって歴史に名を残すかは、今後も含め殺害した数と、用いる手段の独創性に左右されるのであって、現時点でどちらに転ぶかは断言はできない。

 いずれにせよ、野放しにしておいて良いオスではない。ただでさえ複数の妄想を併せ持ち、感情の不安定さもあり周囲に被害を撒き散らしている。個体削減程度なら見逃しようもしようが、これの妄想構築の様相からすると、誰も無事には済まない危険がある。

 本人に病識は一切伺えず、全面的に否定しているのが、事態をさらに複雑にさせる。病気だと自覚があれば、説得で思い留まらせる事もできよう。しかし被害・注察妄想から、無理矢理病人に仕立てようとしているのだと信じ込み、耳を傾けまいとする抵抗にぶつかる可能性がある。

 まず、病院・警察関係に報告し、保護させるのが第一歩だろう。だがそのための問題として、正式な医師免許を持っている訳ではない事、それの主治医でない事が上げられる。病院や警察関係を説得しようにも、真面目に取り扱ってもらえまい。正式な機関が役立たずだからと、判審員・裁判官・処刑人の三つを、同時にこなす趣味もない。

 患者をいかに無事に保護すべきか思案するカーウィンに、問題のオスが示した反応は正反対だった。

 カーウィンを目の当たりにしたオスは、最初の一時だけ呆然としていたものの、次には剥き出しの敵意を見せた。右手を背中に回したかと思いきや、目にも止まらぬ素早さで、銃口が目の前に突き付けられる。

 「イムグリオ……イスト……!」

 一瞥で正体を知られ、カーウィンは内心驚いた。

 名前を知られているだけなら驚きはしない。知能的には平均未満の個体に、自身の日常生活に関わる以外の個体の顔を、覚えていられる事への驚きだ。

 「……とうとう……おやだまのおでましか……。……てしたどもをころされたの、よっぽどきいたらしいな……」

 上擦った声音が地なのか興奮のためなのか、初対面の同属から読み取るのは難しい。しかし自分のこれまでの犯行を自白する内容に、カーウィンは形の良い眉をわずかにしかめた。

 このオスが何体殺害してきたのか、知る由はない。『手下』呼ばわりされたヒト属にも、心当たりがない。

 「何の話かな、手下とは?」

 思わず尋ね返したカーウィンに、オスは勝ち誇った笑みを湛え、鼻を鳴らした。

 「ふん。とぼけるひつようなんざねぇ。てめぇがうらでなにをやってきたか、しらねぇとはいわせねぇぞ!」

 目の前の銃口に嫌悪感を覚え、カーウィンは指先で銃口の向きを変えた。変えた後で、手袋が汚物に触れたかのように、慎重に脱ぎ始める。

 「何の話か、ちゃんと説明してもらいたい」

 心当たりなら幾らでもある。ヒト属絶滅の尽力から趣味の解剖まで、過去の経歴を数えればきりがない。

 逃げ道がないと確信しているからだろう、銃口の向きを変えられても激昂せず、オスは銃をカーウィンに向け直した。

 「きまってるじゃねぇか。てめぇのからだからプンプンあくとうのにおいがしやがる。ほかのれんちゅうはごまかせてもなぁ、オレのはなはごまかせねぇんだ。てめぇがすじがねいりのあくとぉだってぇりゆうにゃあ、じゅうぶんじゃねぇか」

 オスの返答は、筋道の通らない内容だった。

 精神の持病からすれば、不思議な反応ではない。感情的・非論理的な言動に走り易く、口数は多くても内容は空回りし、会話も本来の筋から逸脱してしまう傾向にあるのが、感情病の特徴の一つだ。中には観念連合が弛緩した余り、まともな会話のできなくなる患者もいると言う。それと較べれば、オスの症状はまだ軽微な方だ。

 だからと言って、放っておいて良い状態ではない。

 被害者が悪戯に増えるのを防ぐためにも、また、どこかの妄想患者が、この個体を『勇者』と祭り上げる前に、専門家に診断してもらうべきだろう。

 『勇者』の名乗りを上げ、表立った行動を起こそうものなら、下手をすれば市民戦争にまで発展しかねない。これまでも何十人・何百人もの妄想患者が『勇者』を名乗り、内乱・戦争の引き金を引いたかは、歴史を振り返ればいくらでも列挙できる。

 問題は、どうやって病気を認識させ、専門家の治療を受けさせるか、だ。ミス・ジェニファー・アンダーソンの心身の安全のためにも、それとは切り離すべきだ。彼女はすでに感応し、理性的な判断力を失いかけている。

 「僕が悪党だから? そう主張する根拠、聞かせてもらいたいな。そして僕が本当にただの悪党なら、どうして僕と関係ない他の……人……を、『異端審問』の手段で殺戮している?」

 まともな場所でなら、面と向かい合ってもらえる立場でないにも関わらず、オスは露骨に侮蔑の鼻息を吐いた。

 「ふん……。そんなちゃちないいわけで、このオレをけむにまけるとでもおもってんのか、バカやろぉ」

 オスの言葉は耳に入っても、言語そのものを聞き取るのは困難で、内容を理解するのは無理だった。論理的に前後の関係が掴めない。

 「答えになっていない。理屈が通じるように、関係を説明してくれないかな?」

 それの病状からすれば、無理な相談なのは理解している。だからと、相手にせずに無視する訳にはいかない。病状を認識させなくては、治療も何もあったものではない。

 途端、オスは顔全体を朱に染め、銃を持つ手が閃光の如くに翻らせ、カーウィンの左頬を殴り飛ばしていた。

 硬い物が頬に激突した感触に、カーウィンの目の前が束の間暗くなった。殴られたのだとの認識が意識に到達すると共に、焼け付く痛みが顔全体に広がり、鉄の臭いが鼻孔の奥に充満する。

 「バカにするんじゃねぇ! ここまでせつめぇしてわからねぇバカに、もっとかんたんなせつめぇなんざあるわけねぇだろうが! そんなバカに、バカにされるすじあいなんざねぇ! ぶっ殺すぞ!」

 前半分の反応は、自分が何を理解できていないのか理解していない、良識人を名乗るヒト属によく見られるものだ。最後の部分は、知識人を誇示したい無学なヒト属の反応。殴りつけたのは、暴力での抑圧が知識人と思い込む、思考力の乏しいヒト属に見られる態度だ。

 鼻血の滴り落ちる顔をハンカチで抑えながら、暴力で自身の正当性を誇示できると信じる無学なオスを、カーウィンは他人事のように観察した。

 オスの反応から、自分の生命が危険に晒されていると、自覚できない訳ではない。夜が明ける前に生きていられる可能性は低いだろうし、遺体が発見される危険を、背後のオスが冒すとは考えにくい。

 できるなら理知的な話し合いで、ミス・アンダーソンをこのオスから引き離したかったのだが、どうもそれは無理なようだ。

 そもそも、『理知的』というのが笑い話そのものの単語ではないか。

 自身の思考に、カーウィンは血だらけの顔で、思わず含み笑いを漏らした。

 ヒト属が知性的だというのは、所詮は傲岸不遜な幻覚でしかない。一体何を取って、知性的・理性的だと主張するのか、その根拠が明確でない。『万物の霊長』と自称するのと程度は同じだ。他の生物を侮蔑するつもりはないが、ヒト属の行動原理が、ヒト属全般の軽視する単細胞生物その他と全く同一だという事実を、理解はおろか想像すらできないのだから、知性があるとは到底思えない。

 いや、程度としては、他の生物以下かもしれない。増殖するだけ増殖し、自らの属種の生存環境を悪化させ、次に来るべき生命体の環境を懸命に整えていながら、それを自覚すらできず、地上の支配者の自称が錯覚だと想像もできないのだから。その点、極端に個体数の増減のない属種の方が、当然種の持続世代は長続きするのであり、そちらの方が大局的に見て、より知的だと言えないだろうか。

 「てめぇ! なにがそんなにおかしいってんだ! 殺すぞ!」

 声にして笑った自覚はなかったし、ハンカチで顔の半分を隠していたはずだが、オスには通じなかったらしい。乱暴に髪の毛を掴まれ、顔を無理矢理上げさせられる。

 二言目には『殺す』を連発するオスに、カーウィンは嫌悪を感じずにいられない。単語量が乏しいからなのだろうが、孤児院を卒院する前に教育を受けてきたはずだ。場末の無学文盲より高度な教育を受けてきたにも関わらず、同程度の単語量なのだから、それの学習能力には悲しいものがある。

 「触らないでくれないか。髪が汚れる」

 半ば反射的に、オスの手をカーウィンは払い除けた。

 何を触ってきたか知れない素手で、それは髪を掴んでいるのだ。礼儀知らずにも程がある。

 痛みのあったはずがない。

 しかし激痛だったようにオスは顔を歪め、もう一方の手で払い除けられた手を押さえた。ただでさえ激怒に赤い顔に血管が浮かび上がり、今にも破裂しそうに脈動する。

 「てめぇ!」

 言うが早いか、それの拳が翻り、カーウィンの顔面を再度殴りつけていた。

 横殴りの衝撃にカーウィンの上半身が泳ぐが、背後のオスに腕を掴まれ、倒れるのを妨げられる。

 すかさず、オスは三度四度と殴りつけ、蹴りつけてきた。下劣な罵声を浴びせかけ、執拗に暴行を続ける。

 後ろから支えられているカーウィンは逃げられず、腕を押さえられているために身を守る事もできない。顔面を先に殴りつけられ、意識が朦朧としていたのもある。

 何度となく殴りつけられ、殴られた数を数える事はおろか、殴られる痛みすら感じられなくなった頃、不意に身体に加えられる圧迫感が消えた。半醒半酔はんせいはんすいの意識が、暴行の終わりを自覚するよりも早く、唯一残っていた腕への圧力も消え、埃っぽくも冷たい床に崩れ落ちる。

 無意識と意識の境を彷徨うカーウィンだったが、再度髪の毛を掴まれ、頸骨が折れるのではと思える程に頭を上向かせられた。ただでさえ息が荒くなっているところへ、気管を圧迫する体勢にされ、息が詰まる。

 「わかったか、このやろぉ! ひとのことよごれもんあつかいすりゃあ、こういういたいめにあうってことをよ! こんなんだからよぉ、きぞくはじょうしきしらずだっていわれんだ! バカやろう!」

 息も絶え絶えな状態にも関わらず、オスの暴言をカーウィンは一語一語記憶に刻みつけた。

 返答を期待していたのでもなかったのか、それは唾をカーウィンの顔に吐き捨てると、床に叩きつける手荒さで髪を放した。さらに思い出したかのように、カーウィンの腹部に痛烈な蹴りを入れる。

 「ふん、このどあくとぉが! てめぇひとりじゃなにもできねぇくせに、えらそうなことばかりぬかしやがって!」

 抵抗のなかったのが不服だったのか、オスは腹を抱えて悶絶するカーウィンの背中を幾度となく蹴りつけた。

 「てめぇみたいなやつはよぉ、死んでとぉぜんなんだ! よわいれんちゅうしかあいてにできねぇひきょうモンは、とくにな!」

 自身の言葉が、自分を卑怯者の仲間に加えていると、オスは全く自覚していないようだった。自身の卑怯者さを自覚していないと指摘したくても、カーウィンにそれだけの余裕がない。

 もう一体のオスとミス・アンダーソンは、一切口を挟まない。矛盾に気づいていないのか、オスの剣幕に気圧されたからか、それの見境ない暴力を恐れているからか、理由は定かでない。

 「わかってんのかよ、てめぇは! え?」

 最後にカーウィンの頭を拳で殴りつけてから、それはようやく暴行を止めた。己の言行不一致に気づいたからでなく、息が切れたからなのは、荒い息遣いから推察できる。息が整えば、暴行を再開するだろうと、オスの爆発性感情病から予測するのは難事でない。

 それとも、処刑か。

 このままいけば、どの道処刑を逃れられないのは確実だった。万が一オスに筋道を立てる思考能力があるとしても、衝動的に暴力が思考を上回ってしまえば、そのまま処刑に繋がる危険すらある。

 実にヒト属に相応しい反応ではないか。

 自身の運命が風前の灯火であるにも関わらず、カーウィンは深い満足を覚えた。

 同属同士での殺し合い。個体数の増加による共食い現象だ。

 大方のヒト属は、同属同士を殺したがる本質を他の生物より強く備えているから、などと揣摩臆測で納得したがる。ただ単純に、一定面積内の個体数を調整しようとする、どの動植物にでも見受けられる行動だと、考えたがらない。ヒト属が生命体の頂点であると盲信したいがため、他の生命体と朝三暮四だと認められないのだ。

 同じ基準で、眼前のオスに対して沸々と湧いてくる殺意を、カーウィンは自制した。機会があれば、裾口に仕込んだナイフで、首筋を掻き切ってやれる。それは優位を信じ切り、完全に油断しているので、いつでも逆襲に転じられる。

 実行に移さないのは、ミス・アンダーソンやもう一体のオスに殺害される危険を恐れてではない。

 生命体でもないオスを殺すのに、自分の手を使ってたまるかという、虚栄心故である。自尊心ではない。そのような代物を、ヒト属が持っているはずがない。

 「なんかいいやがらねぇか! このクズやろぉ!」

 自説の証明に悦に入るカーウィンに水を差すように、オスは踵でカーウィンの肩を蹴った。しかし返答は期待していなかったのか、別のオスに顎をしゃくる。

 「たたせろ」

 命じられたオスはカーウィンの腕を掴むと、強引に引き立たせようとした。

 その手を、カーウィンは半ば視力を失った身で振り払った。オスに触れられるなど、虚栄心が許さない。

 「触れないでくれと、言ったはずだが?」

 いつまでも床に這い蹲るのも、カーウィンの虚栄心に反する行為だった。打ち身に全身の筋肉が悲鳴を上げるのにも構わず、苦痛を噛み殺し、孤軍奮闘の末立ち上がる。

 息も荒く立ち上がったカーウィンの眼前に、ボウガンが突き付けられた。ただし装填されているのは矢ではなく、指三本分の太さの杭である。先端は鋭く削られ、堅さを増すためであろう、黒く焼かれている。

 ボウガンを握るのは、言うまでもなく第一順位のオスだ。絶対的な生殺与奪権に心酔するオスに特有の、自己満足の笑みが顔中に広がっている。

 「ふん。しぶてぇやろぉだ。けどここまでだ。にげようだなんてかんがえんなよ。そんときゃぁ、かならず殺すからな」

 おとなしくすれば生かしておくような口振りに、カーウィンは痛む顔中の筋肉を総動員させ、薄い笑みの形を作った。

 「なにわらってやがる!」

 持ち慣れない権力に酔うヒト属に相応しい狭量さで、オスはボウガンでカーウィンを殴り飛ばした。

 どんな音がしたのか、音の形容はカーウィンにはできなかった。顎が顔からもぎ取られるような衝撃に、ただでさえ足元のおぼつかない膝が砕けかかる。

 たまたま手の触れたテーブルを支えに、再度床に転がる醜態は晒さずに済むが、それがまたオスの虚栄心に傷をつけたようだ。

 「てぇめぇっ、なぁんでたおれねぇんだ! 殺すぞ!」

 オスの暴言に付き合う気持ちは、初めから持ち合わせていない。ミス・ジェニファー・アンダーソンの敬意を勝ち取るため、会話を試みようとしたまでの事だ。その相手たる個体が、予想してた通りの暴力主義者で、話の通じる相手でないと身を持って報された今、要領を得ない会話しかできないオスに、耳を傾ける気持ちは微塵も残っていない。

 このオスのどこに、一体何を見出したのか。

 カーウィンは尋ねたい気持ちを堪え切れず、ミス・アンダーソンへと目を転じた。

 彼女に何を求めていたのか、カーウィン自身正確に理解していた訳ではない。せめて生物としての、生きた感情があれば良かった。

 期待は裏切られなかった。

 彼女の表情に、感情はあった。憐憫や同情などではなく、同伴のオスが持つのと同種の、絶対的な優越感を砕かれた、虚栄心を傷つけられた敵意と憎悪だ。

 先日オスを殺した時には、見受けられなかった感情なのではなかろうか。

 驚かされたのは、彼女の見せる感情の変化だ。命乞いをするオスには憐憫を示し、傲岸にも虚栄心にしがみつくオスには冷徹になる。

 実に、実に見事に、『知性的な』ヒト属のエゴを見せているではないか。生殺与奪権を否定され、傷つけられた虚栄心故の表情だ。

 彼女を両腕に抱き締めたい欲望に、カーウィンは全身を小さく震わせた。抱き締め、切り刻み、解剖してやりたい衝動が、全身の痛みと状況を忘れ、激しく胸を衝き上げてくる。

 一瞬とは言え、存在すら忘れ去られていたオスが、高揚しかかったカーウィンに現実を思い出させた。

 「てめぇっ! むしすんじゃねぇっ!」

 常に物事の中心にいなくては満足できない性格なのか、オスはボウガンの横でカーウィンの横面を殴りつけた。

 「もうがまんならねぇっ! いますぐぶっ殺してやる!」

 テーブルで身体を支え、今度も倒れずに済ませたカーウィンの態度が余程気に食わなかったのか、それは今度こそ忍耐の限界に到達したらしい。ボウガンの先をカーウィンに向け、引き金に指をかける。

 ミス・アンダーソンも、もう一体のオスも手出しをする素振りを見せない。

 一種の満足感すら抱きつつ、生命を奪う杭が飛ぶのを、カーウィンは待ち構えた。

 共食いをせねば生き残れぬ程、ヒト属は個体数が増えすぎている。その自説の証明の一部なりが証明されるのだ。嬉しくないはずがない。

 残念ながら、自説をくまなく証明するには程遠く、指摘すれば切りのない穴がいくつもある。穴を完全に埋め尽くすには、ヒト属を文字通り、二度三度絶滅させる実験と観察が必要で、『人道的』な理由で実行する訳にはいかない。ヒト属の存続する限り立証不可能だし、絶滅してからでは立証しても意味のない説だ。

 オスは顔全体を真っ赤にさせながらも、勝ち誇った笑みを満面に湛え、唇を舌で湿らせた。余計な捨て台詞も、時間の引き延ばしもない。何一つ特別な作業ではないと言いたげに、引き金にかけた指に力を入れる。

 ボウガンの弦が放たれる直前、甲高い警笛の音が狭い室内で鳴り響いた。

 咄嗟にオスはボウガンを警笛の鳴った方角に向けるが、撃つには到らなかった。もう一体のオスも、拳銃を構えたまま動きを止める。ミス・アンダーソンに到っては、警笛の音に驚いてか、凍り付いたまま動かない。

 「動くな!」

 声を上げたのは、警笛を吹いたオスだった。カーキ色のトレンチコートを着込み、右手に拳銃を握り締め、銃口をボウガンを持つ個体に固定している。

 それだけではない。

 オスの背後には、狭いドアの隙間から、紺色の制服で統一した警官の姿が見え隠れしていた。

 「クリストファー・オブライエンとその一派! 暴行、傷害、殺人未遂と容疑で逮捕する! 抵抗すれば射殺する」

 現れたオスは、ダールトン警部だった。

 なぜこのオスが現れたのか、カーウィンには推測するしかできなかった。気づかれずに尾行していたのか、警察の捜査網にかかったのか。理由はどうであれ、生命を救われたのは確かなようだ。

 それより、機会を伺っていたとしか思えないオスの現れ方に、気分が悪くなるのを抑えられない。それとしては、自身の美学を追求してのタイミングだったのかもしれない。

 抵抗は無駄と悟ったのか、名のないオスは銃を床に捨てた。

 さしもの第一順位のオスも、視線で殺そうとばかりにカーウィンを睨み付けながらも、抵抗の無意味さを悟ったらしい。歯軋りしながらも、ボウガンを捨てる。

 「てぇめぇ……! はめやがったな……!」

 誤解も甚だしい。

 訂正してやろうとカーウィンは口を開きかけ、思い止まる。

 誤解させたままの方が、これの虚栄心を苛むだろう。

 カーウィンなりの傷つけられた虚栄心に対する復讐だ。

 なおも喚き続けるオスを、制服を着た複数のオスが力ずくで連行する光景から目を離し、おとなしく手錠をかけられ、付き添われながら出て行くミス・アンダーソンに、カーウィンは目を向けた。

 彼女は憤慨した目で一度睨み付けると、警官に押されるように出ていった。



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