表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/15

第六話 銃と薔薇

 ミス・ジェニファー・アンダーソンがイムグリオイスト家を訪れたのは、カーウィンが孤児院を訪問して二日後の事だった。

 丁度カーウィンは朝食を終えたところで、執事の並び立てる昼間の訪問者のリストを、食後のパイを食べながら聞いている最中だった。

 侍女の一人に案内され、ダイニングに入ってきたミス・アンダーソンを、カーウィンは快く迎え入れた。簡単な挨拶を交わし、彼女にお茶を勧める。

 「さて、何用です、ミス・アンダーソン?」

 彼女の服装が孤児院の制服でないのは、すぐに気がついた。ベージュ色の質素なドレスに身を包み、腰まであるくすんだ金髪を結わえず、そのまま背中に垂らしている。コートを着ていないのは、中に入ってすぐ、侍女に預けたからだろう。訪問のために着替えたのか、それとも非番なのか、そこまでは知らないし興味もない。

 「いきなり伺ったのは他でもありません。実は、お尋ねしたい事があります」

 単刀直入に切り出す彼女の瞳には、前日伺えた敵意の他、やるせない疑惑と憤怒が込められていた。

 「姉についてです」

 「ほう?」

 「姉は行方不明になる前まで、ある男性と交際していたと、聞いています。イムグリオイスト卿、貴男ですね」

 カーウィンは屈託のない笑みを見せた。

 「何を言い出すかと思えば……」

 カーウィンの感性からすれば、交際していたと表現しても構わない。しかし彼女の思考・信条・信仰を徹底的に分析し、粉砕し、失意と絶望の底に落とし込むカウンセリングを、一般諸子の目から見て交際とは言わないだろう。

 「確かに僕は、貴女のお姉さんとは知り合いでしたけどね。どの程度の関係かと言えば……そう……貴女と僕の関係が、雇用者と雇用主であり、貴女の方に質問があるからと、突然訪れても門前払いされない……。その程度のものです。端から見れば、貴女と僕が交際していると、もう見られていてもおかしくないでしょう?」

 「何を……」

 バカな、とでも言いたかったのだろう。口にしなかったのは、自分の立場がいかに弱いものか改めて実感したのか、噂が余り宛てにならないものだと知っているか、いずれかであろう。

 決して愚かではない。彼女の姉と同じ、充分な教養を受けていないだけだ。

 「……本当に、それだけの関係なのですか?」

 「聞きたいのは否定? それとも肯定?」

 逆に問い返され、彼女は言葉に一時詰まった。

 「……真実です」

 真剣な面持ちで答えられ、カーウィンは笑い声が溢れるのを止められなかった。

 「何がそうおかしいんです! 卿! 貴男には、行方知れずの家族を心配する気持ち、判らないんですか!」

 「判りませんね。教えてもらえます? それとも……。勿論、貴女の気持ち、どれだけ辛いか、まるで自分の事のように判りますとも……。どちらの返答、お気に召します?」

 いずれも彼女の気に召さないと、理解した上での質問だ。別に彼女は、心境を理解してもらいたい訳ではないし、理解できるとも思っていない。また理解されたいとも思っていない。だが、冷静な第三者の目で観察されるのも、知りもしないで知った振りをされるのも、同じように神経に触る。自分だけが不幸を気取り、これからも気取っていたいがために、自ら進んで|頑迷不霊(頑迷不霊)の世界に浸りたがっているのだ。

 同じ次元で、カーウィンの一族郎党の辿った末路を、万が一知っていたところで、人事で済ませてしまう傲岸さも備えているだろう。不幸という単語は、彼女のためにあるもので、他人の不幸は知った事ではない。仮に何らかの同情を示すとすれば、同じ惨めな境遇の同類を求め、相哀れむためだ。間違えても、事態の改善を計るためではない。

 即答したカーウィンに、彼女は息を飲み、意味を理解すると唇を噛み締めた。決して、質問の背景を理解したのではない。

 「はぐらかさないで下さい! 姉がどうなったか、知っているのでしょう!」

 「別にはぐらかしたつもりはありませんね。気持ちがどうこう、尋ねてきたのはそちらではありませんか。それとお姉さんについてですけど、例え知っていたとしても、お教えする訳にはいきませんね」

 「なぜです! 私の姉なんですよ!」

 声を荒げるミス・アンダーソンに、食器を片付けていた女中の視線が集中した。平然と脇に控える執事程の訓練を受けていないと、態度から知れる。

 「身内だからこそ、教えられない事もあるのではないですか?」

 「どういう理屈ですか、それは!」

 カーウィンの瞼の裏で、激昂する彼女の顔が、昨夜開花したバラと重なった。『ミス・ジェシカ・アンダーソン』と名付けた鉢は、同名の女性が自らを捧げてくれた逸品であり、四年前の品評会では優勝してもいる。未だ表面に表れていない眼前の女性の秘めたる輝きは、彼女の姉が心血を注いだバラに、共通するものがある。

 不意に彼女に、四年前優勝した鉢を見せたくなった。彼女には見る資格がある。

 口に残るパイの甘さを、濃い目の紅茶で喉の奥に流し込み、カーウィンはナプキンで口元を拭うのもそこそこに、席を立った。

 「ここじゃあ、ちょっと会話に不都合ですね。どうです、場所でも変えませんか?」

 カーウィンの提示を、真相解明の手かがりと踏んだのか、単なる挑戦と受け取ったのか、彼女の本心は解らない。どこか挑むような目で、静かに席を立つ。

 「どこに行くんです?」

 「温室です。そこなら、誰の邪魔も入りませんから」

 朗らかに答えながら、カーウィンは次なる鉢を、脳裏に構想していた。

 品評会で受賞したのは、『ミス・ジェシカ・アンダーソン』が最後である。毎年二、三株提出しているのだが、成績は芳しくない。別に賞金が目当てでもないので、受賞の如何にさして興味はない。株の生育に粉骨砕身してくれた女性達に、相応の評価を与えてもらえないのが、少し寂しいだけだ。

 『ミス・ジェニファー・アンダーソン』こそは、ここしばらく停滞気味な注目を、再び集めるための起爆剤になってくれるかもしれない。それはすなわち、この数年交際した女性四十人強の、努力の評価にも繋がる。

 実際彼女に、それだけの価値があるようにと、カーウィンは心のどこかで期待していた。


     ○ ○ ○ ○ ○


 ドアを開けると共に、強烈な甘酸っぱい芳香を含んだ生暖かい風が、カーウィンとミス・アンダーソンの顔を叩いた。早朝の霧も晴れ、窓から差し込む陽光に暖められた室内は、暑くもなければ、寒くもない。

 摂氏二五度前後だろう。人体の感覚神経が、熱気冷気を感じない温度である。

 彼女を招き入れてから、後ろ手にドアを閉める。

 カーウィンは温室の奥まった一画、作業場に彼女を案内すると、作業用テーブルの上に安置された大振りの花を咲かせたバラの鉢を、大袈裟な身振りで指し示した。

 これこそが、『ミス・ジェシカ・アンダーソン』と名付けた傑作だ。花弁から茎に至るまで、新月の夜のように漆黒で、葉の葉脈のみに、血管を思わせる赤が入っている。

 かつてはこの街とその周辺に咲き乱れていながら、半世紀以上も昔に絶滅したと思われた属種である。原因は主に、工場から吐き出される排煙と排水により、生育に必要な環境が大幅に変わってしまったためだ。

 原因はそれだけに留まらない。花粉の唯一の運搬役であったハチの一属種が、多種の動植物と共に絶滅の憂き目に遭ってしまったのだ。その後も、開墾や開拓が立て続き、かろうじて生き残っていた株も、他の生命体と共に、地上から駆逐されてしまった。

 たかがバラ一属種の絶滅に、心を痛めたヒト属は、植物学者と趣味人だけだ。

 ほんの十年前まで、絶滅は信じられていた。イムグリオイスト家の敷地に、年老い枯れかけた株を、カーウィンが発見するまでは。

 彫心鏤骨ちょうしんるこつの連続だった。人工授粉で種子を増やすにしても、気温と湿度が適切でなければ、交配はできない。おしべとめしべの交配可能時期が、数日ずれているのも問題だ。自己受粉を防ぐための自然の処置なのだが、個体数が残り少なくなっては、その時期のずれが絶滅の危機につながる。生育に必要とされた土質を合成するにも、多大の労力と資本を費やしている。種子の保存条件、発芽させるための表皮の削り具合、温度などの手間は、言うまでもない。

 挿し木での増殖は条件が悪かったのか、水と土を遠方よりわざわざ取り寄せなくてはならなかった程だ。そんな苦心惨憺と試行錯誤の末、わずかに根付いた一本が、『ミス・ジェシカ・アンダーソン』である。

 その時の感動と興奮は、言葉では表せられない。鼻の奥が痛くなり、涙腺が緩み、年甲斐もなく視界を滲ませてしまった程だ。

 そして、バラが個体数を増やし始めたのは、この一、二年での事だ。

 とは言え、最早交配から発芽まで、ヒト属の手を借りなくては、生き延びられない植物に将来はない。自然界の法則に照らし合わせれば、とうに絶滅してしかるべき、環境の変化に適応できない生命体なのだから。交配に使う手段に、特定の属種のハチだけを用いたのが、自然界での生存に破れた敗因の一つだ。

 それでも、動物界のオスなる非生命体と較べれば、数段上のれっきとした生命である。

 「さて、どこまで話しましたっけ?」

 カーウィンは彼女に尋ねると、答えを待つ傍ら、作業台下のキャビネットを開け、木箱を引っ張り出した。深さが五十センチ近くの、一抱えある木箱だが、そう重たくはない。

 「姉についてです!」

 声を荒げる彼女を一瞥してから、箱の蓋を開ける。

 箱の三分の二ばかりが、黒灰色の灰に埋まっていた。灰以外、中には何も詰まっていない。

 「ああ、そうでした。それで、何を知りたいと?」

 「行方です!」

 カーウィンは腰を上げ、彼女の瞳を覗き込んだ。彼女の鮮やかな青い瞳が、カーウィンの作り出す影で、黒に近い紫色に見える。

 彼女の姉の瞳の色だ。意味もなく、笑いたいような、泣きたいような気持ちが湧いてくる。

 「なぜ、僕が知っていなくてはならないんです?」

 彼女は険のある眼差しで睨み付けてきた。

 「卿は先程、知っているような事、おっしゃってたではありませんか! 嘘だったのですか!」

 不本意な贖罪に、カーウィンは小首を傾げた。

 「おや? 言いましたか、そんな事? 知り合いだとは認めましたけどね。居所の有無について、言及した記憶はありませんね」

 「じゃあ、何でここに連れて来たんです!」

 ミス・ジェシカ・アンダーソンの面影が、図らずも妹と作業台のバラと重ね合い、鼻の奥が痛くなる。

 「これです」

 カーウィンは、花弁までが漆黒のバラを、手で示した。

 「『ミス・ジェシカ・アンダーソン』、貴女のお姉さんと同じ名前です」

 「それが? まさか姉のなれの果てだなんて、おっしゃるつもりじゃないでしょうね」

 なれの果てと言っては、バラに失礼であろう。確かに、彼女の姉の遺灰を肥料にしているが、間違えてもなれの果てとは言わないし、問題にすべき話題でもない。

 問題は、ヒト属が生物の頂点であるという流言蜚語りゅうげんひごを、彼女の言葉の端々に感じられる事だ。

 そもそも、何を前提に生命の頂点と言うのだ?

 食物連鎖ピラミッドの頂点にあるからか? ピラミッドそのものが嘘ではないか。森林・荒地・河川・海洋の環境別に見れば、三角形にならないのは、生物学をかじれば誰でも知っている。第一、ヒト属を食料の一部に見る生命体は幾らでも存在する。それだけで充分な矛盾と言えよう。主食の幅を取るのであれば、昆虫目になる。

 知性の高低? 何を取って『知性』と呼ぶ? 道具を使うのはヒト属だけではない。何らかのコミュニケーション手段なら、社会を構成する動物なら大概持っている。文字は他のコミュニケーションの一部であるから、ヒト属の優秀さの証明にはならない。

 生存領域の広さ? それなら圧倒的に昆虫目が支配者だ。海洋と植生限界地以外なら、どこにでも生息している。地上、空中、水中、地底。ヒト属はそこまで適応できまい。

 そもそも、陸地の面積は世界全体の三割にも満たないのだ。そのような限られた面積の中ですら、ヒト属が生存できる領域は更に限定されている。それでいて『世界の支配属種』を自ら名乗るとは、世界を測る尺度を根本から間違えているとしか思えない。

 個体数の多さ? それならバクテリアが一番だ。動物に限るなら、またも昆虫目が支配者だ。地上の動物の九割以上は昆虫で占められている。哺乳類に限っても、勝者はネズミを代表するローデンシア属だ。

 要するに『異端審問インクィジョン』と同じだ。根拠のない異端邪説を、数の暴力と曲学阿世きょくがくあせいで捻じ伏せ、『真理』として世に定着させる。そして疑問・反論を唱える個体は綱紀粛正こうきしゅくせいの名の元、焚書坑儒で葬る。古今東西二千年以上、連綿と続く行為だ。

 「まさか」

 カーウィンは微笑んだ。バラに浮かぶ彼女の姉の面影に、瞼の裏が熱くなる。

 「貴女のお姉さんが、心血を注いでくれた鉢です」

 彼女はその一言で、心持ち顔色を変えた。

 「姉の? それなのにどうして、ただの知り合い程度で済ませて……。卿、一体何を隠しているんですか!?」

 「別に何も? 貴女でしょう、隠しているのは?」

 彼女の姉が、文字通り心血を注いでくれた株なのだ。嘘はついていない。想像できない、考えられない彼女に問題がある。

 「何の話です? クリスとの交際に関してまで、卿に指図される義務はありません!」

 カーウィンはもう一度屈むと、木箱を花壇まで引きずった。

 花壇には、血の色をした葉脈を除き、全てが漆黒の苗木が植えられていた。半分が挿し木で根付いた株、半数は種子から発芽させた株だ。

 「そちらの友好関係だけなら、確かにそうでしょうとも。ですが犯罪の共犯となられては、黙って見過ごす訳にはいきませんね。特に殺人にまで走られては」

 「何の……話です……?」

 彼女の声は固くなった。ハンドバッグに手が入るのを、見て見ぬふりをする。

 「まあ、知らないふりをするなら、僕は構いませんけどね。ところで……何人……殺害してきました? 何人……の『吸血鬼ヴァンパイア』『魔導師ウィッチ』を殺害してきたつもりです? 被害者の正体の真偽はともかくとして」

 一般の伝説にある『吸血鬼ヴァンパイア』とは、死者がなった姿ゆえ、生命体ではないという考え方が強い。しかしカーウィンの感性で言えば、『吸血鬼ヴァンパイア』とは生命体である。血を飲まれ殺害された被害者が、やがて『吸血鬼ヴァンパイア』として復活するのであれば、それは非生命体のオスが持ち得ない増殖能力を持つ証明である。修復能力と適応力を持つのはほぼ確実であり、となれば、生命体と位置づけ、何ら問題はない。

 しかし悲しいかな、『吸血鬼ヴァンパイア』は伝説上の存在だ。『黒死病ペスト』がこの地一帯を席巻した時代、墓から這い出した個体がいたのは確かなようだが、それとて当時の医学では、『仮死状態』と完全な『死』を見極める能力がなかったからだ。たまたま息を吹き返し、二メートル近い土砂を掘り返す体力のあった個体が、『吸血鬼ヴァンパイア』や『ゾンビ』のそしりを受け、殺害されていたに過ぎない。その説の医学的根拠もある。

 一番憤慨させられるのは、『生命』の定義すらできない皮相浅薄、浅学非才な個体が、臆面もなく『生命の高尚さ』『生命の尊厳』を謳っている実情だ。せめて定義の『自己修復・自己増殖・環境適応の三能力を有する』と言える知識だけは備えていてもらいたい。それができないから、オスやウィルスまでを『生命体』の中に位置付け、疑問にすら思わないのだろうが。

 「何の話です!」

 「貴女とミスタ・オブライエン、それともう……一人……で、この間……と言っても三日前ですけど……殺害したじゃありませんか。心臓に木の杭を打ち込むだなんて、そうそう見られるものではありませんよ。確かその後でしたよね、貴女は油を遺体に注ぎ、クリスが火を付けて……。焼け残りは……」

 「十分です!」

 鋭い声で彼女は遮った。バッグから拳銃を取り出し、銃口をカーウィンに向ける。

 カーウィンは小さく肩を竦め、シャベルで灰をすくい、花壇の土に掘った溝に灰を敷いた。

 「卿! どうしてそれを……! 一体、どこまで……他に誰かに話して……」

 その気になれば撃つと、カーウィンは疑わなかった。ただし姉の行方についての興味が、口封じに撃つのを躊躇わせている。撃ったところで、他の『吸血鬼ヴァンパイア』のように焼き捨てられる宛てがあるでもないだろうし、場所が場所ゆえ容疑はすぐにかかってしまう。

 だからと、身の安全が保証される訳でもない。

 「その気もないのに、そういう物を向けるものではありません。間違えて撃ったりしたら、事故で済みませんから」

 「冗談だと思っているんですか!」

 「違うと?」

 カーウィンは小首を傾げた。

 「確か、貴女のお姉さんの行方を、僕が知っていると、勝手に決めつけたばかりじゃありませんか。合っているかどうか、僕を撃ってしまえば、それすら判らなくなってしまいますが?」

 「でも、手足を撃てば、簡単には死なないでしょう?」

 銃口がわずかに横へずれた。

 「ああ、それなら確かに。でも、死なないからと言って、話せると同じようには扱わないように。倒れたはずみに頭でも打って、脳障害を起こしたりしたら、場合によっては、射殺した時と同じになるんですから。特にここは狭いですからね。どこに頭をぶつけるか、知れたものじゃありません」

 つまらない行動を取り続ける彼女に、幾分退屈しながら、カーウィンは一抱えある金属のボトルに手をかけた。

 牛乳を入れて運ぶボトルに見えるが、中身はバラ専用に取り寄せた水だ。この街の水はバラの生育に不適切になっている。重金属の含有量が多いので、本当はヒト属が飲料に使うのにも問題があるのだが、未確認の研究資料によれば、悪くても後年にブラウン氏病を発病する可能性が他の地域と較べ高くなる、という程度の話だ。胎児一体を潰す必要があるものの、治療法がない訳でもない病気だ。

 脅しを真剣に取らないカーウィンの右腕に、彼女は銃口を押し付けた。

 「撃つ時には、本当に撃ちますよ」

 「勿論。これなら外しようもないでしょうからね。ところで、僕を撃って何を得られるのか、教えてもらえせんかね?」

 カーウィンはボトルの水をじょうろに移すと、灰の上に水を撒き始めた。

 余裕綽々な態度と質問に、彼女は鼻白んだ。

 「卿の口を割らせられます!」

 「正しくは、貴女の聞きたい言葉を言わせられる。それだけです。真偽の関係なしにね」

 カーウィンの腕に押し当てられる銃口の圧力が高まった。

 「そんな事を聞きたいんじゃありません! 真実です! 姉はどこに! そして私達の行動、どれだけ見ていたんですか!」

 何と答えるべきか。姉が死亡しているだろう程度の予測は、とうにしているだろう。事実ではあるが、それを教えてしまっては、面白味に欠ける。なぜ何も言わずに通しているのか、問われても困る。

 「教えられませんね。知っていたとしても、教えた直後に口封じに撃たれては、そちらはともかく、こちらは全然面白くありませんから」

 「人を撃つのが、楽しいとでも思っているんですか!」

 どこか苦痛を滲ませる彼女と反対に、カーウィンは笑みを深めた。

 自分に危害が及ばないと判っている限り、人殺しとは楽しい行為なのだ。だから殺害の対象となるのは、反撃される危険のある権力者ではなく、抵抗のできない少数派、あるいは弱者に限られる。

 恐怖に顔を引きつらせ、懸命に命乞いをする被害者の姿から、生かすか殺すかを決定する。生殺与奪権は、神にも比肩しうる絶対権力である。生き残りたいがため、裸で這いずり、豚の真似をし、自分の糞を食うような連中は、いくらでもいる。そんな連中が、どれだけの肉体的・精神的苦痛に耐えられるか見物するのは、掌中にした権力の醍醐味だ。

 しかも同じ殺すにしても、あっさりと殺してしまっては面白くない。爪を剥ぎ、目玉をくり抜き、生皮を剥がし、水に漬け、針で突き刺し、生かさず殺さずじっくりなぶり、飽きたら生きたまま火炙りにする。首を跳ねてから遺体を燃やすなど邪道である。最後の最後まで、被害者の泣き叫ぶ様と苦痛の叫びを味合わいたいがため、『異端審問インクィジョン』の時代、テキストまで作成し、百万以上を殺害してきたではないか。

 観衆達も、絶対権力者の権力のおこぼれに預かり、被害者の悲惨な最期に、自らの優越感を満喫する。それを見て育った子供は、絶対権力に憧れ、いつの日か自分が執行人になる事を夢見、やがて権力者達の使い捨ての歯車となるのだ。そうやって社会の歯車は回り続けているし、これからもそうであろう。

 「ほう。楽しくない?」

 『異端審問インクィジョン』に加担するにしては、やはり変わっている。それともまだ、殺戮を味わえる程度に殺害していないのか。楽しんでいる自分を自覚していないのか。

 「当たり前です! そう言う卿は、人を殺した経験があるのですか!」

 カーウィンはもう少しで、大声で笑い出してしまうところだった。交際した女性の名は全員覚えていても、順番付けるのは失礼に思え、数えるのは二十人辺りから止めている。それに手がけた全ての女性は、一族の女性を除き、この温室で次の命の糧とになっている。

 彼女の質問は、自分が目の前を泳がされている次の獲物だと、思ってすらいないと語っているようなものだ。彼女の姉の失踪に原因ありと見てはいても、まさか手をかけた当人だと、考えていない印でもある。

 しかし、本当にそうだろうか?

 こういう怪しさが、女性と交際する楽しみの一つだ。何が出てくるか判らない。オスが相手だと、やはりオス同士だからか、手が読めやすい時があって面白くない。非生物を刻むのも、やはり趣味ではない。

 微笑むばかりで黙して語らないカーウィンに、ミス・アンダーソンは威嚇のつもりか、口調を荒げた。

 「どうして私が撃たないなんて、判るんです? これでも、何人も殺してるんですよ」

 彼女は自らの犯行を認めた。

 躊躇うのは、まさか無防備の個体だから、などではなかろう。どう見ても無防備の個体すら、彼女は殺害してきている。

 彼女の意識にある『吸血鬼ヴァンパイア』や『魔導師ウィッチ』の駆逐は、食肉用の他の属種を殺害するより苦痛を伴っているのだろうか? それとも、ヒト属の存続と尊厳を守る守護者か英雄を気取っているのだろうか。実に興味深い。

 「別に、確信している訳ではありませんけどね。狙った獲物でもないのに、殺害するようには見えないものですから」

 カーウィン自身、その点では同じだ。一度の例外を除いて解剖してきたのは、すべて健康な、妊娠歴のない女性ばかりだ。その例外とて、馬車の車軸に細工をし、事故死に見せかけてという、異例の手段を用いてだ。ヒト属殺害の最初の記念すべき犠牲者で、実父だったオスだ。

 面白くなかった。が、感想だ。やはり、自分の手の届く範囲で、ゆっくりと殺していかなくては楽しくない。

 「ところで、教えてもらえませんか? 楽しんでもいない殺人を続ける理由を?」

 泰然自若たいぜんじじゃくとした雇用主に、彼女の気勢はわずかに削がれたようだった。

 「ご覧になられたのでしょう? どうして判らないんです。人の尊厳を守るため、誰かがやらなくてはならないんです!」

 判り切っていた返答に、内心落胆する。どのオスと交尾するか、決定する権利は女性にあるからだと、的を射た答えを得た試しがない。数撃てば当たる式に数千、数万の精子を一度に製造し、放出するのが能なだけのオスの価値など、元々皆無に等しい。一部のクモに至っては、オスは空腹時のただの食料か、うまく交尾できても結局食われてしまう運命である。

 『人の尊厳』という単語も、カーウィンには理解できない概念だ。あちこちに尋ねたりもしたのだが、納得のいく答えを得ていない。

 彼女を見つめながら、首を傾げるしかない。

 「人の尊厳? 何です、それは? 殺人が、人の尊厳を守る事につながる?」

 だとすれば、自分がこれまでしてきた行いは、『異端審問インクィジョン』内において評価されるべきかもしれない。

 そして表で行っている福祉活動は、『人の尊厳』を奪う忌むべき行為になる訳だ。何しろ、飢え死になり病死なり、とうに死んでいてもおかしくないヒト属を、かなりの数生き長らえさせているのだから。

 「違います! 私達の殺してきているのは、悪魔と魂の契約を交わした、忌まわしい魔導師や吸血鬼の類です! 彼らは人類を腐敗し、堕落させるべき憎むべき宿敵! 地上から一掃しなくてはなりません! 彼らの魂を救うためにも!」

 彼女の回答に、カーウィンの傾げる首の角度が大きくなった。

 そのようなものは存在しない。『主』なるものもいない。楽園も地獄も存在しない。死ねば肉は土に還り、記憶は無へと消えて無くなる。それだけの話だ。

 「確かですか、殺害してきたのが、本当に悪魔の下僕であったのは?」

 『主』や『悪魔』の有無を争論するつもりはない。

 自分が信じないからと、信じる側を軽んじるか、自称『正しい方角』へ導こうとすれば、結局は方向性が違うだけの、同じ行為になってしまう。大方は自分の思想が『正しい』と、『誤った』道を正したがるが。当たらずに触れずに。思想と宗教の自由の尊重とは、そんなものだ。

 彼女は意外にも強い調子で頷いた。

 「確かです。間違いありません!」

 「その根拠は? 僕にはまだ、ただの殺人にしか見えないのでね、説明してもらえますか?」

 先入観と偏見で、審判を下したくない。

 彼女は言葉に詰まった。

 「……それは確かです。……別の悪魔の下僕を……尋問して……白状させたのですから……」

 その『別の下僕』の辿った運命を予測すれば、言葉を濁す気持ちも理解できるというものだ。それの死に様より、どうやって白状させたのか、『尋問』の道具と手段に、興味が湧く。物によっては、趣味の幅を広げられる。

 「成る程。それなら確実でしょうね」

 明らさまな皮肉に、彼女の頬が小さく引きつった。

 殺害されたのが女性でない限り、ヒト属がどれだけ死のうと興味はない。今やヒト属の個体数増加には、歯止めがかからなくなっている。『異端審問』が数世紀かけた削減も、一世紀で元に戻っている。その個体数の伸びは、今更『異端審問』が大規模な個体削減に踏み切ったところで、止められない加速度を示している。

 「まあ、これは僕の想像なので、貴女のお気に召さなければ、答えてもらわなくても結構。悪魔というのは……人……の魂を腐敗し、堕落させる。そのために甘言を用い、嘘を使い、道を誤らせようとする」

 彼女が怪訝な表情で頷くのを待ってから、先を続ける。

 「ところで、確かですか? 奸佞邪智に長けるはずの『下僕』が、真実を述べたのは?」

 返答は判りきっているが、尋ねずにはいられない。思考過程の方向は予測できても、その内部は、どれだけ目を懲らそうとも覗けない、カーウィンには理解しきれない領域である。それがまた、自分の無知と盲目性を証明して、楽しくもあるが。

 「勿論です!」

 そして予測した通りの返事が、一呼吸の逡巡の後戻ってくる。

 「あれだけの苦痛を受け、嘘をつける『下僕』はいません! 『悪魔』のみです! 自供書もちゃんと取りましたし、本人の署名もあります!」

 では、彼女自身が同じ罪状で『尋問』を受け、最後まで無実を通し続けられるのだろうか? 耐え切れれば、彼女の言う通り『悪魔』の証だし、認めればやはり有罪だ。有罪は死刑だし、苦痛の余り死んでしまえば、無罪になるかもしれないが、本人にとり救いにはならない。

 尋ねるより、すぐさま実践してみたいところだ。そんな誘惑を抑えるのは、簡単な事ではない。

 なぜ同属を殺したいだけの欲求を、そこまで複雑に正当化しなくてはならないのか、カーウィンの理解を越えている。秩序を守るためとの声を聞いた試しもあるが、結局は共食いをしているではないか。肩が触れた。目が合った。同じ女性に目を向けた。理由を付けたいなら、それだけで充分であろう。自分のテリトリーに、自分以外の同属が侵入したから、が社会を構成する動物の共食いを正当化する、一番納得いく理由である。

 「ふむ……。他に何人、その自供書に名前が載っています?」

 「聞いてどうするつもりです? 悪魔の下僕達に警告でもするんですか?」

 カーウィンはまた笑った。

 警告を出すのは、悪い考えではない。『悪魔の下僕』に心当たりがあるなら。

 「貴女が余りにも詳しく説明してくれましたから、つい、ね。別に、僕の魅力故にだなんて、言わないでしょう?」

 カーウィンの容姿にほだされ、口の軽くなる女性は多い。だからと、女性全員が自分にたなびくと、自惚れるカーウィンではない。

 「当たり前です!」

 「だとすれば、可能性は幾つかありますよね。口封じに殺してしまっては、貴女の信じておられる、行方不明のお姉さんとの繋がりが永久に解けなくなる。また、貴女も今し方、人殺しはお好きでないと言われた。となれば、貴女方の理想を説き、味方に引き入れてしまうのが最善なのではないか。そう推理しただけの事で。間違えていますか?」

 彼女は目を狭めた。下げかけていた銃口が再び上がり、今度こそカーウィンの胸に押し当てられる。

 「なかなか、裏をお読みになれるのがお好きなようですね、卿は。お教えしたからには、選択肢が一つしかないと、とうにお気づきでしょう? 返事を聞かせてもらえません?」

 姉の行方の探索よりも、『異端審問』の秘密を優先すると、彼女の態度から知れた。生死の定かでない姉よりも、生きている自分の身を守ろうという理屈は、納得のいく行為だ。また自分の身を守る事で、『異端審問』から裏切り者の烙印を押され、生命を狙われる心配もない。将来の身の安全も保障される。

 「そしてイエスと言えば、次は忠誠心のテストを称し、次の悪魔の下僕を始末させるのでしょう? 遠慮します」

 犯罪者関係にはよく見られる現象である。組織の一員になりたければ、共犯か同様の犯罪者になれ、というやつだ。俺が堕ちる時は、お前も堕ちる。これからは一蓮托生、逃げさせない、抜けさせない。そうやって犯罪者同士は、横の連帯意識を強めていくのだ。

 犯罪組織の一部に組み込まれるなど、カーウィンにしてみれば悪夢だ。しかも誘っているのは、殺戮集団ときている。

 自由意志も与えられず、次に誰を殺害しろと指図されるのは、ご免こうむる。オスを殺すのは信条に反する。女性を殺害するのは、さらに神経に触る。ましてや好みの女性ともなれば、満足に知り合う機会もないまま殺すなど、勿体なくてできやしない。自分の心臓をえぐり出すよりも苦痛を伴う。

 引き金にかかる彼女の指に、わずかに力が込められた。

 「結果を知って、言ってるんですか! 冗談じゃないんですよ!」

 カーウィンは微笑んだ。

 「では、撃って下さい。誰かに指図されての殺害など、僕にはできません」

 自分の意志と関係なしに獲物を決定される位なら、喜んで死を選ぼう。この選択権だけは、誰にも譲らない。

 彼女は撃たなかった。かなり長い緊張の後、後悔と苦痛をない混ぜにした苦悶の表情で、カーウィンから目を反らし、銃口を下げる。

 「卿のこれまでの善行、私も見ています。ですから、今日だけは見逃します。でも他の二人は、私程には甘くありません。……これ以上、私には関わらないで下さい」

 ひどく都合の良い言い分だ。裁判官と死刑執行人の両方を、一人でやっているつもりだ。

 大方の大衆と較べれば、多少は真剣というところか。大概は裁判官だけを務め、面白半分に死刑を宣告したがるだけだ。刑の実行は、汚れ仕事と思っている節がある。動物の肉を調理する個体にはある種の敬意を払い、肉を平気で食べても、屠殺場で働く個体を一段下に見るのと、基本的な差はない。あまつさえ、肉とは始めから加工されて出てくるものだと、考えたがっているようにも見受けられる。

 なぜか? 判らない。皮膚の美醜しか目に入らず、一枚めくった下の肉と内蔵に、目を向けられない。そんなところだろう。

 微笑むだけのカーウィンが急な動きをしないよう牽制しながら、彼女は出口を目指し、後じさり始めた。銃を向け、脅しも混じった警告も出したとなれば、さすがに長居できまい。

 「良いですか、警告はしましたから」

 最後に一言繰り返すと、彼女は身を翻し、木々の陰に姿を隠した。少しの間を置き、ドアが激しく閉じられる音が聞こえてくる。

 カーウィンは笑みを崩さぬまま、軽く頭を左右に振った。

 彼女は自分の置かれている危機を、全く認識できていない。

 彼女が『異端審問』に何を求めているのか、まだ不明だ。少なくとも、同属を大量に殺戮したいという、自然的欲求が理由ではないと、今は否認しているようだが。それとて、集団に属する以上、集団への『帰属感』は芽生えるだろうし、その集団の思考を『模倣』していくようにもなろう。

 見たところ、彼女が『異端審問』に染まるまで、時間は残ってないようだ。

 いかにして彼女を救い出すか、カーウィンは思案にくれた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ