最終話 残光
クリストファー・オブライエンの事件で、イムグリオイスト家の被った損害は甚大だった。
表向きは最大の被害、実質はヒト属の延命に貢献したヒト属の減少は、ダールトン警部を含め五体と報告されている。かの個体は、イムグリオイスト家に侵入した際、警官のみならず、武器も持たない使用人をも殺害していたのだ。
建物や家具の被害はさして大きくない。温室が一棟全焼した他、血を吸った絨毯の交換、及び年代物のテーブルの傷と言った程度の被害に留まっている。
被害の全容を知るヒト属ですら、ほとんど省みもしなかった真の最大の損害は、温室の植物の全滅だった。三十種余りの属種が、一晩で絶滅の憂き目に遭ったのだ。二度と永久に、ヒト属はそれらの植物を眼にする事はないだろうし、それらのもたらしたかもしれない未知の恩恵も、同時に永久に失われた。
しかし、かのオスの行った多数の属種の絶滅執行の罪は、決して裁かれる事はない。生命体と呼べないヒト属一体の仮称『生命』の方が、一属種全体の存続より重いと、頑なに信じられているからだ。
「……以上です」
ダールトンの死後、担当となった若い刑事は、事後処理の報告をようやく終えた。
満足に耳も傾けていなかったカーウィンは、最後の締め括りの言葉に、心持ち顔を上げた。
「ご苦労様」
微笑を取り繕っても、心はまだ別のところにあった。
事の結末は、決して満足のいくものではない。
どの道絶滅は免れなかった植物の被害も去る事ながら、女性達との思い出も同時に永久に失われてしまったのだ。この心の傷は、死ぬまで癒されないだろう。
クリストファー・オブライエンの辿った末路も、歓迎できる形ではない。牢で朽ち果てていくに任せるべきか、極刑と言う形で早めに締め括るか、悩む手間が省けたのは確かでも、その個体の思想を受け継ぐ個体が、発生しないとも限らない懸念を残してしまっている。
一応、『本年最悪の凶悪犯罪者』の名目で、生い立ちから最期まで、特集で報道するよう手配してあるので、それを英雄視する個体の発生予防にはなり得るだろうが。
「……しかし、未解決の部分も多々あります」
若いオスはノートを閉じると、視線をカーウィンに向けた。
「例えば、重要参考人の一人、ミス・ジェニファー・アンダーソンの行方です。彼女がいなくては、『異端審問』の非人間性と非合法性の追及ができません。せっかく、奴らに引導を渡してやれる機会だというのに……」
クリストファー・オブライエンの不本意な最期の後、彼女は人々の前から姿を消している。一説には、『異端審問』の暗殺に備え、警察が彼女を安全な場所に匿っている、との説が誠しなやかに流布されもしたのだが。
他にも、彼女が姿をくらませた理由が囁かれてはいるものの、真実を知る個体は一体とて存在しない。最後に彼女を目撃したカーウィン以外は。
その件に関し、カーウィンは堅く口を閉ざしている。彼女をイムグリオイスト卿が匿っていると言う噂の一つも、そこに起因している。
そんなカーウィンの非協力的な態度を、オスはなじっているのだ。
オスの暗に秘めた罵りを、カーウィンは気づかないふりで聞き流した。
「確かに、彼女が姿を見せなくなったのには、心を痛めます」
彼女の辿った末路も、決してカーウィンの納得のいく終わり方ではなかった。彼女にはもっと多くの、苦悶と苦痛の表情と内面の真の美しさを、時間をかけてじっくりと見せてもらいたかった。彼女に語るはずだった愛の言葉も、予定していた半分も語れずに終わっている。
次の女性には、必ず不本意な終わり方はさせない。
固い決意を胸に、カーウィンは伏し目がちに頭を垂れ、それから思い出したように窓際へ目を向けた。
釣られたオスが、やはりそちらへ目を向ける。
二つの鉢が、窓際にしつらえられた棚の上に並んでいた。片方の鉢には大ぶりの漆黒の花を咲かせたバラが、もう一方には数枚の黒い葉を付けただけの小さな苗が植えられている。
温室の火災前、たまたま屋敷へ運んでおいた唯二残された株、『ミス・ジェシカ・アンダーソン』と『ミス・ジェニファー・アンダーソン』だ。
五年の年月の後、姉妹はようやく再会した。
などと詩的な感慨にふけるカーウィンではない。
彼女らの血肉が株の育成に役立っているのは事実でも、バラが彼女達の生まれ変わりである、との非論理的思考は持ち合わせていない。肉体が活動を停止すれば、そこでその個体の存在は終わりである。魂だとか『死後の世界』だとかは、ただの絵空事でしかない。
そんな夢想事に執着し、バラの美に彼女らの存在を重ねては、バラに失礼ではないか。
滅びるものは滅び、その後には新たなものが生まれ、やがてまた滅びる。栄枯盛衰の間にあるのは、原子と分子の移動で、魂も美も意識も移されはしない。
「……綺麗な……花ですね……」
溜息混じりに呟いたオスの言葉に、カーウィンは満足した。
オスが見ているのは花の美しさであり、アンダーソン姉妹の美しさではない。これこそが、この植物に対する正当な評価ではないか。
「そうでしょう。僕の自慢の株ですから……」
ヒト属の二体のオスは、しばらくバラの美しさに見とれ、言葉すら忘れた……。
[虚栄都市~ヴァニティー・フェア~(完)]