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第十四話 彼女は銃を取った

 クリストファー・オブライエンと不本意な対面を果たした建物が、カーウィンの脳裏に蘇った。

 『hatred』

 不法入居を決め込んでいたオスの心情を形容するのに、実に相応しい名前だと、再度感心せずにいられない。最初はあの建物の周辺に生存するヒト属の声と受け止めていたのだが、憎悪を抱く主の居城の名称の方が、今では相応しく思える。

 「こんどこそ、ころしてやるからな! そのバイタもいっしょにな!」

 顔面に投げつけられた憎悪を、カーウィンは涼風の如く受け流した。

 目前のオスの憤怒の全てを理解できる訳ではないが、かなりの部分理解できる。ヒト属全てに向けてきた謂れのない破壊衝動は、カーウィンとて抱えている。

 その意味においては、目の前のオスの位置に立つのがカーウィン自身であっても、別段不思議ではない。それの憎悪の対象が、自分を除く全てのヒト属に向けられているのと、憎悪の表現方法が、カーウィンと異なるだけだ。

 「……ミスタ・オブライエン……」

 オスの名を口にするだけでも、カーウィンの口の中に苦い味が広がった。生命の危機より、オスと対話しなくてはならない辛酸が、口に苦い。

 「僕を狙う理由が今一つ理解できませんが、それはまず、置いておきましょう。ですが、その警部とミス・アンダーソンは無関係ではないですか。どうして巻き込むのです?」

 足元で痙攣するオスが死んでも、別に不都合はない。床が血で汚れてしまうのには、閉口させられるが。『生命』とは呼べない生命を狙うオスを英雄の名に連ねさせず、血に飢えた凶悪犯として始末するためなら、やむを得ない犠牲で済ませられよう。

 それでも、ミス・アンダーソンを、みすみすそれの餌食にさせる訳にはいかない。彼女を切り刻む楽しみを、他のオスに譲れるものか。

 オスは床に唾を吐き捨てると、死にかける個体を踏みつける脚に力を込めた。

 「わかっててきくんじゃねぇ! てめぇにかたんしたやつら、ひとりもいかしちゃあおけねぇ!」

 もがくオスをさらに踏みにじると、それは背中から銃を抜き出した。

 「このやろーもれーがいじゃねぇ!」

 それは断言すると、銃口をもう一体のオスの頭に定め、躊躇わず引き金を引いた。

 至近距離からの弾丸に、オスの頭蓋が砕け、赤黒い液体と灰色のゼリー状の物体が、白い欠片と共に床に撒き散らされる。

 「何て事を」

 ヒト属の個体数が一体減った喜びよりも、落胆の方が大きかった。精子の乱造・散財が存在意義のオスが一体減ったところで、楽しくも何ともない。生物学の定義では『生物』ですらないのだから、一生命体の死滅と数えるにも抵抗がある。

 殺すのであれば、やはり女性に限る。もし本当にヒト属に真の『知性』があるのなら、属種の維持に必要なだけの女性と、精子製造のための若いオスだけを残せば良いと、とうに理解してしかるべきだ。何も数百・数千万単位の個体数を確保する必要も、理由もない、本来は。

 「てめぇはかんたんにゃあころさねぇ! ジワジワなぶりごろしてやっからな!」

 言うが早いか、それは銃口をカーウィンに向け、引き金を引いた。

 何かがカーウィンの腿に当たった。その感触を頭が知覚する前に、カーウィンの膝は砕け、椅子から転げ落ちていた。

 撃たれたと判っても、爪先が痺れるだけで、痛みは感じない。ただ、立ち上がろうにも脚が言う事を聞かない。

 「へっ! いいザマじゃねぇか。いつもいつも、ヒトをみくだしやがって! たまにゃあみあげてみやがれ!」

 銃口は固定したまま、それはカーウィンを蹴倒した。

 「このていどでこーさんすんじゃねぇぞ。そんなもん、オレさまのうけたいたみとくらべりゃあ、ヘみたいなもんなんだからよ」

 他の個体の痛みを共有できるヒト属などいない。感覚神経が繋がっている訳ではあるまいし、他の個体の痛みが判ると主張する個体は、ただでさえ限られた思考力のほとんどが麻痺しているか、妄想に満ち溢れているに違いない。属種に関わらず、どのような生物であれ、一番痛みを感じるのは自分であって、他の個体ではない。

 そのようなありきたりの事実より、知性の断片もない戯言に、カーウィンは身の危険を感じた。脱走・逃走という過度の緊張が、目の前のオスの病状を進行させてしまったらしい。

 それでもオスが、一気呵成かせいに最後の一発を撃たない事実には、苦笑を禁じ得ない。目標へと近づくにつれ、到達に不安感を生じる『接近・回避の葛藤衝動』の原則は、感情病患者にも対応するらしい。

 倒れたカーウィンの頭を、オスは踏みつけた。

 「おら、ナンかいってみろよ! たかがアシ一ぽんケガしたてーどで、いつものへらずぐちがたたけねぇなんて、いうんじゃねぇぞ」

 「ミス・アンダーソンは見逃してもらえないのかね?」

 声が震えると予想していたのに、いつものように落ち着いた口調で尋ねられた。

 なぶり殺しにされると判っていながらも、不思議と恐怖感は湧かない。自分の身の安全よりも、彼女の無事が気にかかる。

 彼女を殺させる訳にはいかない。オスを殺して満足感を得られる個体なら、カーウィン本人を含め、常にオスだけを殺していれば良い。

 しかしカーウィン自身は、オスを殺しても満足感は得られないのだ。ならば、彼女を殺すに相応しいのは、自分ではないか。

 「ふざけてんじゃねぇ!」

 カーウィンの横腹に、オスは爪先を蹴り入れた。

 「てめぇ、これからブッころされんだぞ! ヒトのシンペーより、てめぇのシンペーでもして、いのちごいのひとつもしたらどうだ!」

 難しい要望だった。

 命乞いはカーウィンの趣味ではない。ましてや、それをオスに見せるなど、虚栄心が許さない。しかも殺害を断固として実行するだろう個体に命乞いなど、時間と労力の無駄ではないか。

 女性にのみ見せる笑みを、カーウィンは向けた。

 「断る」

 真っ向から拒絶されるとは、思ってもいなかったのだろう。それは一時呆けた表情を見せたが、次には顔を紅潮させ歯軋りした。

 「てめぇ……そこまでオレさまをみとめねえってぇのか……!」

 相手の生殺与奪権を握らなければ、他のヒト属から一切相手にされないオスを、どうして認めてやる理由がある。女性なら無条件で認めもするが、オスはまかり間違えても認めはしない。

 「銃を向けなくては尊厳を勝ち得ない相手の、どこを認めてやれば良い?」

 「そうかよ……」

 オスの歯軋りする耳障りな音が、カーウィンの奥歯に響いた。

 銃口はカーウィンから、テーブルの脚に右腕を取られ、隠れる事もできないミス・アンダーソンへと向けられた。

 「……じゃあ、てめぇをうまくたらしこんだ、このバイタからかたづけてけてやろうか! てしたはみごろしにできるだろおがな、てめぇのイロまではどうか、みせてもらおうか」

 しばらく前まで、仲間呼ばわりしていた女性に向けるには、酷すぎる暴言だ。

 彼女が無言でいるのをいぶかしみ、カーウィンは頭を巡らせた。

 ミス・アンダーソンの顔は、人形のように無表情だった。血の気のない蒼白な顔色に、感情の一切が伺えない。大きく剥かれた瞳を、オスに向けたまま硬直している。

 彼女がオスの押し込み以来、一言も言葉を発していないのは、オスの乱暴狼藉に呆れ返ったためだろうか。

 カーウィンは期待した。彼女には、完全に訣別してもらわなくてはならない。

 「彼女には手を出すんじゃない」

 「てめぇにメーレーされるいわれはねぇ!」

 カーウィンの傷ついた脚を、オスは踏みにじった。

 感覚を失っていた脚に、激しい痛みが走った。痛みの余り苦悶の形に口は開くが、呻き声すら上げられない。

 「どうした、いつものイセーのよさはよぉ! そんなてーどのケガで、こえがでねぇなんて、なっさけねぇこというなよな」

 数秒前にミス・アンダーソンを殺害する、と脅した事実を忘れたかのようだ。執拗なまでにカーウィンの脚を踏みにじる。

 「ほらほらぁ! いつもみてぇなへらずぐち、ちったあたたいてみろよ! いっとくけどなぁ、だれかがたすけにきてくれるだなんて、アメぇことかんがえんじゃねぇぞ! てめぇみてぇなアクトー、ヤバくなりゃあ、みんなみすてるもんなんだからよ!」

 思慮分別を欠くオスに、激痛を堪えカーウィンは改めて呆れた。

 元々定かでない善悪の基準を、偉そうに振りかざすところからして理解できない。理解できるのは、基準を設けているのが当のオスであり、それに従えば善、それ以外はすべて悪、という区別だけだ。意見でも思想でも、自分と異なれば悪であり、徹底的に破壊して構わない、という理屈だ。

 実に『異端審問インクィジョン』に相応しい思考法だ。

 次に、『善人』であれば、危機には別のヒト属が救出に来てくれる、と考えている辺りが判らない。ヒト属に限らずどの個体でも、一番重要なのは自身の身なのだ。自身の身に危害が及ぶと判って、助けに来るはずがない。

 もし善人には救援が現れるというなら、裁判の席で、何体のヒト属がこのオスの救援に現れた?

 残念ながら皆無だ。『異端審問インクィジョン』ですら、公判開始前に無関係を主張し、以来音沙汰無しの状態だ。

 カーウィンの手飼いしかいなかったからだと、それは断言してはばからないが、無論そのような事はない。それに敵愾心を抱いていた観衆が大半であったとしても、中には同調し得るヒト属すらいたかもしれない。しかしそれの殺戮現場を目撃し、それが『正義』なる概念による行動だと納得したのは、おそらく皆無だろう。

 『正義』の定義、『強者の利益』を満たせる程には、勝利していない。

 「……まるで君が窮地に陥れば、誰かが助けに来てくれるみたいな口振りだな……」

 「ったりめぇだ! セーギはオレにあるんだ! たすけにこねぇヤツはいねぇ! てめぇとはちげえ!」

 呼吸すら辛いカーウィンの脚に、オスはさらに体重を乗せた。

 論争が無意味だと、カーウィンは絶望に近い認識を得た。

 論争のできないヒト属には、大別して三種ある。精神的に裕福で失う物の多いヒト属。自分の事情一本槍で、相手の話に耳を貸さないヒト属。そして、オウムのように同じ内容を繰り返すしかできないヒト属だ。

 目の前のヒト属の場合、悪い事に二つ目と三つ目が該当している。街談巷説がいだんこうせつを復唱するだけで、理非曲直りひきょくちょくを吟味した事すらあるまい。そんなヒト属から、何か有意義な発想を論争から得られるとすれば、『バカに論争はできない』という再認識だけだ。

 得た認識としては高くついた買い物に、カーウィンは深く反省した。

 自身の破滅程度なら、高い買い物でも我慢できよう。

 理想の挫折の心配もない。ヒト属を絶滅より救うには、個体数を大幅に削減しなくてはならないと、どこかで誰かが真に『理性的な』解決策を行わない限り、絶滅への歯車は止まりはしない。挫折はどう間違えてもあり得ない。

 カーウィンの知る限り、その解決策に最も近いのが、目の前のオスだ。しかしカーウィンにとり幸いな事に、そしてヒト属全体からすれば不幸な事に、それが『正常』な理性を備えていないと、既に多くの報道紙で断言されている。大局的に見れば、カーウィンの死はささやかながら、ヒト属への貢献になる程度で、大した意味など持ちようもない。

 カーウィンの額に、オスは銃口の狙いを定めた。

 「てめぇのあいてしてるのも、そろそろあきた! いのるじかんくれてやる。さっさとしぬよーいしやがれ!」

 カーウィンは頭を左右に振った。いもしない神に祈りを捧げる程、人生に暇を持っていない。ありもしない死後の世界に、安息な眠りを期待する程平穏を求めている訳でもない。死ねば記憶や知識、生きてきた自分そのものすら無に帰す、それだけの事実を恐れ、ありもしない何かにすがる気はない。

 「僕には不要だ」

 オスには不服だったらしい。歯軋りする。命乞いをしてもらえない。祈りを捧げる時間を与える慈悲をかけてやれば拒絶すると、不倶戴天の敵に全てを拒否されていると勘繰ったのかもしれない。

 「……そうかよ……」

 それは引き金を絞る指に力を入れた。

 「止めて!」

 ミス・アンダーソンが声を上げなければ、カーウィンの最後の光景は火を吹く銃口だっただろう。

 彼女の左手には、拳銃が握られていた。

 脳漿を溢れさせて絶命したオスの持ち物だ。カーウィンが時間を稼いでいるうちに、自力で拾い上げたらしい。苦労の跡が、ほつれた髪と右手首の傷に残されている。

 絶体絶命の窮地にありながらも、カーウィンは胸に痛みを覚えた。彼女の白い手首から、赤い血を滴らせるのは、自分の役目だったはず。

 カーウィンに向けていた銃口をそのままに、オスはかつての『仲間』に顔だけを向けた。

 「てめぇ……。マジでオレをテキにまわすつもりか? どういうことだか、わかってんだろうな、え?」

 それは片唇を吊り上げた。

 「ころすぞ。ようしゃしねぇからな」

 とうに威力の失った脅しを、オスは飽きもせずに口走った。これまでの言動から、遅かれ早かれ銃殺するつもりなのを、見抜かれずにいると思っていたらしい。オスの病状の進行が、記憶に影響を与えるのかどうかは確かでないが、観察する限りでは、彼女に向けた暴言の数々が、短期記憶から欠如しているのは否定できない。

 「どうせ卿を射殺した後は、私の番なんでしょ?」

 裁判所で銃口を向けられた恐怖を、彼女は忘れていなかったようだ。その時々の感情で、『仲間』と呼んだ彼女を除去しようとしたのだ、信用できるはずがない。

 実に簡単な事実に、彼女はようやく気づいたようだ。吐き捨てられた暴言の数々も、彼女の判断に助力しているに違いない。

 オスは形相を変えた。

 「マジでオレのテキになろう、ってえのか……? いいタマだ。けどなぁ……てめぇ……オレをうてるのか……?」

 彼女の瞳をよぎった感情は、迷いだった。手が震え、銃口がわずかに下へ傾く。

 「……そうさ……。オレをうてるはずねぇよな……。ナカマだもんな……」

 猫撫で声で『仲間』を主張するオスに、カーウィンは嫌悪感を覚えずにいられなかった。

 「ジェニー……じゅうをおろすんだ……」

 温かみすら感じられる声音で、オスはゆっくりと左手を挙げた。右手の銃口をカーウィンから外そうとだけはしない。

 彼女は答えなかった。答えるべき言葉が見つからなかったのかもしれない。

 「ジェニー……」

 オスに言い募られ、震える彼女の銃口が、更にわずかに下を向いた。それの胸元から反れるものの、銃口を完全に下ろすまでには到らない。

 オスはその隙を逃さなかった。カーウィンの目には止まらない同属を射殺し慣れた、流れるような速さで銃口を彼女へ向ける。

 しかし閃光のような動きは、ミス・アンダーソンにも言えた。それはとりもなおさず、彼女も同様の経験を積んできたと言う、証明のようなものだ。

 火を吹いた二つの銃声は、カーウィンの耳には一つになって聞こえた。



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