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第十話 公判

 仮にも爵位を持つイムグリオイスト家当主の誘拐を企て、殺人未遂にまで発展させた『異端審問インクィジョン』の非合法活動となれば、報道関係者の絶好の的となる題材であろう。

 『異端審問インクィジョン』が違法であると制定され、既に数世紀以上経過しているにも関わらず、自らの正義に酔い血に飢えた輩は、未だ法の目の届かぬ場所で横行闊歩している。そんな活動の被害は、毎年数百体とも言われているが、死骸の発見されない件も多々存在し、行方不明者のかなりの数が、本当は被害者なのではないかとすら囁かれているのが現状だ。

 対する被害者のイムグリオイスト卿は、公の場に滅多に姿を見せないため、知名度こそ高くないものの、孤児院や病院の設立に多額の寄付、奨学金の支給などに尽力しているなどの理由で、知るヒト属からの人気は高い。

 片や非合法活動の殺戮集団、片や一部では好評嘖嘖たる貴族となれば、『異端審問インクィジョン』の裁判事件が人目を引かないはずがない。

 しかし現実は、『異端審問インクィジョン』の一部が逮捕された同夜、年端も行かぬ子供達に立入禁止域で就労を強制していた罪で、同様に逮捕された数体の大人に対する監督不行届の罪状が、主な新聞の第一面を占拠していた。

 現在のところ、未成年者の就労条件に対する法的な規制は存在していない。そのため、悪辣な環境下で強制労働を強いられ、事故死している個体数はかなりになると推測されている。今回の逮捕劇は、行政の対応の遅さをなじる恰好の餌として、取り沙汰されたのだ。

 無論、報道関係者は煽動するだけで付随する責任は一切負う気がないし、読み手の側では児童虐待を改善させようと、本気で苦慮する個体はいない。対岸の火事が足元まで届かなければ、認識力の一切合切が働かなくなるのは、全生命体平等に与えられた能力だ。

 ごく一部の小さな記事のみが、未成年者への悪辣な労働環境に関し、イムグリオイスト卿が苦情を並べた陳述書を過去に多数提出してきたため、『異端審問インクィジョン』の目標にされたのではないかと、憶測するに留めている。だとすれば、子供達を死地に追いやっていた大人達は、少なからぬ『異端審問インクィジョン』との関係もあり得、非合法殺人組織の資金調達源の一部なりが、今回の件で暴かれたとする声も少なくない。

 そんな蛙鳴蝉噪あめいせんそうも日常生活の中に埋もれ、自称『最新の情報通』が口にしなくなった頃に、クリストファー・オブライエンとその一派に対する五度目の公判が始まろうとしていた。


     ○ ○ ○ ○ ○


 数ある犠牲者の中で、唯一の生存者であろうカーウィン・イムグリオイスト卿が、ミス・ジェニファー・アンダーソンの監房を訪問したのは、彼女を始め被告が証言台に立つ当日の午前中だった。

 彼女が敵意を露わに迎えるだろうと予想するのは容易い事だった。その予想に違わず、粗悪な生地の囚人服姿の彼女は、面会者がカーウィンだと認めるや、同伴の警官がいなければ、頬を張り倒してやりたいと言いたげな厳しい視線を向けた。

 露骨な敵意を示す彼女の態度より、予測の簡単な彼女の思考過程に抱く不満の方が、カーウィンにとり強かった。反応の予測できてしまうヒト属のどこが知性的なのか、常々の疑問を改めて感じずにいられない。

 「どうです、監房の生活は?」

 ミス・アンダーソンが独房に入れるよう、イムグリオイスト家の影響力で手配した裏の事情は、おくびにも出さない。手配しなくても、かけられた容疑の内容からすれば、初めから彼女は独房に入れられていただろうが。

 「どう思っているんです?」

 幾分やつれた感のある彼女の反応は、表情の敵意に負けるとも劣らぬ固い口調だ。精神的な苦痛が大きかったのか、監房に送られる直接な原因となったカーウィンへの憎悪のためか、どちらの原因が大きいかは判らない。

 カーウィンは微笑で返答に替えた。

 彼女をここまでやつれさせた関係者に、激しい嫉妬を燃やさずにいられない。彼女が日々苦悶する姿を、自分は見学する事も許されなかったというのに。

 同時に、本来の関心事へと想いが広がる。

 充分量の餌を与えた監房に囚人二ダースばかり押し込み、その反応をぜひとも観察したい。ネズミを対象にした実験では、餌を奪い合う必要がなかったにも関わらず、共食いする結果になっている。鶏でも同じである。ヒト属にも同じ現象が発生しないか、確認したい。

 いや、発生するのはすでに判明している。ミス・アンダーソンの参加していた『異端審問インクィジョン』のように、同属の殺害に存在意義を見出している組織も少なくない。戦争で個体数を減らす健気な活動ならば、それこそ数千年の長きに渡って続けられているし、殺戮を正当化する思想も枚挙にいとまはない。要するに、限られた面積内での同属の個体数が多すぎるため、削減のための大義名分を懸命に探しているだけだ。

 それがどういう訳か、認めたがらない自称『理性人』は幾らでもいる。殺戮は非倫理的であるとの思考が、殺戮を正当化する思想と同じ程昔より連綿と伝えられているのが、ヒト属の自称『理性』の二律背反性を示している。主張するのは生殺与奪権が普段与えられていない、ヒト属階位構図の下層からだと思えるのは、偏見ではない。

 カーウィンにとっては、実に都合の良い思想だ。

 与えられた面積で、殺戮せずに済む個体数まで減らすだけでは満足できない。最後の一個体に到るまで、死滅してもらいたい。

 ヒト属を完全に絶滅させるには、定期的な個体数の減少は歓迎したい現象ではない。何らかの手段で総個体数の九割九分九厘まで減少できたとしても、絶滅ではない。時間さえあれば、個体数は回復してしまう。

 確実なのは、生存環境そのものを、ヒト属の生存に不適なように整備する事だ。ヒト属の絶滅より先に、現存する他の生命体が多数絶滅してしまうが、生き残る属種も多いはずだ。その中から、いずれはヒト属の整備した環境に適応した属種が誕生し、ヒト属の後に地上を闊歩するようになる。

 そして有難い話にこの環境整備は、ヒト属の個体数が増加し続ける限り、勝手に進行していくのだ。余計な労力を注ぐ必要は一切なく、強いて上げるなら、同属が勝手に殺し合わないよう、殺戮は罪悪であるとの思想を広め、無駄に個体が死なないよう法の施行に力を尽くせば良い。

 反面、『異端審問インクィジョン』のような殺戮組織は、そんなカーウィンの目的に反対する思考を持つ。歓迎できない存在だ。だからと言って、『異端審問インクィジョン』で全個体を削除する訳にはいかない。個体数を増加させる目的に反してしまう。

 カーウィンのジレンマはここにある。

 「……卿……?」

 ミス・アンダーソンの声に、カーウィンは物思いから覚めた。微笑んだままなのを思い出し、さらに笑みを深めた。

 「失礼。貴女に見惚れていました」

 彼女は憮然とした。自分を監房に送った張本人が、口にする言葉と想像もしなかったのだろう。

 「そんな事で許してもらえるだなんて……」

 「貴女を救いたい」

 彼女に文句の一つも言わせず、カーウィンは訪問の目的を告げた。

 このまま裁判にかけられれば、有罪は免れまい。死刑の判決を下される可能性とて、決して低くはない。

 いや、法律に照らし合わせれば、それは妥当な判決だろう。彼女が死んでも悔やむ家族はいないし、保護してくれる正当な組織がある訳でもない。『異端審問インクィジョン』のような『人を人とも思わない極悪非道な』組織の一員に、『生きる権利』を与えるべき謂れはない。

 かつての『異端』に向けていたのと同じ目で、ヒト属は彼女に死を宣言するはずだ。

 だからと、手をこまねいて見ている訳にもいかない。彼女を切り刻むのは自分なのだ。誰にもその役は渡さない。

 案の定、彼女は絶句した。

 「一体何を……」

 「法廷では、全て正直に答えて下さい。有罪は免れなくても、最悪の事態は避けられるかもしれません」

 カーウィンが唯一彼女にしてやれる協力だ。彼女を救うために、法を侵害する訳にはいかない。いかに貴族でも、そこまでの権力を持つでもない。

 ミス・アンダーソンは、内心別の期待をしていたようだった。あわよくばカーウィンを利用し、『異端審問インクィジョン』の仲間に加えようと画策していたのかもしれない。

 「役に立たない提案を……。それとも、卿の言う通りの発言をすれば、私が無罪になるよう、裏で便宜を計ってくれるとでも?」

 「まさか。そんな事できるはずないでしょう」

 カーウィンは呆れた。

 法の元の平等を訴え、貴族の享受していた権力のほぼ全てを剥奪したのは、彼女の両親・祖父の時代の出来事だ。それを今になり、自分の保身のため、影響力の行使を求めるなど軽佻浮薄けいちょうふはくではないか。

 もっとも、都合に合わせて付く側を乗り換える二股膏薬こうやくこそが、先見の明の持ち主と讃えられる世の中ではある。

 「できないんですか?」

 「できても、やりません」

 多分、できなくはない。被害者の自分が訴訟を破棄すれば良いだけの話だ。クリストファー・オブライエンやミス・アンダーソンに余罪はいくらでもあるが、証拠隠滅には注意を払う『異端審問インクィジョン』の事、判決の材料になる証拠は簡単に出てこないだろう。

 「私を救いたいと言って、どうしてやらないんです」

 なじる彼女の口調に、カーウィンは一見場違いな笑みを見せた。

 「僕が口出しすれば、貴女だけでなくて……ミスタ……オブライエンも放免になりますから。そこまでは、望みではないのでね」

 この短かい説明では理解できないと、彼女の怪訝な表情を見れば明らかだった。

 一から十まで説明してやる意欲も時間もない。しかし彼女の理解力・想像力・判断力を推し量るには、充分な情報量ではある。

 彼女の見せた反応は、怒りだった。

 「だったら、なぜ私達全員を釈放させないんです!」

 「そして……ミスタ……オブライエンにまた生命を狙われろ、と?」

 「あれは卿が……」

 ミス・アンダーソンが途中で切った言葉の残りは、容易に想像できる。

 『……邪魔しようとしたから……』

 彼女が言葉を切ったのは、クリスの最終目標がカーウィンにあるのだと、思い出したからだろう。

 「そこが判らないんですよ」

 彼女が途切れさせた事を気にせず、カーウィンは前々から抱いていた疑問を口にした。本日の裁判で理由は明かされるだろうが、そこまで待たされたくない。

 「なぜ……彼……の目には、僕が諸悪の根源と映っているのか……。理由を知っていたら、教えてもらいたいですね。……そして、貴女の目に僕がどう映っているのか、もね」

 「私が卿をどう見ていようと、卿には関係ありません。知ったからと言って、何になるんです!」

 答える前にカーウィンは懐中時計を取り出し、時間を確認した。面会時間はもうじき終わる。

 「先日、貴女が銃口を僕に向けた時の事、お忘れですか? 貴女には僕を射殺する理由も、手段も、機会さえ手にしていた。にも関わらず、僕を撃たなかった。僕の善行を知っているからとすら、貴女は言いました。彼……ミスタ……オブライエンとは、意見がまるっきり異なっているじゃありませんか」

 彼女の頬に朱が走った。

 「後悔しています、今では!」

 「聞きたいのはそんな感想ではありません。なぜ、どうして……ミスタ……オブライエンは僕を敵視するのか? 貴女はその事に、どう感じていられるのか? 貴女の個人的な感情は何と言っているのか? この三つです」

 彼女から答えを得られるとは、始めから思っていない。彼女が自身の心を理解しているとも思えない。漠然と周囲の状況に流されているだけだろう。

 答えを求め、視線を宙に彷徨わせる彼女の顔に、苦痛の色がよぎった。オスと異なる見解を持つためなのか、解答を知らないためなのか、そこまでは測り知りようもない。

 敵愾心を反映する視線以外、何事も語ろうとしない彼女にの態度に、解答を知らないからだろうと、カーウィンは見当を付けた。

 珍しい現象ではない。ヒト属の言う『知性』とやらが、ヒト属の信じたい程には高くないのだから、当然と言えば当然だ。

 異なる属種の生命体AとBが出会ったとする。互いに殺し合ったり、どちらかが逃走したりせず、意志疎通を試みたとする。ここまでは知性の現れと認めよう。Aは意志疎通のため、自分の使う手段を懸命にBに伝え、BはひたすらAの言語体系の学習にいそしむとする。やがてAとBの意志疎通が可能となるが、この場合、どちらがより知性的であると言える?

 自分の言語を押し付けるだけで、もう一方の言語を学ぼうともしなかったAか?

 それともAの言語を学習し、我が物としたBか?

 大方のヒト属はBを選ぶだろう。実はAをヒト属、Bを犬達ケイナイン属と仮定しての話だったのだが、理解するヒト属は少ない。

 ヒト属の『知性』など、所詮はその程度の代物でしかない。

 いつまで経っても、ミス・アンダーソンに解答できない、あるいは解答する意志がないと判断すると、カーウィンは会話を打ち切る事に決めた。

 「ミス・アンダーソン、どうやら貴女、……ミスタ……オブライエンに良いように使われていたようですね」

 「勝手に決めつけないで下さい!」

 彼女は不機嫌に顔をしかめた。この期に及んで未だ認識していないのか、事実を指摘されて不快になったのか、判るはずもない。後者であると期待したい。

 「ああ、気を悪くしましたか、失礼」

 カーウィンは微笑みを崩さず、軽く会釈した。

 「当たり前……」

 「そろそろ時間ですね。僕はこれで失礼しましょう」

 彼女の文句に耳も貸さず、カーウィンは再度会釈すると、未練の欠片も見せずに踵を返した。

 「卿!」

 彼女が呼び止めるのも、心細いからではないだろう。じきに始まる裁判の席に、萎縮してしまうような彼女ではない。

 大方、文句を言い足りないのだ。

 カーウィンは判断すると、彼女の声には耳を貸さず、監視の開けたドアを抜けた。


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