女神、逃走計画を立てる
――なお、成功率は低い。
「王として、
そして一人の男として」
「貴女を迎えたい」
「全部、俺が整えます」
――だめだ。
だめだだめだだめだ。
その言葉が、頭の中でぐるぐる回っている。
ぐるぐる。
ぐるぐる。
さっきから一歩も進んでないのに、思考だけが全力疾走している。
研究室の天井は高く、白い石壁はいつも通り冷たい。
薬草の乾いた匂いと、蒸留器のかすかな熱。
ここは、私の城。
逃げ場……の、はず。
「大丈夫」
私は、両手を握って自分に言い聞かせる。
「なんとかなるはず」
口に出した瞬間、すでに説得力がないのが分かる。
でも言わないと、心が折れる。
机の上には、書きかけの研究ノート。
ポーション瓶。
魔力測定用の水晶。
――ここから、どう逃げる?
砦は堅牢。
外は兵。
内は信仰。
詰みの香りしかしない。
そんなことを考えていたら、
――こんこん、と控えめなノック。
「……?」
振り向く前に、扉が開いた。
「メイ!」
「メェエエエイ!」
あ。
両親だ。
次の瞬間、視界が埋まった。
イヴが、迷いなく抱きついてくる。
勢いが強い。
温かい。
花と香油の匂い。
「ちょ、ま、まってお母さま!」
抵抗する暇もなく、ぎゅう。
そこにさらに、影が落ちる。
アダムまで来た。
左右から、ぎゅう。
完全に包囲。
「お父さままで!?」
両腕がふさがる。
背中に、もう一つの腕。
三人分の体温。
逃げ道、消失。
「……重い……」
「元気そうで何よりだ」
元気じゃない。
熱もあるし、詰みかけてる。
視線を上げた、その先。
――開いたままの扉。
その向こう。
砦の者たちが、いる。
兵。
文官。
治癒魔術師。
元奴隷だった人たち。
全員、視線が……優しい。
いや、
生暖かい。
頷いてる。
微笑んでる。
祝福してる。
空気が、やさしすぎる。
「……」
胃が、きゅっと縮む。
私は、ぽつりと呟いた。
「……まだ、逃げれるはず」
声、ちっちゃ。
イヴが、ぴたりと動きを止めた。
「ん?」
アダムも、眉を上げる。
「逃げ?」
やばい。
言葉にした。
逃走計画、口から漏れた。
「い、いや、あの、その」
私は、視線を彷徨わせる。
研究机。
棚。
窓。
――窓。
二階。
下は中庭。
兵だらけ。
無理。
イヴが、にっこり笑った。
底抜けに、明るく。
「……3日後」
「……?」
嫌な予感。
「3日後……?」
その言い方、もう知ってる。
イヴは、はっきり言った。
「結婚式よ」
…………。
世界が、止まった。
「……まだ……逃げ……」
言い切る前に、影が差す。
空気が、変わる。
背筋が、すっと伸びる気配。
振り向かなくても分かる。
「逃がしません」
低く、落ち着いた声。
――ルイ。
いつの間に。
いつから。
振り返ると、そこにいた。
正装。
姿勢がいい。
いつも通りの、穏やかな顔。
なのに。
視線が、完全に獲物を見るそれ。
いや、
守るものを見る目。
逃げ場を計算し終えた目。
「……詰みかけてる!」
思わず叫ぶ。
イヴが、ぱっと振り向いて目を輝かせた。
「まぁ!」
アダムが、咳払い。
「……なるほど」
ルイは、一歩近づく。
距離が、詰まる。
近い。
近い近い近い。
「ご安心ください」
安心できる要素、どこ。
「式の準備は、すでに整っています」
「整わなくていい!」
即ツッコミ。
でも。
周囲が、頷いている。
当然のように。
「女神様ですから」
「王妃様ですし」
「当然ですね」
当然じゃない!!
私は、後ずさる。
一歩。
半歩。
背中が、机に当たった。
逃げ場、ゼロ。
ルイが、少しだけ声を落とす。
「……怖いですか」
怖い。
正直、怖い。
でも。
その声が、優しすぎて。
手が、伸びてこないのが逆に怖くて。
「……ちょっと」
「それで十分です」
十分!?
イヴが、満足そうに頷く。
「大丈夫よメイ」
「え?」
「逃げ場がないってことは」
にこにこ。
「守られてるってことだから」
アダムも、真面目な顔で補足する。
「この男以外に、お前を受け止められる者はいない」
ひどい。
完全に包囲。
私は、天井を見上げた。
白い。
高い。
逃げられない。
「……」
深呼吸。
「……まだ、詰んでないからね!?」
誰に言ってるか分からないけど、宣言。
ルイが、ほんの少しだけ笑った。
「ええ」
その笑みが、静かで、確信に満ちていて。
「まだ、です」
――詰みまで、あと3日。
私は、その事実から目を逸らしながら、
必死に逃走計画を練り始めた。
なお。
成功率は、低い。




