両親、完全に確信する
――「これは逃げられないわね」
窓から見える砦の中庭は、今日も異様に整っていた。
兵の動きが早い。
書類を抱えた文官が走る。
装飾職人が、柱の採寸をしている。
……あら。
イヴは、ふわりと首を傾げた。
「ねぇ、アダム」
「なんだ」
「これ……婚礼準備よね?」
あまりにも、自然な問いだった。
だが、アダムは返事をする前に、しばらく黙った。
腕を組み、石畳の上を歩く人々を見つめる。
視線の先。
赤い布。
金糸。
花の意匠。
王の即位から、まだ日も経っていない。
――早すぎる。
「……ああ」
短く、肯定。
イヴは、ぱちりと瞬きをした。
「やっぱり?」
「やっぱりだな」
二人は顔を見合わせ、同時に息を吐いた。
笑いは、出ない。
その代わり、妙に冷静だった。
「……ねぇ」
イヴが、指先で窓枠をなぞる。
「メイって、逃げられると思う?」
アダムは、即答しなかった。
思い返す。
あの娘は、昔からそうだった。
正面からぶつかる癖がある。
理不尽にも、困難にも、
「なんとかなるでしょ」と笑って突っ込む。
だが。
今回は、相手が悪い。
「無理だな」
静かな声。
「……だって相手、王だぞ」
イヴは、くすりと笑った。
「それも、あの王」
「ああ」
二人の脳裏に浮かぶのは、
黒い髪、黒い瞳。
落ち着いた物腰。
常に一歩引いた位置。
――引いているようで、決して譲らない男。
「……あれね」
イヴが、ぽつりと言う。
「善意の顔して、全部囲うタイプ」
「間違いない」
アダムは、ため息をついた。
「しかも、正攻法だ」
「婚礼も、承認も、民意も」
「全部、正面から整えてくる」
イヴは、肩をすくめる。
「卑怯じゃないのが、いちばん厄介よね」
「逃げ道を塞いでるのに、誰も文句を言えない」
二人の間に、短い沈黙。
遠くで、鐘の音が鳴った。
即位後の儀礼の一つだろう。
「……ねぇ、アダム」
「なんだ」
イヴは、ゆっくりと微笑んだ。
「メイが、他に嫁げると思う?」
アダムは、少し考えた。
学識。
魔力。
影響力。
信仰に近い民意。
そして――。
「……無理だな」
即答だった。
「もう、王以外が相手だと、釣り合わん」
「よね」
イヴは、あっさりと頷く。
「しかも本人、自覚なし」
「そこが一番、恐ろしい」
二人は、同時に娘の顔を思い浮かべる。
研究室で、白衣の袖をまくり、
「詰んでないから!」と笑っている顔。
――詰んでいる。
完全に。
「……あの子」
イヴは、少しだけ声を落とした。
「逃げるつもり、あるのかしら」
「あるだろうな」
「でも?」
「成功しない」
断言だった。
イヴは、ふっと肩を落とす。
「……まぁ」
そして、くるりと明るく言った。
「王妃になるなら、悪くないわよね」
アダムが、横目で見る。
「切り替えが早いな」
「だって」
イヴは、にっこり笑った。
「世界でいちばん娘を溺愛してる男が王なのよ?」
「……確かに」
「逃げられないわね」
その言葉は、確信だった。
逃げ道がない。
守られすぎている。
囲われすぎている。
だが。
「……でも」
イヴは、少しだけ真剣な顔になる。
「幸せそうなのよ、あの子」
アダムは、黙って頷いた。
それが、すべてだった。
窓の外で、再び人が動き出す。
布が運ばれ、
花が運ばれ、
王都が、静かに祝う準備を始めている。
「……行きましょうか」
イヴが言う。
「娘のところへ」
「そうだな」
二人は並んで歩き出す。
その背中には、もう迷いはなかった。
――これは、逃げられない。
だが。
――悪くない。
少なくとも、
娘が“世界に捧げられる”よりは。
そして二人は、同じことを思っていた。
あの王、娘にだけは甘すぎる。
それなら――
任せても、いい。
イヴ&アダム




