詰んでない顔で詰んでいる
……おかしい。
これは、どう考えても、おかしい。
即位式が終わった直後。
砦の中庭を抜けて、回廊を歩いているだけなのに。
やたらと――
通路が空く。
人が、避ける。
避けたあと、深く頭を下げる。
目が合うと、拝まれる。
「…………」
私は、足を止めた。
後ろに控えていたレオが、ぴたりと一緒に止まる。
「……兄貴」
「ん?」
「これ、なに?」
指差した先。
通路の両脇に並ぶ兵士と民。
全員、
右手を胸に添えて、
静かに、祈っている。
祈っている。
私に。
「……いやいやいや」
小声が漏れる。
笑って誤魔化そうとして、口角が引きつる。
「おかしいでしょ!?」
「私、さっきまで床に寝っ転がって王冠ぽすんしただけだよ!?」
レオは一瞬、視線を逸らした。
その反応が、嫌な予感を加速させる。
「……兄貴?」
「……まぁ」
間。
「今のアグナスでは、それ“だけ”じゃないな」
胃が、きゅっと縮んだ。
歩き出す。
進むたびに、道が開く。
視線が集まる。
敬意と、感謝と、信仰が、物理的な重さになって降ってくる。
「……ちがうからね?」
誰に言うでもなく、私は呟いた。
「私、女神じゃないから」
「ちょっと錬金術やってただけだから」
「ちょっと最大強化ミスっただけだから」
――ミスっただけ。
言葉にした瞬間、
思い出される“淡く光る自分の身体”。
「…………」
胃が、きりきりと痛む。
工房――いや、もう“研究室”と呼ばれている場所に戻ると、
様子はさらに悪化していた。
扉の前。
人がいる。
祈っている。
普通に。
「……」
無言で扉を閉めかけたら、
即座に気配がざわついた。
「女神さま……?」
「お戻りになられた……?」
「戻ってない!戻ってないから!!」
思わず声が出る。
慌てて咳払い。
「……研究。研究です」
「研究室、入りますね?」
説明しているのに、
なぜか皆、ありがたそうな顔になる。
――なぜ。
レオが、肩をすくめた。
「もう、何言っても逆効果だぞ」
「嘘でしょ……」
研究室の中は、
相変わらず薬草と魔力の匂いで満ちている。
慣れたはずの場所。
落ち着くはずの空間。
なのに。
扉を閉めた瞬間、
どっと疲れが押し寄せた。
椅子に座り、
机に突っ伏す。
「……詰んでない」
「詰んでないからね、私」
言い聞かせるように呟く。
至れり尽くせり。
食事は完璧。
護衛は過剰。
移動は常に誰か付き。
……いや。
過剰すぎない?
ふと顔を上げる。
研究室の隅。
いつの間にか置かれている、柔らかそうな椅子。
クッション。
毛布。
「…………」
覚えがある。
全部、
ルイの差し金だ。
扉が、静かに開く。
気配だけで分かる。
振り向かなくても。
「……お疲れですか?」
低く、落ち着いた声。
「……ねぇ、ルイ」
振り向くと、
正装を脱いだばかりの彼が立っていた。
王になったはずなのに、
視線は相変わらず、私だけを見ている。
「外、すごいことになってるんだけど」
「そうですね」
否定しない。
しないんだ。
「私、女神扱いされてるんだけど」
「されていますね」
即答。
胃が、ひっくり返る。
「……待って。待って待って!ほんとに待って!」
立ち上がって、両手を振る。
「私、至って普通の人間だからね!?」
「ちょっと強化しすぎただけだから!」
「光るのも多分、そのうち治るし!」
多分。
言い切れないのが、さらに怖い。
ルイは、少しだけ目を細めた。
穏やかな表情。
安心させるような、いつもの顔。
なのに。
「ご安心ください」
その一言が、
なぜか一番、不安を煽る。
「……何が?」
「詰んでいません」
優しい声。
「貴女は、何も間違えていない」
胃が、ずん、と重くなる。
「……それ、私が言うセリフじゃない?」
ルイは、答えなかった。
代わりに、
研究室の外から聞こえてくる声。
「女神さま……」
「お守りください……」
私は、頭を抱えた。
「……私、詰んでないからね!?」
声を張り上げる。
「ほんとに詰んでないからね!?」
返事はない。
ただ、
外の祈りが、さらに熱を増しただけだった。
私は知らなかった。
詰んでいない顔をしている人間ほど、
周囲からは“もう詰ませ終わっている”ように見えることを。
――そして。
それを、
誰よりも早く理解しているのが、
ルイだということを。




