お花畑から現実へ
……あれ。
天井が、遠くない。
白い。
近い。
というか――はっきり見える。
さっきまで、もっとこう……
光が舞ってて、花が咲いて、空を飛んでた気がするんだけど。
「……?」
まばたきすると、視界がきちんと焦点を結んだ。
治癒魔術師の部屋。
白い布。
魔術陣はもう淡く、呼吸するみたいに弱く光っているだけ。
熱――ない。
あ、引いた。
熱が、引いた。
その事実を理解した瞬間。
――どん。
頭の中で、現実が落ちてきた。
「……あ」
自分の両手を見る。
ちゃんとある。
指も、震えてない。
胸に手を当てる。
鼓動。
規則正しい。
生きてる。
生きてる……けど。
「………………」
魔力を、そっと巡らせた。
一瞬。
――ぞわっ。
身体の奥で、なにかが“応えた”。
量が、違う。
質も、違う。
流れが、早い。
……いや。
「……増えすぎじゃない?」
呟いた声が、妙に冷静で、逆に怖い。
治癒と最大強化。
同時進行。
自分で、自分を再構築。
「……あ」
理解した瞬間、背筋が寒くなる。
「……私」
視線を横に向ける。
すぐそこに、黒い影。
椅子に腰掛け、背筋を伸ばして、こちらを見ている。
黒髪。
黒い瞳。
息遣いは静かで、でも目だけが、私を離さない。
――ルイ。
目が合った瞬間、彼の表情が、ほんのわずか緩んだ。
「……お目覚めですか」
低い声。
砦の石壁みたいに落ち着いてる。
私は、喉を鳴らした。
「……多分」
「多分、とは」
「……人間、辞めかけ?」
言った瞬間、空気が止まった。
自分でも、あまりに軽い言い方だと思う。
でも、実感としては、それ。
魔力を巡らせるたび、身体が“余裕”を感じる。
限界が、見えない。
多分……。
「……ルイより、強くなっちゃってる」
沈黙。
一秒。
二秒。
ルイは、否定しなかった。
その事実が、じわじわ来る。
「……詰んだ」
呟くと同時に、布団に倒れ込む。
ばふっ、と音がした。
「詰みかけじゃない。詰んだかもしれない」
天井を見る。
白い。
現実だ。
「……癒しがいる」
ぽつり。
すると。
本当に、さっと動いた。
椅子が静かに引かれる音。
床を踏む、迷いのない足音。
気づけば、視界の端に、籠が差し出されていた。
編み籠。
中には、クッキーと、干した木苺。
……いつの間に。
「どうぞ」
当然のように。
私は、思わず笑った。
「……用意してたの?」
「はい」
即答。
「癒しが必要だと、仰ると思いましたので」
いや、予知能力?
私は、籠に手を伸ばす。
指先で、干した木苺を一つつまむ。
ゆっくり。
確かめるみたいに。
それから、ルイを見る。
「はい。あーん」
言った瞬間、我ながら自然すぎて驚いた。
ルイは、一瞬も迷わない。
膝をついたまま、ほんの少し身を屈めて、口を開く。
視線が絡む。
黒い瞳が、柔らかく細まる。
私の指が、彼の唇に近づく。
唇が、軽く触れる。
――ぴと。
あ。
干した木苺を受け取る、その一瞬。
指先に、温度が残った。
ルイは、ゆっくり噛み締める。
喉が動く。
「……美味しいです」
その言い方が、あまりに穏やかで。
胸の奥が、きゅっとする。
「……癒される!!」
思わず声に出た。
手を胸に当てて、深呼吸。
魔力のざわつきが、少し落ち着く。
まわりの空気が、やっと戻ってきた。
……というか。
「…………」
視界の端。
治癒魔術師たちが、目を逸らしている。
誰かは咳払い。
誰かは、天井を見てる。
甘すぎる。
空気、甘すぎる。
その奥。
「まぁ!!!」
甲高い声。
振り向いた瞬間。
「……お母さま?」
イヴが、両手で口を押さえて立っていた。
目が、きらきらしている。
「なんて……なんて尊いの……!」
「いや違……!」
隣で。
「……咳払い」
低く、わざとらしい音。
アダムだ。
腕を組み、視線を逸らしながら、しかし耳は完全にこちらに向いている。
「……話は後だな」
絶対、後で聞く気だ。
私は、顔が熱くなるのを感じた。
「ち、違うから!これは癒しで!」
「はい」
ルイが、即肯定。
否定、しない。
「……必要な癒しです」
必要な癒しって何。
私は、もう一つ木苺を取る。
今度は、少しゆっくり。
「……はい」
再び差し出す。
ルイは、また口を開ける。
今度は、ほんの少しだけ、距離が近い。
唇が、また触れる。
動きは、丁寧で、静かで。
でも、確実に甘い。
私は、深く息を吐いた。
「……現実、戻ってきた」
でも。
戻ってきた現実が、
こんなに騒がしくて、甘くて、逃げ場がないとは思ってなかった。
「……とりあえず」
私は、布団の上で座り直す。
「詰みかけの身体、ちゃんと把握するところから始めます」
「はい」
ルイは、迷いなく頷いた。
その視線が、離れない。
――あ。
これ。
私、多分。
ほんとに、やらかしてる。
でも。
干した木苺の甘さが、まだ指に残っていて。
「……ま、いっか」
そう思ってしまった時点で。
詰みは、もう始まってる気がした。




