説明不能な熱量
砦の内部は、想像していた「戦後」とは、まるで違っていた。
焼け落ちた壁も、崩れた床もない。
瓦礫の山も、血の池もない。
あるのは、整えられた石畳と、静かに歩く人々の足音。
そして――どこか、満ちている空気。
「……変ね」
イヴは、無意識に腕を抱いた。
寒いわけではない。
むしろ、温度は穏やかだ。
けれど、胸の奥がざわつく。
案内役の騎士は、背筋を伸ばしながら、淡々と説明を続けていた。
「こちらが、前線近くまで伸びていた回廊です」
「ここで、多くの負傷者が……いえ、“救われました”」
言い直した、その一瞬の間。
イヴは見逃さなかった。
誇りと、感謝と、――畏れが混ざった表情。
回廊の脇。
即席だったはずの医療区画は、今では整理され、簡易ながら清潔に保たれている。
そこにいたのは。
歩いている兵。
笑っている兵。
包帯を外し、身体を動かしている元奴隷たち。
「……生きてる」
誰かが、ぽつりと呟いた。
イヴの喉が、きゅっと鳴る。
本来なら。
この国は、もう立ち上がれないはずだった。
――アグナス王国は、国として、ディバン帝国の“奴隷”になっていた。
重税。
人身徴発。
兵も、民も、資源も、削り取られ続ける。
ハーバル王国は、助けを求められた時、手を差し伸べなかった。
正確には――「見捨てた」。
だからこそ、ここにある光景は、理解が追いつかない。
「……解放、されたのです」
案内役の声が、少し低くなる。
「ディバン帝国軍は、壊滅しました」
「我々は……国としての“奴隷状態”から、解放されています」
沈黙。
イヴは、足を止めた。
「……誰が?」
その問いに、即答はなかった。
だが、返ってきた答えは、重い。
「殿下と……」
「戦争の女神様が」
アダムが、深く息を吸った。
戦争の女神。
その言葉が、ここまで現実味を持つとは。
「娘は……何を、した?」
声は低く、抑えられていた。
だが、内側にあるものは、明らかだった。
誇り。
そして――恐怖。
「正確には……」
騎士は、一瞬言葉を選び、
「“全部”です」
それから語られたのは。
魔具の大量生産。
ポーションによる回復と強化。
倒れるはずだった兵が、再び立ち上がった話。
元奴隷たちが、自分の意思で剣を取った話。
そして。
「殿下が生きているのは」
「女神様が、殿下を救ったからです」
イヴは、笑った。
乾いた、信じられない笑い。
「……あの子、そんなことまで?」
膝が、少し震える。
娘が。
追放された娘が。
“見捨てられた国”を、救った。
ハーバル王国が手放したものの、あまりの大きさに、背筋が寒くなる。
「こちらです」
最後に案内されたのは、砦の一角。
重厚な扉の向こう。
扉が開いた瞬間。
――音が、弾けた。
「いっきまーす!!」
元気な声。
次の瞬間。
バーン!!
爆音。
光。
煙。
「きゃああ!!なに!?」
イヴは、思わず叫んだ。
「メェエエエイィイー!!」
煙の向こう。
ゴーグルをずらし、白衣を着た娘が、こちらを振り向く。
「……え?」
目が合う。
一拍。
「……お母さま?」
「お父さま!?」
沈黙。
そして、イヴは一歩踏み出した。
「ちょっと待って」
「戦争の女神って、なに?」
アダムは、工房――いや、研究室を見渡す。
並ぶ器具。
積み上がるノート。
異様な量のポーション。
そして、中央に立つ娘。
「……説明、してもらおうか」
娘は、きょとんと首を傾げた。
「え?」
「私、普通にポーション作ってただけだけど?」
その瞬間。
イヴとアダムは、理解した。
説明不能な熱量の正体を。
――この子は、自覚がない。
国を救ったことも。
王を救ったことも。
“愛される側”に立っていたことも。
イヴは、ため息をついた。
「……ああ、もう」
そして、苦笑する。
「やっぱり、うちの娘だわ」
砦の外で、国は再生を始めている。
だが、この研究室では。
今日も、ただひたすらに――
誰かを救うためのポーションが、作られていた。




