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元奴隷から愛される異世界生活。  作者: ChaCha


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王の速度

朝は、まだ来ていなかった。


砦の中庭に差し込む光は薄く、夜と朝の境界が曖昧な時間帯。

石畳は冷え切り、吐く息が白くなる。


それでも、執務室には灯りがあった。


机の上には書類が積み上がっている。

戦後処理。

物資配分。

負傷兵の配置転換。

旧アグナス領の治安再編。

ディバン帝国軍残党の処遇。


どれも、本来なら数日、いや数週間かけて慎重に詰めるべき案件だ。


だが、俺は迷わない。


羽根ペンを走らせる。

紙を捲る。

封蝋を押す。


一枚、終わり。

次。


思考は止まらない。

視線は流れるように次の行を追う。


――遅い。


胸の奥で、苛立ちが脈打つ。


国務が、遅い。

手続きが、遅い。

承認が、遅い。


こんなものに時間を取られている場合ではない。


俺は、王として立っている。

だが、それ以上に――


一人の男として、焦っている。


「……殿下」


控えめな声。

執務室の扉の前に立つのは、元騎士の一人だ。

かつてアグナス王家に剣を捧げていた男。


「報告は後で」


視線すら向けずに告げる。

男は一瞬、戸惑ったように息を詰めたが、すぐに姿勢を正した。


「承知しました」


扉が閉まる音。


再び、静寂。


――メイ。


名を呼ばない。

呼べば、思考が逸れる。


彼女は今、砦のどこかで、錬金術師として研究を始めている。


それは分かっている。

理解している。


だが。


胸の奥が、ざわつく。


彼女が、動き始めた。


治すために。

救うために。

また、誰かのために。


その選択が、どれほど危ういか。

どれほど、多くの目を引くか。


――分かっているのは、俺だけではない。


ペンを置く。

一瞬、目を閉じる。


脳裏に浮かぶのは、机に向かう彼女の横顔。

ノートに走る文字。

思考に没入したときの、あの静かな熱。


研究を始めた錬金術師は、止まらない。


成果を出す。

名を残す。

必要とされる。


……囲い込まねばならない。


時間を、作らなければならない。


だから、速くする。


国務を。

再建を。

王としての仕事を。


全てを、前倒しで終わらせる。


「次を」


扉を開けずに声を投げる。

待機していた文官が、慌てて入室する。


「こちらが、補給路再編の最終案です」


受け取る。

目を走らせる。

三秒。


「ここを削れ。ここは不要だ。代替案はこれだ」


即答。


文官の目が、見開かれる。


「……殿下、それは……」


「可能だ」


断言する。

迷いはない。


文官は、息を呑み、深く頭を下げた。


「承知しました」


また一つ、片付く。


噂は、静かに広がり始めていた。


――第三王子は、これほどの男だったのか。

――誰も、正しく評価していなかった。

――いや、評価させなかったのか。


元貴族。

元騎士。

文官たち。


彼らの視線が、変わり始めている。


尊敬。

畏怖。

そして、納得。


「……なるほど」


廊下の向こうで、誰かが小さく呟いたのが聞こえた。


俺は、それを気に留めない。


評価など、どうでもいい。


必要なのは、時間だ。


彼女の傍に立つ時間。

彼女を、外に出さないための時間。

彼女が、また“消える”選択肢を持たないようにするための時間。


机に残る書類は、あと数枚。


夜明け前に、全て終わらせる。


それが終われば。


――俺は、彼女のところへ行ける。


胸の奥で、焦りが熱を帯びる。

だが、それは制御されている。


王としての冷静さ。

男としての渇望。


両方を抱えたまま、俺はペンを走らせ続ける。


速く。

もっと、速く。


世界が、彼女に手を伸ばす前に。


急いで。


メイを――

囲い込まなくてはならない。



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