蒸発
世界が、終わった。
そう理解するより先に、視界から色が消えた。
音が、消えた。
風も、熱も、匂いも、全部――意味を失った。
ディバン帝国軍が、蒸発していく。
比喩じゃない。
逃走でも、壊滅でもない。
消失だ。
魔術陣も、詠唱も、陣形も関係ない。
地上に存在していたはずの兵も、魔術師も、将も、
一瞬前まで“敵”だったものすべてが、
光の残滓すら残さず、削り取られるように消えた。
焼け焦げる音すら、なかった。
……静寂。
耳鳴りだけが、残る。
俺は見ることをやめた。
敵がどうなろうと、どうでもいい。
足が、勝手に動く。
一直線。
瓦礫も、死体も、血の海も、全部踏み越える。
膝が、地面に当たる。
転びそうになっても、止まらない。
――そこに。
倒れている。
メイ。
視界が歪む。
心臓が、壊れそうな音を立てる。
「……メイ」
声が、震える。
喉が、裂ける。
駆け寄って、抱き上げる。
軽い。
信じられないほど、軽い。
胸元が、赤く染まっている。
血は、まだ温かい。
「愛してる」
言葉が、溢れる。
止まらない。
「死なないで」
呼吸が、乱れる。
魔力を流そうとして、手が震える。
「捨てないで」
視界が、滲む。
涙か、血か、分からない。
「置いていかないで」
否定してほしい。
怒ってほしい。
「大げさよ」って笑ってほしい。
「ダメだ」
声が、掠れる。
「ダメだ、ダメだダメだ……!」
何度も、何度も、名を呼ぶ。
「メイ」
「メイ」
「メイ……!」
世界が、崩れていく。
王国も、戦争も、復讐も、どうでもいい。
全部、どうでもいい。
この人がいなければ、
世界なんて、存在する意味がない。
腕の中で、彼女が、わずかに動いた。
――生きている。
その事実に、胸が裂ける。
「……ルイ……」
微かな声。
それでも、確かに俺を呼んだ。
「生きて……」
その一言。
命令でも、懇願でもない。
ただの願い。
俺を置いて、
俺を残して、
それでも――生きろ、と。
「……いやだ」
即答だった。
「一緒に生きるんだ」
そうでなければ、意味がない。
彼女の指が、俺の鎧に触れる。
力が、ない。
視界が、真っ暗になる。
「……お願い……」
言葉が、落ちる。
「おいていかないで……」
彼女は、何も言わなかった。
その代わり。
手が、落ちた。
――音がした。
石に触れる、乾いた音。
理解が、追いつかない。
「……メイ?」
名を呼ぶ。
返事は、ない。
呼吸を確かめる。
微かだ。
だが、ある。
それだけが、唯一の救いだった。
俺は、彼女を抱き締める。
強く。
壊さないように。
それでも、離れないように。
「……奪わせない」
誰に向けた言葉かも、分からない。
世界にか。
運命にか。
それとも――彼女自身にか。
ディバン帝国は、地上から消えた。
だが。
俺の世界は、
今、この腕の中で、
壊れかけている。
……女神様。
俺の、女神様。
お願いだ。
生きてくれ。
俺を、
この地獄に、
一人で残さないでくれ。
ルイ・アグナス




