報せ
最初に変わったのは、風だった。
砦の上を吹き抜ける風が、妙に重い。
湿り気を含み、鉄の匂いを運んでくる。
遠くで雷鳴のような低い音が、腹の底に残る。
伝令が到着したのは、昼と夕の境目だった。
馬は泡を吹き、男の喉は潰れかけている。
「――ディバン軍。進軍確認」
その一言で、砦の空気が凍りついた。
「規模は?」
「主力です。およそ……十日」
十日。
短い。
短すぎる。
砦の責任者が、即座に指示を飛ばす。
鐘が鳴り、兵が走り、門が閉じられる。
石壁の内側で、戦争の準備が始まった。
レオが、息を吐いた。
「……きたか」
軽い声だった。
だが、視線はもう遠くを見据えている。
私は、唇を噛んだ。
「……避けられないのよね……?」
誰に向けた言葉でもない。
自分に言い聞かせるような、弱い声音。
答えは、分かっている。
避けられない。
ここは、旧アグナスの要だ。
通せば、民が潰される。
砦の中庭に、人が集まり始める。
――見覚えのある顔が、多い。
足を引きずっていた老人。
咳き込んでいた女。
傷を庇っていた男。
皆、立っている。
背筋を伸ばし、武器を手に。
私が作ったポーションで、回復した人たちだ。
いや、ただ回復しただけじゃない。
身体は軽く、魔力は巡り、
かつてより――強い。
騎士。
戦闘魔術師。
魔術師。
治癒魔術師。
兵士。
猛者。
そして、民。
立場も過去も違う人たちが、同じ方向を向いている。
アグナス王国に仕えていた者たち。
そして、アグナスを失ってなお、捨てなかった者たち。
その中心に、ルイが立っていた。
鎧を着けていない。
だが、その佇まいだけで、場が静まる。
彼が、こちらを向く。
そして――手を差し出した。
私は、その手を見た。
大きくて、硬くて、
たくさんのものを掴んできた手。
一瞬、躊躇した。
ここで?
皆の前で?
だが、目を逸らす暇はなかった。
私は、そっと手を重ねる。
その瞬間。
ぎゅっと、強く握られた。
逃げ場を塞ぐように。
守ると決めたものを、離さないように。
言葉はない。
それでも、伝わる。
――一緒に行く。
号令が響いた。
準備開始。
倉庫が開き、机が並び、
私は一気に思考を切り替える。
ポーション。
回復。
強化。
精神安定。
魔力循環補助。
一本ずつ、手渡す。
飲ませる。
説明する。
「無理はしないで」
「戻ってきて」
「必ず、生きて」
誰も、笑わない。
誰も、軽く返さない。
皆、真剣だ。
……だから。
私は、作った。
作りたくないと、ずっと言ってきたもの。
壊すための道具。
命を奪うための魔具。
手が、震えた。
でも、止まらなかった。
誰かを守るために、
誰かが死なないために、
作らないという選択肢は、もうなかった。
完成した魔具を、机に並べる。
重い。
ただの金属なのに、重い。
レオが、それを見て、目を細めた。
「……覚悟、決めたな」
私は、息を吸う。
「決めさせられた、かな」
ルイの手は、まだ私を握っている。
離す気はないらしい。
砦の外で、風が唸る。
十日後。
戦争が、ここに来る。
私は、もう逃げない。
逃げられない。
――皆が、生きて戻るために。
そのためなら。
私は、いくらでも、作る。




