解除されたはずの鎖
鎖は、確かに解かれた。
魔術式は消え、契約は解除され、身体の奥にあった“縛られている感覚”は、理屈の上では消失している。
……それでも。
呼吸をするたび、胸の内側が軋む。
空白だ。
何かが、ぽっかりと抜け落ちたまま、塞がらない。
自由。
それは、俺が欲していたはずのものだ。
だが今、その言葉は喉に引っかかり、飲み下せない。
砦の部屋は静かだった。
石壁が熱を溜め込み、夕刻の名残を残している。
窓から差し込む光は、鈍く金色に傾き、埃を帯びた空気を照らしていた。
その光の中に、メイがいる。
机に向かい、ノートを広げ、いつものようにペンを走らせている。
最大強化の調整。
俺の身体を、魔力を、限界まで引き上げた、あのポーションの最終記録。
……俺のためだけに作られたもの。
その事実が、胸の奥で熱を持つ。
鎖があった頃。
俺は、彼女に触れる資格を、理屈で理解していた。
主と従。
契約という明確な線。
だが今は違う。
線が、ない。
だからこそ、距離の取り方が分からない。
近づいてもいいのか。
離れるべきなのか。
……答えは、もう出ている。
メイが顔を上げる。
こちらを見る。
何の警戒もなく、無意識に。
「……ルイ。具合、どう?」
その声。
柔らかく、軽く、いつも通りで。
俺を“危険”として認識していない声音。
それが、たまらなく――残酷だ。
喉が鳴る。
息を吸う。
肺に入る空気が、熱い。
俺は、歩み寄った。
床を踏む音は小さい。
それでも、彼女は逃げない。
「……大丈夫です」
声は、思ったより落ち着いていた。
だが、内側は違う。
渇いている。
欲している。
独占したい。
あの光景が脳裏を過る。
皆の前で、俺が彼女の手を取り、口付けを落とした瞬間。
あれは、感謝だった。
忠誠だった。
そして――宣言でもあった。
戻れない位置。
彼女は、その意味を完全には理解していなかった。
だが、世界は理解した。
俺も、理解した。
俺は、もう一歩、近づく。
距離が、消える。
彼女の指先が、わずかに動く。
だが、退かない。
……ああ。
もう、駄目だ。
我慢は、理性の仕事だ。
理性は、とうに限界を越えている。
俺は、そっと彼女の手を取った。
力は入れない。
逃げ道は残したまま。
それでも。
彼女の呼吸が、浅くなる。
「ルイ……?」
その疑問形。
拒絶ではない。
ただの戸惑い。
ゆっくりと、――
彼女の手の甲に、口付けを落とす。
一瞬。
本当に、一瞬。
触れるだけの、浅い接触。
それだけで。
胸の奥が、歓喜で満ちる。
――ああ。
俺は、こんなにも、この人を求めている。
いつも通り。
何事もなかったかのように。
声を出すと、少し震えた。
「続けましょうか」
自分でも分かっている。
鎖は、解かれた。
だが、繋がりは消えていない。
むしろ。
自由になった分だけ、俺の意思で、彼女を選べる。
選ばれている、ではない。
俺が、選ぶ。
その思考に、甘い痺れが走る。
彼女は、まだ混乱している。
理解が追いついていない。
……それでいい。
今は、まだ。
俺は、距離を保ったまま、深く息を整える。
胸の奥の熱を、抑え込む。
だが、渇望は消えない。
欲情も、執着も、独占欲も。
鎖がなくなったからこそ、はっきりと自覚してしまった。
――俺は。
この人なしでは、生きられない。
俺の、女神様はおかしい。
だが。
そう思い続けている俺こそが、
誰よりも壊れている。
ルイ




