選択肢が減っていく
朝の空気は、ひんやりしていた。
砦の中庭に差し込む光が、石畳を淡く照らす。
まだ人は少なく、聞こえるのは水桶の音と、遠くの足音だけ。
私は、深呼吸をひとつしてから歩き出した。
「……今日も忙しくなりそう」
独り言は、すぐに消える。
やることは多い。
考えることも多い。
でも、不思議と足取りは軽かった。
作業室に向かう途中、声をかけられる。
「メイ様」
振り返ると、見覚えのある騎士がいた。
砦の警備を任されている、年配の男だ。
「昨日のポーションの件ですが……」
「あ、はい」
自然に会話が始まる。
効果の確認。
使用量の相談。
次の補給。
いつの間にか、周囲に人が増えていた。
「こちらも、お願いできませんか」
「次は、いつ完成します?」
「名前を、正式に出しても?」
次々と投げられる言葉。
責められているわけじゃない。
むしろ、丁寧すぎるほどだ。
「……えっと」
一瞬、言葉に詰まる。
「無理なものは、無理って言ってください」
「ご負担になるなら、調整しますから」
そう言われると、断りづらい。
「……善処します」
結局、そう答えていた。
部屋に戻ると、作業台の上には追加の依頼書。
紙の重なりが、目に見えて増えている。
「増えたなぁ……」
困ったように笑う。
でも、嫌じゃない。
必要とされている。
役に立っている。
それは、悪い気がしなかった。
「おはようございます」
背後から、落ち着いた声。
「おはよう、ルイ」
振り返ると、彼はいつも通りの距離で立っている。
近すぎず、遠すぎず。
私の動線を邪魔しない位置。
「今日の予定ですが」
そう言って、紙を差し出された。
「補給依頼が三件。
騎士団から、正式な要請が一件。
それと……こちら」
視線を落とす。
砦の印が押された書面。
「……会談?」
「はい。
短時間で済むそうです」
「私が?」
「他に、適任はいません」
即答だった。
「……そう」
考える余地は、あるはずなのに。
なぜか、流れてしまう。
「じゃあ、その後に作業かな」
「はい。
必要な材料は、すでに手配済みです」
「早いね」
笑うと、ルイは小さく頷いた。
「無駄が出ないように」
その言葉に、違和感はない。
むしろ、助かる。
「ありがとう」
そう言うと、彼の視線がわずかに柔らぐ。
それだけ。
会談は、想像以上に穏やかだった。
「無理をお願いしているのは、承知しています」
「ですが、現状では……」
砦の責任者は、深く頭を下げる。
「あなたの支援が、命綱なのです」
重たい言葉。
でも、押し付けがましくはない。
「……できる範囲で」
私は、そう答えた。
その“範囲”が、どこまでか。
自分でも、よく分からないまま。
作業室に戻ると、ルイが待っていた。
「問題は?」
「うん。
思ったより、穏やかだった」
「それは、よかった」
彼は、そう言って一歩下がる。
話題を変えるタイミングも、正確だ。
「昼食を用意しています。
時間を取りましょう」
「助かる」
椅子に腰掛けると、どっと疲れが出た。
「……最近さ」
箸を止めて、何気なく言う。
「選択肢、増えてる気がするのに」
ルイを見る。
「実際は、減ってる気がする」
彼は、すぐに返さなかった。
一拍置いてから、静かに言う。
「必要なものが、明確になってきたのでは」
「……そうかな」
首を傾げる。
「うん。
たぶん、そう」
自分で言って、納得してしまう。
必要なもの。
必要な場所。
必要な役割。
余分な選択肢が、削がれていく。
それは、効率がいい。
合理的だ。
「……まあ、いいか」
深く考えるのは、後でいい。
今は、やることがある。
私は食事を終え、立ち上がった。
「じゃあ、続きをやろう」
「はい」
ルイは、いつも通りの距離で続く。
その背中を、疑いもしない。
選択肢が減っていることに、
気づかないまま。
それが、悪いことだとは、
まだ思っていなかった。




