再興の火種
祝賀の熱が冷めるのは、驚くほど早かった。
砦の中庭に掲げられていた旗は、すでに半分が降ろされている。
色褪せた布が石壁に擦れ、かすれた音を立てていた。
あれほど騒がしかった人の声は、廊下を一つ曲がるごとに薄れ、代わりに聞こえてくるのは、重たい靴音と低く抑えた囁きだけ。
案内された部屋は、簡素だった。
だが、無駄がない。
装飾の代わりに、地図が壁一面に貼られている。
旧アグナス王国全域。
そして、その上に赤い印。
メイは、無意識に眉をひそめた。
(……嫌な地図)
線が、街を囲っている。
道を塞ぐように、喉元を締めるように。
「こちらへ」
そう声をかけた男は、鎧を脱いでいた。
だが、姿勢だけで分かる。
元騎士だ。
名を名乗る前に、彼は一礼した。
深く、だが過剰ではない。
敬意と、切迫した現実が混じった礼だった。
「状況の説明をさせていただきます」
空気が変わる。
祝福ではない。
期待でもない。
これは、報告だ。
「ディバン帝国による統治は、表向きは“秩序回復”とされています」
淡々とした声。
だが、その淡々さが、逆に不穏だった。
「実態は――圧政です」
地図の赤印を、指がなぞる。
「まず、重税。
旧王国領の民からは、帝国本土の二倍以上が徴収されています。
理由は“反乱抑止費用”」
レオが、低く舌打ちした。
「次に、奴隷制度の再拡大」
その言葉に、メイの指先が、わずかに震えた。
「“労働力再編”の名目で、借金や税の未納を理由に、民が次々と登録されていきます。
家族単位で、です」
胃の奥が、きゅっと縮む。
「元貴族、元騎士は――」
別の男が言葉を継いだ。
こちらは年嵩だ。
目の下に、深い影がある。
「監視対象。
職には就けず、移動には許可が必要。
集会は禁止。
武器の所持は、即処罰」
沈黙。
重い。
言葉の一つ一つが、石のように落ちてくる。
「……つまり」
レオが口を開いた。
「民は削られ、元支配層は縛られ、反抗の芽は事前に潰されてる」
「その通りです」
視線が、自然と集まる。
ルイへ。
だが、彼は、まだ何も言わない。
背筋は伸びたまま。
手は膝の上。
表情は、静かだ。
「殿下」
その呼び方に、メイの肩が、わずかに跳ねた。
(また……)
「現実的な話を、させてください」
元騎士の声が、少しだけ低くなる。
「このままでは、冬を越せません。
立たなければ、民が死にます」
直球だった。
感情論ではない。
脅しでもない。
ただの、事実。
「名があるだけでは、足りない。
旗印が必要です。
判断が必要です」
ルイは、ゆっくりと瞬きをした。
その仕草は、あまりにも落ち着いていて、逆に異様だった。
「……すぐには、答えられない」
静かな声。
だが、拒絶ではない。
「軽い決断ではない」
それだけ言って、口を閉じる。
メイは、思わず、視線を逸らした。
(……話が、大きすぎる)
彼女の世界は、ここまで来ても、まだ“旅”だった。
危険はあった。
命のやり取りも見た。
けれど――国を背負う話は、違う。
(私がいる場所じゃない)
胸の奥に、距離感が生まれる。
その様子を、レオは見逃さなかった。
椅子に深く腰掛け、腕を組む。
「避けられないな」
ぽつりと。
誰に言うでもなく。
「火は、もうついてる。
消すか、燃やすかの違いだ」
ルイは、何も言わない。
だが、その瞳の奥で、何かが動いているのを、レオだけが理解していた。
――これは、再興の始まりだ。
祝賀ではない。
選択の話だ。
そして。
その火種は、もう、消えない。




