グレンツ砦
卒業式の春に追放されてから、七ヶ月。
刺すようだった日差しは少し和らぎ、空気に乾いた匂いが混じる頃合いになっていた。
「……快適すぎる」
思わず、独り言が漏れる。
乗り合い馬車の一角。
お尻の下には、ふわふわのクッション。
――ルイのお手製だ。
縫い目は丁寧で、厚みも絶妙。
振動を吸って、身体が揺れにくい。
(家事スキル、もう限界値じゃない?)
そんなことを考えながら、
私は、うとうとと目を閉じて――
……気が付くと。
「……あ」
身体が、傾いている。
正確には。
ルイにもたれかかっていた。
慌てて、口元を押さえる。
(……よだれ、垂れてなかったよね?)
「アホな顔して寝てたぞ」
向かいから、レオの声。
「そこは、可愛い顔してたって言って」
反射で言い返すと、
隣で、くすっと小さな笑いが落ちた。
「ご主人様は、可愛いです」
即答。
「ルイの方が可愛い!」
肩をすくめるレオ。
「やれやれ」
……いつもの空気だ。
ここまで、馬車に揺られながら。
何もなかったわけじゃない。
盗賊に命を狙われ。
低確率なのに、空から来た魔物に絡まれ。
「詰んだ」
……いや、「詰みかけた」危機。
その度に。
レオと、ルイが前に出た。
剣と魔術。
判断の速さ。
迷いのなさ。
結果。
乗り合わせた人々から、
感謝されまくっている。
「ありがとうございました!」
「命の恩人です!」
頭を下げられて、
逆に居心地が悪くなるほどだ。
ぽつり。
「……メイの引き運、ヤバいな」
レオの呟き。
私は、無言で足を踏む。
「痛ッ」
よし。
「おやつ、食べよ」
気分転換は大事。
マジックバックから、
クッキーを三枚。
一枚を、レオに。
「はい。口、開けて」
当然のように、
私の手から食べる。
「おっ。
これ、ナッツとブランデー効いてるな」
満足そう。
次。
一枚を、ルイへ。
こちらも、口を開けて。
ぱくり。
……唇が、指に触れた。
一瞬。
ほんの一瞬。
でも。
嬉しそうな表情が、すぐそこにある。
「餌付けの幸福感」
しみじみと言うと、
二人が同時にこちらを見る。
「これはね、
やった人にしか分からないの」
力説。
「与えた相手が、
嬉しそうに笑った瞬間」
胸の奥が、満たされる。
「……やってみて!」
「なにニマニマしてるんだ?」
レオが言う。
分かってるくせに。
「好きだなって、思ってる」
「俺もだ」
即答。
「俺もです!」
被せるように、ルイ。
「……餌付け慣れしてるなっ!」
笑いが起きる。
その時。
ガタン。
馬車が、大きく揺れた。
どうやら、
最後の拠点に着いたらしい。
御者の声。
人の気配。
――ここまでだ。
「さようなら、ハーバル王国」
心の中で、そう告げる。
前を見る。
ディバン帝国によって、
まだ安定していない。
旧アグナス王国の地。
乗り合い馬車を、
何度も乗り継いで、ここまで来た。
だが。
ハーバル王国、最後の砦まで。
ここから先は。
馬車を購入するか。
……歩きか。
「……先ずは、宿でシャワーしたい」
心の底からの願い。
「酒、酒、肉」
即答する、ダメな大人。
「宿は、
いつも通り、二部屋で準備してまいります」
落ち着いた声。
「ありがとうー」
砦の門が、見える。
グレンツ砦。
要塞のように、
分厚い石壁。
整った守備。
西出口から入っている街。
東出口を抜けたら――旧アグナス。
「……きちゃったなー」
呟きは、軽い。
でも。
胸の奥で。
何かが、確かに動いた。
国境を、越える。
ここからは。
戻らない。
そう、分かっているのに。
隣には、二人がいる。
それだけで。
今は、
進めてしまう自分がいた。




