国宝化する女神印
それは、帰路の途中で始まった。
各国の馬車が、それぞれの国境へ向かう最中。
王都を離れて、半日も経たない頃だった。
「……妙だな」
最初に異変を口にしたのは、北方の老王だった。
揺れる馬車の中。
いつもなら咳き込み、胸を押さえている時間帯。
――それが、ない。
「陛下……?」
側近が恐る恐る声をかける。
「……呼吸が、楽だ」
それだけではない。
背中を丸めていた老王の姿勢が、自然と伸びていた。
「……この感覚……若い頃に戻ったようだ」
側近は、震える手で小箱を見た。
王妃から託された、手土産のポーション。
「まさか……」
その場で、封を切る。
もう一口。
――確信。
「……国宝だ」
老王は、即座に断じた。
「この瓶は、我が国の国宝に指定する」
⸻
別の国では、もっと分かりやすい“事件”が起きていた。
南方の交易国家。
帰還の途中、馬車列が突然止まった。
「何事だ!」
騎士が駆け寄ると、そこには――
「子どもが……」
護衛の一人が抱きかかえているのは、衰弱した少年。
旅の途中で倒れたらしい。
医師は首を横に振る。
「持病です……このままでは……」
その時。
王女が、躊躇いながら小瓶を差し出した。
「……女神様から、頂いたものです」
半信半疑で、ほんの一滴。
次の瞬間。
少年の顔色が、みるみるうちに戻った。
「……え?」
熱が引き、呼吸が整い、目を開く。
「……お母さん?」
その場にいた全員が、言葉を失った。
王女は、ぽつりと呟いた。
「……売れないわね、これ」
売った瞬間に、国が滅ぶ。
誰もが、同じ結論に辿り着いた。
⸻
さらに別の国では。
帰国直後、王城が騒然となった。
「陛下! 農地が……!」
報告に駆けつけると、城外の畑が――
異常なほど、青々としている。
昨日まで痩せていた土地。
作物の育ちが悪かったはずの畑。
それが、一夜にして。
「……女神の祝福だ」
誰かが、呟いた。
原因は、明白だった。
帰還時、女神のポーションを
「念のため」と水に薄め、兵士たちに配っていた。
その残り水を、畑に捨てただけ。
たった、それだけ。
「……この国、今年は飢えないな」
「いや……数年分だ」
王は、即断した。
「ポーションの存在は、厳重秘匿だ」
「同時に――外交文書を準備しろ」
向かう先は、一つ。
アグナス王国。
⸻
こうして。
各国で、同時多発的に起きる“理解”。
・これは医薬ではない
・兵器でもない
・宗教的奇跡に近い
そして、最も重要な結論。
作れるのは、あの女神ただ一人。
⸻
数日後。
アグナス王国の王城には、静かな異変が起きていた。
「……謁見希望が、倍です」
「……またですか」
外交官が、乾いた笑みを浮かべる。
内容は、どれも同じ。
・感謝
・友好
・継続的交流の希望
言い換えれば。
「もう一度、女神に会わせてほしい」
⸻
一方、その頃。
「……あれ? なんか国が静かじゃない?」
私――メイは、首を傾げていた。
「みんな無事に帰れたかなぁ」
「帰れたよ」
ルイが、即答する。
「……ただし、もう戻れないけど」
「え?」
「精神的に」
意味が分からず、私は笑った。
「大げさだなぁ」
その足元で。
ポーション棚の一本が、淡く光る。
――すでに、世界は理解していた。
この瓶一本が、
国家の運命を左右するということを。
そして、自然に定義され始める。
女神のポーション=国家級秘宝。
国宝化。
指定、保管、儀礼。
勝手に。
本人の知らないところで。
⸻
「ねぇルイ」
私は、のんびりと聞いた。
「次、何か作ってほしいって言われたらどうしよう?」
ルイは、微笑んだ。
「断る必要はない」
「ただし――」
彼は、私の手を取る。
「世界は、もう理解した」
「メイの“軽い善意”が、最強だってことを」
私は、きょとんとした。
「……?」
その無自覚さこそが。
この世界で最も恐ろしく、
そして――最も尊いものだと。
誰もが、知り始めていた。




