三日目、帰る者と残る者
三日目の朝は、やけに空気が澄んでいた。
夜明けの光が王都の石畳を淡く染め、前夜までの喧騒が嘘のように静かだ。
広場に集まる人の数も、昨日より少ない。
――そうだ。
今日は「帰る者」と「残る者」が、はっきり分かれる日。
私はその事実を、朝の冷たい空気を吸い込んでから、ようやく実感した。
「……あれ? 思ったより少ない?」
馬車が並ぶ王城前の広場。
昨日までずらりと並んでいた各国の紋章が、ところどころ抜けている。
「帰還を選んだ国は、すでに準備を終えています」
進行役が淡々と告げる。
私は小さく頷いた。
「そっか。……じゃあ、挨拶しないとね」
あくまで軽いノリ。
本当に、それくらいの気持ちだった。
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「こちらは、ほんの気持ちです」
そう言って、私は小箱を差し出した。
中には、私が夜なべして作った――
御守り代わりのポーション。
一国につき、一本か二本。
見た目は透明で、控えめに淡く光るだけ。
「長旅になりますでしょうから。体調管理にどうぞ」
にこっと笑って渡す。
……ただ、それだけ。
それだけの、つもりだった。
⸻
「……女神様、これは……?」
最初に声を失ったのは、小国の老王だった。
ポーションを受け取った瞬間、背筋が伸びる。
呼吸が深くなり、長年の咳が止まる。
「……息が……楽だ」
驚きと困惑が入り混じった声。
隣で見ていた側近が、思わず王の肩を支える。
「陛下……顔色が……!」
「いや……むしろ……若返ったような……」
私はきょとんと首を傾げた。
「え? 効きすぎました?」
しまった、濃かったかな。
ちょっと調整ミス……?
そんな私の内心とは裏腹に。
周囲は、ざわり、と静かに揺れた。
⸻
別の国では、王妃が目を潤ませていた。
「……長年、歩くのも辛かった脚が……」
ポーションを口に含んだだけで、自然と立ち上がってしまったらしい。
「女神様……これは……」
「いえいえ! ただの手土産ですから!」
私は慌てて手を振る。
「旅のお供に、っていうか……ええと……お茶みたいなものです!」
お茶ではない。
絶対に違う。
でも、私は本気でそういうテンションだった。
⸻
結果。
ただの手土産が、各国の王族と貴族を無意識に助けていた。
・長年の古傷が和らぐ
・原因不明の不調が消える
・精神的な重圧が抜ける
そして何より。
「……アグナス王国に、借りができたな」
誰もが、同じ結論に辿り着く。
恩を売ったつもりは、まったくない。
なのに。
恩は、しっかり刻み込まれていた。
⸻
少し離れた場所で。
ルイとレオが、並んでその様子を見ていた。
「……また、やってるな」
ルイが、静かに言う。
「無自覚で、詰みに行ってる」
レオが苦笑する。
「帰る国ほど、逃げ場を塞がれていくっていう」
「本人は『ありがとう!来てくれて!』の感覚だ」
「恐ろしい女神さまだよ、ほんと」
二人の視線の先では。
私が、次の国の代表に向かって、にこにことポーションを渡している。
「またね! 気をつけて帰ってね!」
その一言で、相手の人生が変わるとも知らずに。
⸻
一方、残る者たち。
帰る決断ができなかった国。
あるいは、残ることを選んだ国。
彼らは、遠巻きにその光景を見ていた。
――帰る国にすら、あれだけの恩を配る。
では、残った自分たちは?
口に出さずとも、答えは明白だ。
この国に滞在する限り、
この女神の影響圏から、逃れられない。
「……残って、正解だったな」
誰かが、ぽつりと呟く。
⸻
最後の馬車が動き出す。
私は大きく手を振った。
「また来てねー!」
軽い。
本当に、軽い。
去っていく国々は、深々と頭を下げる。
もう一度、この国に来る理由ができた。
いや――来ざるを得なくなった。
それを、彼らはよく分かっている。
⸻
「ふぅ……終わったぁ」
私は、ようやく一息ついた。
「疲れた?」
いつの間にか隣にいたルイが、肩に手を置く。
「ちょっとだけ。でも、楽しかったよ」
そう答えると。
レオが、後ろから肩をすくめた。
「世界を相手に詰ませてる自覚、ある?」
「え? なにを?」
本気で分からない私に、二人は同時にため息をついた。
「……いや、いい」
「このままでいてくれ」
そんな言葉を残して。
三日目の朝は、穏やかに――
そして確実に、世界の勢力図を塗り替えながら進んでいった。




