王妃披露、正式再開
静まり返った。
それは命令ではない。
号令でもない。
ただ、玉座の前に立つ王が、視線を上げただけだった。
視線が動く。
それだけで、ざわめきが剥がれ落ちるように消えていく。
先ほどまで張りつめていた緊張も、混乱も、
誰かが立ち上がった衝撃も、
一瞬で「過去」へ押しやられた。
――再開だ。
進行役は、喉の奥で唾を飲み込む。
息を吸うと、胸がわずかに重い。
王の魔力圧が、式典の空気を“王のもの”として塗り替えている。
だが。
その圧の中心に、もう一つの存在がある。
女神席。
王の斜め前、最前列。
柔らかな光の膜に包まれたように、彼女はそこにいた。
女神――そう呼ばれる存在。
彼女が、小さく、ほんの小さく何かを呟いた。
その瞬間。
空気が、きしんだ。
胸が締め付けられる。
息が、浅くなる。
魔力圧が、一段、強くなる。
会場の誰もが、同時にそれを感じた。
喉元に、見えない手を添えられたような圧迫感。
「……っ」
誰かが、声にならない息を漏らす。
だが――次の瞬間。
ふわり、と。
温度が変わった。
甘やかで、やわらかい、吸い寄せられるような心地。
胸の奥が、じんわりと温まる。
呼吸が、戻る。
「……楽、になった」
誰かが、無意識に呟いた。
女神だ。
彼女が、無自覚に放つ治癒の気配が、
王の圧を“相殺する”のではなく、包み込んだのだ。
壊さず、消さず、調和させる。
進行役は、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
――引き離してはいけない。
この二人は。
王と女神。
破壊と癒し。
どちらかが欠ければ、世界は傾く。
引き離せば、均衡が崩れる。
進行役は、震えそうになる手を抑え、声を整えた。
「――王妃披露を、正式に再開いたします」
声が、よく通る。
不思議なほど、空気が素直に従った。
視線が集まる。
玉座。
女神席。
誰も、もう動かない。
……いや。
一人だけ、視界の端で引っかかる存在があった。
桃色。
淡い色の髪。
場違いなほど軽い気配。
進行役は、眉をひそめる。
あの女は、誰だ。
場の空気を理解していない。
理解しようともしていない。
しかも。
エリック・ハーバルが、慌てた様子でその女の腕を取っている。
引き寄せる。
抑える。
まるで、何かを起こさせまいとするかのように。
――何様だ?
この場は、アグナス王国の式典。
王と女神が並び立つ、国の命運を示す場だ。
個人的な感情で割り込む余地など、欠片もない。
進行役は、視線だけで護衛に合図を送る。
騎士たちが、音もなく配置を詰める。
女神席の周囲では、
一人の男が、すでに剣に手を掛けられる距離で立っていた。
護る者。
あの姿勢は、迷いがない。
女神に一歩でも近づけば、斬る――そういう立ち方だ。
王は、何も言わない。
だが、視線はすべてを把握している。
進行役は、改めて理解した。
この場は、試されているのだ。
誰が、空気を読めるのか。
誰が、序列を理解しているのか。
誰が、“王妃”という存在の意味を受け止められるのか。
そして。
誰が、敗者なのか。
「――では」
進行役は、声を張った。
「アグナス王国王妃、御披露目に移ります」
空気が、完全に定まる。
逃げ場はない。
誤魔化しも効かない。
女神が、そこにいる。
王が、隣に立っている。
それだけで、十分だった。
式典は、再び動き出した。




