元婚約者も乱入
呼吸が、うまくできない。
胸が、きゅっと縮んで、
空気を吸っているはずなのに、肺まで届かない。
「……っ」
指先が、冷たい。
震えが、止まらない。
レオに守られている。
剣を抜ける距離に、彼が立っている。
分かっている。
今の私は、“守られる側”だ。
それでも。
身体は、過去を覚えている。
追放された広間。
断罪の声。
視線。
逃げ場のなさ。
全部が、今の光景と重なって、
頭の奥で、警鐘みたいに鳴り続けていた。
(やだ……)
(また、なの……?)
その時だった。
人の流れを割るように、
ひとりの男が、こちらへ向かってくる。
慌てた足取り。
取り繕う余裕もない顔。
――エリック。
元婚約者。
ミアを回収するために来たのだと、
理屈では、すぐに分かった。
でも。
彼が、立ち止まった。
距離は、ほんの数歩。
その瞬間。
視線が、絡んだ。
「――っ」
心臓が、跳ねる。
逃げたい。
逸らしたい。
なのに、身体が、動かない。
エリックが、息を飲むのが、分かった。
はっきりと。
分かるほどに。
目を、見開いて。
まるで、信じられないものを見るみたいに。
「……本当に……メイか?」
その声は、震えていた。
確認するようで、
否定したいようで。
「……ひっ」
喉から、短い声が漏れる。
怖い。
理屈じゃない。
ヒロインと、元婚約者。
二人が、同時に、視界に入る。
(また……?)
(また、イベント……?)
頭が、ぐらりと揺れる。
私は、反射的に、
レオの袖を、引っ張っていた。
「……っ」
声にならない。
助けて、の代わりに、
指先に、力を込める。
レオは、即座に理解した。
視線を、一瞬、騎士たちへ走らせる。
ルイが合図した方向とは、別の騎士へ。
それだけで、十分だった。
「――こちらへ」
低く、しかし明確な声。
次の瞬間。
配置が、変わる。
レオの指示により、
騎士たちが、自然な動きで前に出る。
囲う。
遮る。
距離を、作る。
「失礼いたします」
丁重な口調。
だが、有無を言わせない。
ミアの腕が、やさしく、しかし確実に取られる。
「ちょ、なに!? 私は――!」
甲高い声。
何かを喚いている。
聞き取れないほど、感情的な言葉。
エリックは、一瞬だけ、こちらを振り返った。
私を見る目。
さっきとは、違う。
混乱と、焦燥と、
――何か、取り返しのつかないものを失いかけているような目。
でも、彼は、何も言わなかった。
騎士に促され、
ミアと共に、別部屋へと退場していく。
扉が、閉まる。
ざわめきが、少しずつ、遠のく。
私は、その場で、息を整えることしかできなかった。
「……はぁ……」
肺が、ようやく、空気を受け入れる。
膝が、まだ、少し笑っている。
「大丈夫だ」
レオの声。
近い。
「ここは、アグナス王国だ」
その言葉で、
ほんの少し、現実に戻る。
でも。
怖さが、完全に消えたわけじゃない。
私は、小さく、呟いた。
誰に聞かせるつもりもなく。
「……この国から……逃げる?」
本当に、かすかな声。
それでも。
拾われた。
「――行くなら一緒にだ」
レオ。
同時に。
「――逃がしません」
低く、静かな声。
ルイ。
二人の声が、重なる。
私は、ぎゅっと目を閉じた。
(……詰んでる)
来賓の滞在期間は何日あっただろうか。
嫌な確信だけが、
胸の奥に、重く残っていた。




