殺したはずの女
なに、これ。
一歩、王都の大広間に足を踏み入れた瞬間。
まず、そう思った。
空気が、違う。
重いわけじゃない。
むしろ、軽い。
胸の奥が、ふっと緩む感じ。
――呼吸が、しやすい。
「……なに、この演出」
私は小さく息を吸って、吐いた。
気のせいじゃない。
周囲の人間も、同じ反応をしている。
ざわめきが、いつもと違う。
騒がしいはずの式典前なのに、声が低い。
落ち着きすぎている。
それでいて――
どこか、熱を帯びている。
視線が、ひとつの方向に集まっていた。
ああ、はいはい。
理解したつもりになる。
これは、あれだ。
「女神枠」
続編モノでよくあるやつ。
世界観を一段引き上げるための、派手な演出。
主人公が選ばれる前に現れる、象徴的な存在。
どうせ、そういう役割。
私は、そう処理しようとした。
だって――
悪役令嬢なんて、もう用済みでしょう?
一作目で退場して、
ヒロインの踏み台になって、
物語から消える存在。
続編に出るなら、
新しい“邪魔役”が必要になる。
だからこれは――
使い回し枠。
見た目だけ派手な、記号的キャラ。
……そう思った、その瞬間だった。
違和感が、走った。
視線の先。
光の中に立つ、その女。
金色の髪。
碧い瞳。
立ち姿。
胸の奥が、ざわり、と揺れる。
「……あれ?」
知らないはずなのに。
知らない存在のはずなのに。
――知っている。
理屈じゃない。
記憶よりも先に、身体が反応する。
甘やかな香りが、流れてくる。
香水じゃない。
花でも、薬草でもない。
なのに――
胸が、温かくなる。
「……呼吸、楽……」
誰かが、そう呟いた。
私も、同じだった。
否定しようとして、できない。
“演出”で片づけられない。
顔立ち。
髪の色。
立ち方。
距離感。
記憶の底に、強く焼きついている。
――あの女。
喉の奥が、ひくりと鳴る。
「……まさか」
そんなはず、ない。
だって――
私は、確かに。
暗殺者に、依頼した。
確実な方法で。
痕跡も残らない。
「成功率は高い」と言われた。
だから。
死んだはず。
生きているはずがない。
ここに、いるはずがない。
なのに。
視線が、離れない。
光に縁取られた輪郭。
睫毛の一本一本まで、はっきり見える。
あまりに、現実的だ。
「……メイ・シルヴァ?」
声には、出さない。
出せない。
認めたら、壊れる。
これは、錯覚。
偶然、似ているだけ。
そうだ。
続編の悪役令嬢枠なんでしょう?
名前も、立場も違う。
“設定上”は、別人。
そう処理しなきゃ。
なのに。
身体が、拒否する。
心臓が、早い。
指先が、冷たい。
あの女が、ここにいるという事実を。
生きているという可能性を。
私は、唇を噛んだ。
違う。
違う、違う。
見間違い。
使い回し。
そういう演出。
……そう、思わなきゃ。
私は、まだ動かない。
近づかない。
声も、出さない。
ただ、内側だけが、ざわついている。
――殺したはずの女が。
ここに、いる。
それだけで、
世界の前提が、少しずつ、崩れ始めていた。
ヒロイン・ミア




