女神の入場前
控えの間は、やけに静かだった。
厚い絨毯が足音を吸い、
高い天井から落ちる光は柔らかいのに、
空気だけが、張りつめている。
鏡の前に立つ私は――いや、立たされている私は、
自分の姿を見て、思わず肩を落とした。
「……ほんとに、この衣装じゃなきゃダメ?」
返事は、なかった。
というより、できなかったのだと思う。
白を基調にした絹の衣装。
重ねられた布は軽やかで、動くたびに波打つ。
問題は、その“軽やかさ”だった。
ところどころ、ほんのり透けている。
ほんのり、だ。
本当に、ほんのり。
……なのに。
「私……詰むよ……!?」
思わず声が裏返る。
だって。
私は、今――
淡く、煌めいている。
比喩じゃない。
物理的に、だ。
呼吸に合わせて、
心拍に合わせて、
感情が少し動くだけで、
肌の奥から、光が滲む。
(だめだめだめだめ)
ここに至るまで、私は必死だった。
なんとかして、
せめて、
この“物理的なキラキラ”だけでも抑えようと。
薬草を組み合わせ、
調合を変え、
魔力の巡りを調整し、
夜通し、ノートを埋めた。
早急に! 早急に治さねば!
そう思って、ルイを振り切って、頑張った。
……頑張った、のだが。
結果。
「……なぜ増すかなぁ……なぜぇ……」
煌めきは、減るどころか、
むしろ澄んで、増していた。
失敗だ。
完全に、研究者としての失敗だ。
背後で、気配が動く。
「今日も、そなたは輝いていて美しいなぁ」
聞き慣れた、軽い声。
「……兄貴」
振り向いた瞬間、
私はそのまま、レオを睨みつけた。
「兄貴、わかってるくせに! ひどい!」
「ははは!」
悪びれた様子もなく、レオは笑う。
でも、その視線は、冗談だけじゃなかった。
「本当に美しいよ」
一拍。
嘘でも、お世辞でもない声音。
私は、ほんの一瞬だけ、言葉を失ってから――
視線を逸らして、ぽつりと返す。
「……ありがとう」
その瞬間、
また、光がふわりと強くなった。
(ああもう!!)
「癒しがいる!」
半ば叫ぶように言うと、
待ってましたと言わんばかりに、
すぐそばに控えていた者が、籠を差し出した。
……なにこれ、恐い。
中には、
小さく焼かれた胡桃クッキー。
香ばしくて、
一口サイズで、
明らかに“私用”。
私は一枚つまみ、
考える前に口に運ぶ……前に、止めた。
ちらり、とレオを見る。
「はい。あーん」
一瞬、レオが目を瞬かせたあと、
屈んで、素直に口を開けた。
ぱくり。
「お。サクサクして美味い」
屈託のない笑顔。
昔と変わらない、兄貴の顔。
それだけで。
「……癒される!」
肩の力が、すとんと抜けた。
その時。
「――まもなくでございます」
低く、はっきりとした声。
控えの間の空気が、切り替わる。
私は、思わず、深く息を吐いた。
「……行くしかないのよね」
逃げ道はない。
分かってる。
分かってるけど、言いたかった。
「大丈夫だ」
レオが、すぐ隣に立つ。
「俺もいる」
その一言で、胸の奥が少しだけ温かくなる。
「兄貴っ!!」
私は、ぎゅっと拳を握った。
煌めきは、まだ消えない。
むしろ、期待に反応して、微かに強くなる。
(……詰んでる気はするけど)
(でも)
私は、前を向く。
扉の向こうには、
整えられすぎた静寂と、
数え切れない視線と、
“女神”という席が待っている。
――それでも。
私は、自分の足で。
一歩、踏み出した。




