最前列が空いている理由
王都中央広場に面した大聖堂は、
この国が「再興」を宣言するに相応しい静けさに包まれていた。
騒がしさはない。
ざわめきもない。
あるのは、整えられた秩序と、
張り詰めた空気。
石段は磨かれ、
柱には新たに彫られた紋章が刻まれている。
――アグナス王国。
かつて敗れ、
奴隷のように扱われ、
滅びたはずの国。
その名が、今や各国の使節を沈黙させていた。
最前列。
誰もが無意識に、そこを避けていた。
王の席より一段低く、
だが、誰よりも中央。
神官の導線。
儀式の起点。
視線が、必ずそこへ収束する位置。
「……あそこは?」
小声で、誰かが尋ねる。
「王妃の席か?」
「いや……」
返事をしたのは、年配の外交官だった。
声が、わずかに低くなる。
「女神の席だ」
空気が、微かに揺れた。
誰も、笑わない。
冗談だと切り捨てる者もいない。
なぜなら。
この国の再興は、
剣でも、血でも、
王のカリスマでもなかったからだ。
――“彼女”がいた。
戦場で、
砦で、
国境で。
死にかけた兵が立ち上がり、
魔力を使い切った魔術師が再び詠唱し、
壊れた魔具が動き出した。
理由は一つ。
「女神様が、手を差し伸べたからだ」
それが、公式の説明だった。
誰も、否定しなかった。
否定できる者が、いなかった。
席が、用意される。
白い布。
淡い金の縁取り。
光を反射する素材。
だが、過剰な装飾はない。
豪奢ではない。
威圧もしない。
それなのに。
あそこに座る者が、この式典の“核”になる
誰の目にも、はっきり分かった。
「王妃の席は?」
別の使節が、恐る恐る聞く。
「王の隣だ」
「……では、あの席は」
返事は、静かだった。
「王が、選ばれた証の席だ」
選ばれた。
王が、ではない。
“選ばれた”のは、王のほうだ。
一方、その光景を――
少し離れた場所から、
ハーバル王国の一団が見ていた。
誰もが、言葉を失っていた。
「……最前列、空いてるな」
誰かが、そう呟く。
ミアは、無意識に背筋を伸ばした。
(あ、あそこね)
心臓が、弾む。
(ヒロイン席)
王妃未定。
王が即位したばかり。
各国の視線が集まる式典。
――最前列が空いている理由。
ミアの中では、答えは一つだった。
(演出よね)
(あとで、呼ばれるやつ)
(私が、歩いていくの)
胸の奥が、甘く疼く。
だが。
周囲の反応が、想定と違った。
誰も、あの席を「欲しそう」に見ていない。
むしろ、距離を取っている。
近づかない。
触れない。
視線も、長く向けない。
(……あれ?)
ミアは、初めて違和感を覚えた。
(なんで、誰も狙ってないの?)
(王妃の席なのに?)
その時。
神官が、低く告げる。
「――女神様、ご入場の準備を」
空気が、一段、沈んだ。
誰もが、立ち上がる。
誰もが、息を止める。
ミアの思考が、そこで一瞬、止まった。
(……女神?)
(設定? 役割?)
(続編の新ギミック?)
理解が、追いつかない。
だが。
その“理解の遅れ”こそが、
この国とミアの、決定的な距離だった。
最前列の席は、
誰かが選ばれるための場所ではない。
すでに“そこにいる者”のために、
最初から用意されていた席だった。
――その事実に気づく者は、
この場には、まだ少なかった。
もちろん。
ミアも、その一人だった。




