空気の違い
馬車の扉が開いた瞬間、
ミアは思わず背筋を伸ばした。
――空気が、違う。
王都。
それも、ただの王都じゃない。
石畳は磨き上げられ、道の端に並ぶ街灯は装飾され、建物の壁には新しい旗がはためいている。
「……すご」
思わず、声が漏れた。
視界に入る人の数が多い。
しかも、皆、背筋が伸びている。
歩き方に迷いがない。
誰かの顔色を窺う様子もない。
戦後の国?
滅びかけた国?
――嘘でしょ。
「これ……続編よね」
胸の奥が、きゅっと高鳴った。
前世の記憶が、ざわつく。
乙女ゲームの続編。
世界観が一新され、舞台が変わり、新しい攻略対象が増える――あの感じ。
(あー……そういうことかぁ)
ミアは、勝手に納得した。
だから、こんなに雰囲気が違う。
だから、誰も私を見ていない。
まだ、“ヒロイン”として認識されていないだけ。
「つまり……」
唇が、自然と笑みを描く。
「この国が、次の舞台ってことね」
馬車を降りる。
裾を整え、髪を撫でる。
――見られていないのに、所作は完璧。
だって、私はヒロインだもの。
周囲を見回す。
兵士たちがいる。
騎士たちもいる。
だけど、誰も、過剰に注目してこない。
(あ、これはまだ“フラグ前”ね)
ゲームだって、最初はこんなものだ。
街に入っただけじゃ、イベントは起きない。
「式典が本番、ってことね」
ミアは、軽く息を吸った。
鼻腔を満たす香り。
焼き立てのパン。
花。
香油。
どれも、安定した国の匂いだ。
(……あれ?)
一瞬だけ、違和感が刺さる。
戦争直後の国って、
こんな匂い、する?
まあ、いいか。
(どうせ、私が来るから整えたんでしょ)
都合よく解釈して、ミアは笑った。
視線の先。
大通りの向こうに見える、巨大な建造物。
王城。
高く、白く、威圧感がある。
でも、怖くない。
(あそこが、私の舞台)
胸が、どくんと鳴る。
「王妃は……まだ未定、よね」
招待状には、そう書かれていた。
“即位後初の大式典”
“公爵家叙任”
“王妃の正式披露”
披露、ってことは――。
(まだ決まってない)
そういうこと。
「じゃあ、選ばれるのは……」
自分の胸に、指先を当てる。
「私でしょ」
当然だ。
前世でも、そうだった。
私は選ばれる側。
愛される側。
世界は、私のために用意される。
エリックだって、そうだった。
――少し、飽きてきただけ。
今度は、違うタイプがいい。
もっと強くて。
もっと重くて。
もっと、私を中心に回る男。
(逆ハーレムも、アリよね)
くすり、と笑う。
その瞬間。
通りの端で、誰かがこちらを見ていた。
……いや。
正確には、見ていなかった。
視線は、もっと先。
王城の方向。
あるいは、空。
祈るような姿勢。
胸に手を当て、頭を垂れる人。
(なに、あれ)
宗教?
式典前だから?
「変なの」
ミアは、肩をすくめた。
自分とは無関係だと、判断した。
――だって。
この国は、私のものになるのだから。
ここにある空気の違いも、
張りつめた静けさも、
不自然なほどの秩序も。
全部、ヒロインの登場を待っているだけ。
そう、信じて疑わなかった。
王城を見上げ、ミアは微笑む。
「待っててね」
誰に言ったのかは、分からない。
「私が、主役だから」
その言葉が、
この国の“本当の空気”と、
どれほど噛み合っていないかを。
――ミアだけが、まだ知らなかった。
ヒロイン・ミア




