招待状は、祝祭の顔をして
書斎は静かだった。
分厚い石壁が外界の音を遮断し、窓から差し込む午後の光だけが、机の上の羊皮紙を照らしている。
インクの色は深い紺。
王の印章に相応しい色だ。
羽根ペンを置いた瞬間、インクの匂いがわずかに立った。
それは、血の匂いとはまるで違う。
だが――同じくらい、人を殺せる。
俺は、最後の一文をもう一度読み返す。
形式。
語調。
敬意の置き方。
どこにも、隙はない。
完璧に、礼儀正しい。
それが、この招待状の肝だった。
「……よろしいかと」
背後で、外交官が低く声を出す。
彼の呼吸は落ち着いているが、喉の動きが、わずかに早い。
理解しているのだ。
これが、ただの式典招待ではないことを。
「文面に、威圧はありません」
「ですが、拒否権も存在しません」
俺は、わずかに口角を上げた。
「それでいい」
威圧は、必要ない。
脅しも、剣も、魔術も。
もう要らない。
王という立場は、それ自体が刃だ。
机の上には、三つの項目が整然と並んでいる。
・即位後、初となる大式典
・シルヴァ家 公爵家叙任の儀
・王妃正式披露
どれも、祝うための言葉だ。
祝祭の言葉だ。
だが、この三つを同時に提示された時点で、意味はひとつしかない。
――アグナス王国は、もう「戻った」のだ。
否定する余地はない。
疑うことも許されない。
「ハーバル王国側の反応は?」
「……断れません」
即答だった。
外交官の声には、僅かな確信が滲んでいる。
「もし不参加を選べば」
「それは、国際社会において“存在しない”と宣言するに等しいかと」
俺は、頷いた。
正しい。
今のアグナス王国は、もう“助けを乞う側”ではない。
選ばれる側でもない。
呼ぶ側だ。
「使節団の規模は、先方に任せる」
「だが――」
俺は、ペンを取り、封蝋を確かめながら続ける。
「“王族の臨席を歓迎する”と、明記しろ」
外交官が一瞬、目を伏せた。
「……第二王子殿下も?」
「当然だ」
声は、静かだった。
感情は、混ぜない。
混ぜる必要がない。
ただの、現実の提示だ。
「式典は、世界に開かれる」
「だからこそ、全員が揃っている方が、美しい」
外交官は、深く一礼した。
「承知しました」
封蝋が、ゆっくりと溶ける。
赤い蝋が、紋章の下に広がり、固まっていく。
それを見つめながら、俺は一度だけ、思考を逸らした。
――メイ。
今頃、研究室だろう。
胃を押さえながら、何かを「詰んだ」と言っているに違いない。
この招待状の意味も、
これから起きることも、
彼女は、まだ知らない。
それでいい。
彼女は、何もしなくていい。
何も言わなくていい。
ただ、そこに立っていてくれればいい。
世界は、それだけで理解する。
――誰が選ばれたのかを。
俺は、封を閉じた招待状を、外交官に差し出した。
「届けろ」
「最速で」
外交官は、それを両手で受け取る。
まるで、爆弾でも扱うように慎重に。
「……これは」
言いかけて、彼は言葉を飲み込んだ。
俺は、視線を上げないまま、静かに告げる。
「祝祭だ」
ただ、それだけ。
「罠は、まだだ」
招待状は、祝祭の顔をして、
ゆっくりと、ハーバル王国へ向かっていった。
その先に待つのが、拍手か、沈黙か。
――選ぶのは、向こうだ。
誤字脱字修正しましたm(_ _)m




