ハーバル王国側の公式反応
王城の会議室は、やけに広く感じられた。
高い天井。
磨かれた長机。
壁に掛けられた歴代王の肖像。
どれも昨日までと変わらないはずなのに、空気だけが、ひどく薄い。
「――これは、事実ではない」
最初に口を開いたのは、宰相だった。
書簡を机に叩きつける音が、硬く響く。
「敗戦国アグナスの王が、自らの正当性を誇示するために捏造した文書だ。
我がハーバル王国が“見捨てた”などと……馬鹿馬鹿しい」
数名の貴族が、即座に頷いた。
安心したい者ほど、反応は早い。
「そうだ」
「敗者の戯言に過ぎぬ」
「女神などと……迷信だ」
だが。
机の端に座る書記官だけが、無言で視線を落としていた。
紙面の形式。
用いられている記録様式。
押された公印。
どれも――正史のそれだった。
「……否定は、できます」
書記官は、慎重に言葉を選ぶ。
「しかし、完全に否定しきることは……難しいかと」
空気が、一段冷える。
「何が言いたい」
宰相が睨む。
「アグナス側の記録は、戦時記録・救援要請・王家間書簡の写しを含んでいます。
我が国が“対応しなかった”という事実そのものは……」
言葉を濁した瞬間、誰かが椅子を鳴らした。
「黙れ!」
叱責。
だが、それは怒りというより、恐怖に近かった。
王は、終始、黙っていた。
王冠の下で、指先が、わずかに震えている。
――否定できない。
その事実が、会議室に重く沈んでいた。
だが。
この部屋で交わされる言葉など、すでに世界の中心ではなかった。
⸻
ハーバル王国・商人ギルド本部。
朝の帳簿が並ぶ机の上で、ひとりの男が静かに笑った。
「……なるほどな」
笑ったが、声は低い。
楽しそうではない。
「女神様、ね」
「信じるんですか?」
若い商人が尋ねる。
「信じるかどうかじゃない」
男は帳簿を閉じた。
「人が、動くかどうかだ」
彼は、もう一枚の紙を見る。
取引先一覧。
そこに、赤い印が増えている。
――アグナス王国。
「戦後復興。魔具の需要。治癒薬の流通。
王権が安定し、公爵家と伯爵家が再編され……」
指でなぞる。
「商人が、行かない理由がない」
「でも……ハーバル王国は?」
「遅い」
即答だった。
「判断が、遅すぎる」
商人は王を見ない。
貴族も見ない。
金の流れだけを見る。
「封鎖が来る前に動け。
馬車を回せ。技術者も職人もだ。
“向こう”は、受け入れる」
「……今夜ですか?」
「今夜だ」
男は立ち上がる。
「夜明け前には、もう戻れなくなる」
⸻
その夜。
街の裏道を、静かに馬車が進んだ。
声はない。
怒号もない。
ただ、荷の音と、馬の吐息だけ。
帳簿。
金庫。
家族。
雇われた職人。
誰も「移住する」とは言わない。
ただ、消える。
翌朝。
市場の一角が、ぽっかりと空いた。
次の日。
別の通りでも、店が開かない。
税務官が眉をひそめ、報告書を書き直す。
「……数字が、合いません」
だが、誰も説明できない。
説明できないのではない。
見たくないだけだ。
王城では、まだ議論が続いている。
否定するか。
声明を出すか。
黙殺するか。
その間にも。
人は減り。
金は流れ。
王国の重さは、確実に軽くなっていく。
誰も叫ばない。
誰も断罪されない。
ただ、静かに。
ハーバル王国は、衰退の坂を転がり始めていた。




