地獄にもテレビがある
おれは驚いた。地獄に落ちたことにではない。たいていの人間は地獄行きだと聞くし、おれ自身、警察の世話になったことはないとはいえ、胸に手を当てれば思い当たる節はいくつかある。まあ、正直なところ、どこか天国に行けるんじゃないかと思っていたぶん、多少ショックではあったが、それは今どうでもいい。
おれが驚いたのは、地獄には『特設ステージ』なるものがあり、有名な芸能タレントたちがそこでショーをやっていたのだ。
群衆はまるで蟻のようにひしめき合い、ステージに向かって手を振り、歓声を上げていた。まるで音楽フェスさながらの熱狂ぶりである。
「やあ、驚いた?」
「え、あ! あなたは、元国民的アイドルの……!」
突然、背後から声をかけられ、振り返ると驚いた。そこに立っていたのは、かつてテレビでよく見たあの元国民的アイドルの男だったのだ。
四十代くらいに見えるが、たしか亡くなったのはもっと年を取ってからだったはず。もしかすると、あの世では人は自分が最も輝いていた時代の姿で現れるのかもしれない。おれも、生前より少し若返っている気がしていた。
「どもどもー!」
「あ、あ、どうも……」
「なーに緊張してんのさあー! 気楽に話そうよ! 地獄仲間じゃん!」
「あ、はい、ありがとうございます……。いや、まさかあなたから声かけてもらえるなんて……。というか、地獄に落ちてたんですね」
「そりゃそうだよー。男性タレントなんて、ほとんどこっちにいるよ!」
「えっ、そうなんですか?」
「うんうん。みんな、なんかしらやってるもん。金持つと倫理観ぐにゃぐにゃになるからねー。違法薬物に賭博、あとテレビ局や事務所から女の子を“もらったり”とかさあ」
「あ、そういえば、あなたにもそんな噂がありましたね……」
「まー、過去のことはどうでもいいって! でさ、君もタイミング悪かったねー。あとちょっと早けりゃ、歴代総理の組体操が見られたのに!」
「えっ、総理大臣も地獄に……? それはすごいですね……でも、こんなに騒いでて、地獄の鬼たちは怒らないんですか?」
「はははは! よく見てみ! 鬼たちも手を叩いて笑ってるじゃん! あいつら、意外とミーハーなんだよね。ほら、刑務所でも有名人はちょっとチヤホヤされるって言うじゃん? あれと一緒。退屈してんのよ、鬼も」
「なるほど……地獄にも、地獄なりの機嫌の取り方があるんですね。羨ましいな……」
おれはステージに視線を戻した。
生前、チャリティー募金を横領したと疑われていたあの歌手が熱唱している。曲名は知らなかった。
他にも、ステージにはテレビや映画で見たことのある顔ぶれがズラリと並んでいた。アイドル、俳優、お笑い芸人――果ては伝説とまで呼ばれたあの歌手までいた。全員、地獄の亡者らしく薄汚れた白い死に装束をまとっていたが、さすがと言うべきか、おれのような一般人とは放つオーラが段違いだった。
ステージの周囲には、いくつものカメラが配置されており、遠くの岩山には巨大なスクリーンが設置されていた。そこにライブ映像が映し出されている。もしかすると、ああやって地獄の各地に配信されているのかもしれない。
「羨ましいって?」
「え? あ、いや……おれみたいな一般人には縁のない話だなあって。まあ、地獄でもテレビが見られるのは嬉しいですけどね」
「なーに言ってんのさ! 君にもチャンスあるって! おーい! ――ちゃん! ちょっと彼も仲間に入れてあげてよ!」
「え、ちょちょちょ、何言ってんすか!」
おれは元国民的アイドルに腕を引っ張られ、ズルズルとステージへと引きずられていった。舞台の上では、名だたるお笑い芸人たちがわちゃわちゃと騒いでいる最中だった。
芸人たちは、おれのようなどこの馬の骨とも知らぬ男を、驚くほどの笑顔で迎えてくれた。観客たちも、拍手と口笛で歓迎してくれた。
「で、素人さんの君には何ができるん?」
「いや、あの、その……」
「自信満々やね」
「いや、どこがやねん!」
観客たちがどっと沸いた。だが、その笑い声はどこか遠くで響いているように感じられた。おれは緊張で膝が震えていた。まさか死んで地獄に来てまで、こんなプレッシャーを味わうことになるとは思ってもみなかった。
何をすればいいんだ。……いやいや、こういうのは彼らに任せておけばいい。プロなんだから。
「で、君、なんで死んだの?」
「いや、その、よく覚えていないというか……へへ、わかんないです」
「なんで今、笑うたん?」
「キチガイかこいつ」
観客がまた爆笑した。どうやら地獄にはコンプライアンスという概念が存在しないらしい。どうりで、彼らがこんなに生き生きとしているわけだ。
おれはその後も芸人たちから徹底的に罵倒され、辱められた。大声で怒鳴られ、顔を殴られ、尻を蹴られ、どう思い返しても、生前まったく売れてなかった芸人にヘッドロックを決められると、惨さのあまり死にたいとすら思った。
「もうやめてくださいよお!」
おれが叫ぶと、会場はさらに湧いた。服を剥ぎ取られ、熱湯を全身にぶっかけられると、デロデロになった皮膚を一気に剥がされた。バットで膝を砕かれ、髪を毟られ、鼻の穴に接着剤を流し込まれ、耳にゴキブリを詰め込まれ、電気ショックを浴びせられながら釘を打ち込まれ、体毛という体毛に火をつけられ、背中には『笑』の字を焼き印で押された。口を無理やりこじ開けられ、溶けかけたラードと生の内臓を押し込まれた。吐き出しても、その吐瀉物をすくい直されて再び喉に流し込まれた。
元国民的アイドルはおれのケツの穴にマイクを突っ込み、「ハウリングしてまーす!」と叫び、それを見ていた芸能事務所の元社長たちは腹を抱えて転げ回っていた。
腹を蹴られ続け、喉の奥から何かが込み上げてきたかと思えば、それは腸だった。口から牛の舌のようにだらんと垂れ下がった腸を見て、連中は狂ったように大笑いした。おれの喉に手を突っ込んで腸を引きずり出すと、それを捻りちぎり、「鼻から食え!」と鼻の穴に押し込んできた。
ステージから解放されたのは、体感でだが一週間後のことだった。
体の中身までボロボロになったおれは、裸同然の格好で足を引きずりながらステージから離れ、近くの岩陰に倒れ込んだ。
ステージでは今、熱した石の早食い競争が行われているようだった。甲高い歓声が背後から聞こえてくる。おれは、ますます惨めな気持ちになって、泣いた。
「おい、お前」
「えっ」
突然、頭上から声をかけられた。見上げると、岩の上に鬼が胡坐をかいて座っていた。
「お前、テレビに出てただろ。いやあ、大笑いしたぞ」
「あ……ありがとうございます……」
「やっぱり、人間同士に刑罰をやらせるのが一番楽で面白いな」
鬼は満足げに頷き、牙を覗かせて笑った。
やはりここは、どうあっても地獄なのだ。当たり前のことではあるが、あらためてその実感に襲われ、おれは項垂れた。
「お前、タレントの素質あるよ。これからも頑張んな。トップスターになれば現世に戻れるしな」
「……え? え!?」
「なんだその顔、ふふっ、笑わせようとしてんのか?」
「いや、あの、現世に戻れるってどういうことですか?」
「そのまんまの意味だよ。時々一人だけ、こっちから現世に戻してやるんだ。芸能事務所のスカウトマンとか、テレビ関係者としてな。いいタレントを発掘してもらうのさ」
その言葉を聞いて、おれは妙に納得した。どうりで現世があんなに地獄じみているわけだ。