表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/9

言い出せなかった日常

 表具屋「とみや」は、町の通りの少し奥まったところにある。

 戸は開いているが、中からは静かな紙の匂いだけが流れてきた。


「ごめんよ、とみやさん。……ちょいと、おじゃまさせてもらうよ」


 こよみが声をかけると、障子の貼り替えをしていた店主の善蔵が顔を上げた。

 六十を越えた細身の男で、町一番の無口として知られている。


「……三味線かけてる時間に、うちに来るとは珍しい」


「今日は音じゃなくて、間を聞きに来たんだ」


 そう言って、こよみは手ぬぐいをほどく。

 現れた柿の実に、善蔵の目がふっと和らいだように見えた。


「……干し柿の話かい?」


「うん。今年は、誰も“やろう”って言わなかったね」


 善蔵は、ふぅと長く息を吐き、座ったまま天井を見た。


「……うちのばあさんがさ、去年まで柿の皮むき、いちばん張り切ってやってたろ。

でも春に腰を悪くしてから、ずっと気にしててね。

“私がやれないなら、始めちゃいけない気がする”って」


「とみやさんが止めたわけじゃないんだ?」


「うん……逆さ。始めたかったけど、“やれない人を置いてはできない”って思っちまって、な」


 こよみはしばらく黙って、障子の貼り具合を見ていた。

 空気に、米糊の甘い香りが混ざる。


「なるほどねぇ。……でも、それってさ、“始めたかった”ってことでもあるよね?」


 善蔵は、小さく笑った。


 ——— 


 その晩、こよみは掲示板の下にもう一度、そっと手を伸ばした。

 落ち葉の隙間に、小さな柿の実が三つ、寄り添うように転がっていた。


 誰が置いたのか、こよみは言葉にしなかった。

 けれど、指先に触れたぬくもりで、すべてを察していた。


 指先でなぞると、まだ固い実のくせに、来るべき日の甘さだけは、もう知っているようだった。

 こよみは、ほんの少しだけ目を細めた。


 それをひとつずつ――三軒の軒先に、ひとことも言わずに置いていった。


 ⸻


 数日後、商店街の軒先に、干し柿が吊るされ始めた。

 誰が言い出したわけでもない。

 でも、誰かが置いた“声にならない返事”に、三軒がぽつりぽつりと応えたのだ。


 紅葉まじりの風が、渋柿の列をくぐり抜けて、どこかほっとした匂いを運んできた。


 縁側に戻ったこよみは、三味線に指を添えながら、おとよの寝息に耳を澄ませた。


「おとよさん。干し柿ってのは、渋いまんまじゃだめなんだよ。

 手をかけて、時間をかけて、甘くなるんだ」


 ぽろん。

 三味線の音がひとつ、冬の気配をなでて消えた。


 ⸻


 了


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ