学会で同じ研究室の女子がどんな研究内容を発表をするのか聞いてたら、俺を好きな理由について科学的に証明した研究結果を公表し始めたんだが
研究室に所属する理系学生が避けて通れない道、それが学会での研究発表だ。
普段の研究成果を教授や生徒らの前でプレゼンテーションする場であり、参加者は未体験の緊張感と重圧に苛まされながら孤独を耐えなければならない。
一分一秒が途方にも感じられる壇上で、乾く喉を必死に震わせながら気丈に振る舞う。そんな極限下の状況で、俺―――仲村斗真はまさにプレゼンを終えようとしていた。
「―――以上が、私の発表になります。ご清聴ありがとうございました」
締めの言葉を共に頭を軽く下げると、聴衆席からは乾いた拍手が送られる。
確かに上出来とは言えない内容だったが、拙いなりに努力してきた自負があっただけにメンタルを抉られる。単に他人の発表に無関心なだけと分かっていても、やってきたこと全てを否定された気分になる。
しかし、学会の恐ろしさはそれだけに留まらない。
今のは挨拶代わりのジャブのようなもので、むしろここからが本番なのだ。
「えー、ひとつ質問してもよろしいでしょうか?」
聴衆席からスッと手が上がる。
視線を向ければ、スキンヘッドの強面な教授。俺は引き攣りそうになる表情を押さえながら発言を促す。
「今回の発表内容に似た先行研究をいくつか知っているのですが……それらは事前に確認されましたか?」
「えっと、はい、確認したのですが見つけられなくて……」
「調べ方が悪いだけでしょう。『シフト制を導入する企業における従業員のスケジューリング問題の解法の提案』とのことですが……これ、ナーススケジューリング問題に関する研究の丸パクリですよね? サンプルを変えただけで新規性とは笑わせてくれますねぇ。そもそもこの研究、やる意味あったんですか?」
「そ、それは……」
鋭い指摘を受けてしまった。
因みにナーススケジューリング問題とは、医療施設における看護師の勤務スケジュールを決定する複雑な組み合わせ最適化問題のことで、多岐にわたる制約から未だ解決策が見いだされていない。
俺の研究内容は、取り上げた事例こそ異なるが結論が似ているということで……その分野の専門家は的確に急所を突いてくる。
「あのぅ、素人質問で恐縮なのですが……」
返答できず言葉を詰まらせていると、別の席から学会での決まり文句が飛び出す。
恐る恐る発言主に目を向ければ、今度は別大学の学部長。明らかに貫禄のある様相で、周囲の反応を見るにこの学会に出席している中で最も重鎮らしい。
「ここ数年のAI技術の発展によって、AIに業務委託する企業が増加していますよね? 今回の発表で仲村さんはこのAIに基づいた解法を取り上げていませんでしたが、これは何か理由があってのことなんですか?」
「それはその……すみません。思いつきませんでした」
「はぁ……どんな研究もその目的は社会貢献なんだから、もっと今の社会問題と絡めて分析していかないと。今の質問に答えられないようでは準備不足と言わざるを得ませんよ」
「……はい、すみません」
その後も他教授のストレートを無防備で受け続け、ようやく解放された俺は、項垂れながら壇上を後にする。
そう、発表を耐え切れば全て終わりではない。この質疑応答という悪夢の時間を乗り越えなければならない。
もちろん俺も質問に備えて対策してきたつもりだった。しかし、教授たちは膨大な実績と知識を持ってフルボッコにしてくる。俺の前にも発表者は何人かいたが、全員漏れなくサンドバッグにされる始末だった。
当然、こんな目に遭いたいマゾなんていない。百人程度収容可能な小講堂の中央で、教授達の連続ボディーブローを一方的に受け続けるのは拷問に等しい。
どうして理系学生はこんな仕打ちを受けなきゃいけないのか……今にも泣きたくなる。
「お疲れ様、仲村くん。素晴らしい発表だったよ」
「ははは……まあダメ出しばかりでしたけどね」
聴講席に戻れば、俺の属する研究室の教授が温かく迎えてくれた。
近所に住んでいる温厚なおじいちゃんみたいな人で、今回の発表に向けて色々と助力してもらった。当たり障りのないアドバイスしか貰えなかったが、そこは学生の自主性を重んじる指導方針なので仕方ない。俺の準備がまだまだ足りなかったということだ。
まあ、元々お試しということで初めて参加させられた訳だし、今回は学会の雰囲気を知れたということで多少なりとも収穫はあったと思う。……それ以上にトラウマを植え付けられたけど。
「さて、次は氷月くんの番か」
教授の一言で顔を表面に向けると、壇上では入れ替わりで次の発表者が立っていた。
今回、ウチの研究室からはもう一人参加している。その学生こそが、視線の先で発表準備中の女子―――氷月凛だ。
頭脳明晰かつ容姿端麗と非の打ち所がない女子なのだが、まるで機械のようにいつも無口無表情で、同じ研究室に配属されて一年経った今でも彼女の考えていることがさっぱり分からない。
とはいえ、常人に天才は理解できなくて当然だし、むしろ知的でミステリアスな印象に惹かれる男が後を立たないとか。確かに、クールビューティだなと俺も思う。
と、そこで準備を終えたらしい氷月さんがマイクを手に息を軽く吸い込む。間もなく発表が始まる合図だ。
果たして冷静沈着な彼女がどんな発表をするのか……きっと常人には理解できないような奇抜な研究内容に違いない。
「東都科学大学四年、氷月凛の発表を始めます。私が発表する研究は『氷月凛が仲村斗真に対して抱いている恋愛感情の客観的分析とその数値化』です」
……ん? 今何つった? 氷月さんが訳の分からないことを言い出した気が。俺の聞き間違いか?
「初めに私、氷月凛は、仲村斗真を性的に愛しています。目が合う度に顔が熱くなり、近くにいれば鼓動が速まり、会っていない間も想いを馳せてしまう……それほどに仲村斗真という男性を異性として強く意識しています」
んんー!? 急に何言い出してんのこの人!? 真顔でとんでもないことカミングアウトしちゃってるけど!?
突然のカミングアウトに困惑を隠せない俺。同じく、事態を飲み込めていない会場もザワつき始める。
「しかし、客観的分析に基づいた意見でなければ根拠としては無意義であり、ただの私見でしかありません。そこで私は、一年間にわたり収集したデータを基に分析した結果をもって科学的に証明することにしました」
しかし騒然とする聴衆をよそに、氷月さんは淡々とスクリーンに映し出されたスライドを進める。
そこに表示されていたのは、何の変哲もないグラフ。……いや違う。よく見れば、横軸は『日数』、縦軸は『好感度の高さ(独自の算出による)』と書かれていて、折れ線グラフが加速度的に右肩上がりになっている。何だこれは。
「このグラフは、仲村斗真と初めて出会ってから現在までの、彼に対する好意の推移を示しています。例えば昨年六月十五日、躓いて階段から落ちそうになった私を彼が支えてくれた際、好感度が急上昇しています。また、九月二十日、居残りで研究していた私に彼が差し入れに来た際にも同様の反応が見られました」
後ろの席から複数の黄色い声が上がり、俺は肩を竦める。
確かにそんなことをした記憶はある。でも、その時の彼女は「ありがとう」の一言だけで相変わらず無機質だったから、気に留めていないのだと思っていた。
まさか、今になってこのような形で辱めを受ける羽目になるなんて。
実は好かれてました〜的な展開は漫画やアニメでよく見るが、学会という厳粛な場で自前のデータを使って明かしてくるパターンは想定外過ぎる。まるで意味が分からない。
しかし、そんな俺の動揺などお構いなしに氷月さんは詳細なデータを提示してくる。
「次のスライドをご覧ください。この表は、仲村斗真の行動パターンと氷月凛の心拍数との相関関係を示しています。彼との接近距離が一メートル以内になった際、心拍数は平均で二十五パーセント上昇。彼が笑顔を見せた際、更に二十パーセントの上昇が確認されました。このデータの計測では胸ベルト型の心拍計を採用しており、誤差は少ないと思われます」
今度は心拍数ときた。確かに好きな人といたらドキドキすると聞くし、今回の研究にあたって脈拍計測は欠かせない要素だろう。最も正確に計測可能な計測方法を採用している点といい、ただの聴講人として聞いていたら素直に感心していたところだ。
でも俺、めちゃくちゃ関係者なんだよなぁ。氷月さんは指示棒を使いながら粛々と説明を続けているが、どんな顔して聞いていればいいか分からない。これが学会の研究発表でなければ今すぐ彼女の暴走を止められるのに……
「また、研究室で彼がうたた寝していた際に後ろからハグや頬へのキスを行ったところ、心拍数は百五十三を記録。今回の計測における最高数値になります」
「ちょっと待てぇぇーーー!」
堪らず俺は立ち上がり、発表を遮った。
「どうかしましたか? 私の測定値に何か問題点が?」
「そっちじゃねえよ! 俺が寝てる間に何してんの!? やりたい放題じゃねーか!」
「ごめんなさい仲村くん。あなたの許可なしにしてはいけないと頭では分かっていたのだけど、寝顔を眺めていたら気持ちが抑えられなくてつい……でも、あなたが見かけより筋肉質なのは思わぬ収穫だった」
「誰も良かった感想なんて聞いてねーよ!」
悪びれる様子が全くない!
確かにデータ収集の観点から見れば合理的な手段かもしれないけど、研究を口実にただ自分の欲求を満たしたいだけなんじゃないのこの人!?
……ああダメだ、顔がめちゃくちゃ熱い。これ以上真面目に発表を聞いていたら気がおかしくなりそうだ。
そもそも、こんな私情百パーセントの研究が許されていいはずがない。研究を行う最大の目的である社会貢献から程遠いこんな発表では、教授達の逆鱗に触れてしまうに決まっている。
「あの、私からもひとつよろしいですか?」
あーほら、そうこうしているうちに挙手が。
見れば先程の強面教授。そりゃあやっぱりおかしいと思うよな。
「氷月さんは彼のことが好きなんですよね? どんなところに惹かれたんですか?」
何で女子会の定番みたいな質問してんだよこのスキンヘッド!? さっきまでの威厳が台無しじゃねーか!
「優しいところです。人付き合いが苦手な私にも明るく接してくれて、さり気なく支えてくれて、でも危なくなったらちゃんと助けてくれて……だから好きになりました」
「いやぁ青春だねぇ。私にもこんな先行研究があったなぁ」
こんな先行研究があったなぁって何だよ!? それを言うなら時代だろ!? いや本当に、頼むから意味分からん発言しないでくれよ、話がややこしくなるから!
……ダメだ、この教授はもう当てにならない。他の教授達に期待した方が遥かにマシだ。
「ほ、他の方々は? 学会でこんな私情丸出しな研究を評価していいんですか?」
「一途なところが可愛い。九十点」
「二人の今後が気になります。九十五点」
「私の孫に欲しい。百点」
「あんたらもかい!」
何故か採点方式がミスコン! しかも棒の先に丸いプレートが付いてるあれ持ってるし! どこから取り出したんだよ!
てか最後に満点出した奴! さっき俺に説教してた学部長じゃねーか! 社会貢献云々の話はなんだったんだよ! 初孫を溺愛するおじいちゃんみたいにニッコニコじゃん!
気付けば局所的だった騒めきが会場全体に広がりを見せていて、至るところから生暖かい視線を感じるように。
俺が発表者だった時の息が詰まるような閉塞感はどこへ消えてしまったのか。和やかな雰囲気に一人取り残された気分だった。
「次のスライドをご覧ください。この表は唾液中のオキシトシン分泌量を表しており、通常時と仲村斗真と接触した時の数値を比較したものになります。好きな相手との接触で分泌されるオキシトシンは愛情ホルモンとも言われ、唾液採取により測定が可能です。今回の研究では非接触時と接触後に採取したサンプルをそれぞれ測定し、その結果、接触後のオキシトシンに増加傾向が見られ、特にハグとキスを行った後は極めて高い数値を記録しました」
この空気感でも顔色変えずに発表を続ける氷月さん。あまりに通常運転過ぎて、本当に機械なんじゃないかと呆れを通り越して感心させられる。……てか前触れもなくハグキス言うのやめて。心臓に悪いから。
「―――よって、これらの収集したデータから総合的に判断した結果、氷月凛は仲村斗真を性的に好きであるという仮説が科学的に立証されたと考えます」
しかし、結論とともに発表を締めた氷月さんは顔の向きを変え、何故か視線を俺に合わせる。
「……どう? 仲村くん」
「え? どうって、何が?」
「私の発表。あなたの意見が知りたい」
「あ、ああ……よかったと思うぞ。内容はともかく……まあ、アプローチの仕方とか資料自体はよく出来てたし」
「そう……なら聞かせて?」
「な、何を?」
「だから、告白の返事。私は自分の気持ちを伝えたから、今度はあなたの気持ちを私に教えてほしい」
「……」
会場から一際黄色い歓声が上がる中、俺は押し黙ってしまう。
だってそうだろう? 学会で俺への恋愛感情をカミングアウトしてきたと思ったら、今度は返事を聞かせてほしいと言うのだから。急過ぎて混乱するし、冷静でいられるはずもない。
そもそも公衆の面前でやることではない。何故公開告白したのか分からないし、他にも疑問は多々ある。普通なら人気のないところに呼び出すかスマホで伝えるだろうし、やはり氷月さんの考えていることはさっぱりだ。
振り回されている側として色々言ってやりたい。言ってやりたいのに……目に映る彼女の様子を見れば、そんな文句は全て消し飛んでしまった。
なんで顔を赤くしてるんだよ氷月さん。
さっきまで淡々と発表していたじゃないか。いつも冷静沈着で凛とした佇まいをしているのに、眼前の彼女は落ち着きない様子で窺ってくる。そんないじらしそうな目で見つめられたら、こっちまで恥ずかしくなる。
……あぁくそ。今まで意識しないようにしてきたのに、こんな可愛らしい一面を初めて見せられたら嫌でも意識してしまう。
氷月さんは引く手数多だから、大した取り柄もない俺には無理だと勝手に諦めていた。でも彼女がそう言うのだから、俺も勇気を出して応えなきゃいけない。大勢の外野に聞かれようが関係ない。正直な気持ちを伝えたいと思った。
「俺も氷月さんが好きです。俺と付き合ってください」
返事をすると、氷月さんの表情が和らいでいくのが分かった。
どうやらずっと緊張していたらしい。彼女の人間らしい一面が垣間見えて、その感情が俺だけに向けられているものだと伝わってきて、余計に意識してしまう。
二人の行く末を見守っていた会場からは拍手喝采が送られる。
「なんだこれ」と思ったが、この際考えるのはもうやめよう。
壇上から降り、聴講席に戻って来た氷月さんと言葉を交わす。
「そういうことで。仲村くん、今日からよろしく」
「あ、ああ、よろしく」
「それと、次は自宅デートがもたらす交際関係の進展について研究する予定だから。今週末は空けておいて」
「何をするつもり!?」
……やはり天才の考えることは突拍子過ぎて理解できない。