2日目午前
「なあ、いつまで拗ねてんの?飯塚」
ウザい、黙れ、この人でなし。熱い顔を隠しながら、わたしはそう呟きつづける。……い、意外と気持ちよかったなんて、そんなこと思ってないしっ!ぐっすり眠れたとか、あり得ないっ!
そんなわたしに日野は止めを刺すようなことを言った。
「あんだけ俺の頭撫でてくれたのに――」
「ぎゃーっ!!」
もしかして、今わたしは目玉焼きを作れる温度なのではないかと思ってしまうほど、顔が熱くなった。と、同時にわたしはわたしを責めた。……なんであんな馬鹿なことをした、わたし。気でも狂ってたのか。ああ、そうなのかもしれない。あのときのわたしは、ちょっとばかしおかしかったのだ。そうじゃなきゃあんなことはしない。そうにきまってる。うんそうだ。
冷静になれ、と呪文のように頭の中で繰り返す。それでも、顔全体に集まった熱はなかなか冷めてはくれない。これは一種の病気かもしれない。やばいぞ、わたし。
「飯塚?」
両手で顔を覆ったまま固まるわたしを不思議に思ったのか、日野はわたしの名前を呼ぶ。もちろんわたしは顔をあげることはできない。
すると突然、日野はくすくすと笑いだした。
「飯塚……照れてんの?」
「……て、照れてない」
「嘘つきぃ」
からかうように言う日野の声に、わたしはますます顔が熱くなった。……このままでは沸騰して死ぬかもしれない、と思った私はどうにかこの熱を冷まそうと、アイスを望むことにした。ストロベリーがいいな、と思っているとコトンという音が聞こえて、見ると美味しそうなストロベリーのアイスが出てきた。さあ、熱を冷ますぞ!と思って手を伸ばそうとして、横からかっさらわれる。は?と思って日野を見ると、奴はニコニコと笑って、アイスを掬ったスプーンをこちらに向けていた。
「あーん」
……い、一体なにが起きた、日野!あーんって、あーんって!!その行動が不気味すぎて、顔に集まっていた熱が自然と冷めていった。……おお、すごい。さすが私。
「飯塚、あーん」
なおも続ける日野に、わたしは若干恐怖を感じている。ここに来てからずっと変だ、変だ、と思っていたが、今は特に変だ。変というか、怖い。関わりたくない。ふるふると首を振るわたしに、日野は困ったように掬ったアイスを見つめた――と思ったら、急ににやりと笑った。
「しょうがないなぁ、口移ししてほしいならそう言ってくれたらいいのに」
そして、スプーンを自分の口へ持っていこうとする。……私は本能的にその腕を掴むと、それを止めた。――再びにやりと笑う日野。びっくりするほど綺麗な満面の笑みで、再びスプーンをこちらに向けた。
……ああそうですか、そうですか!そんなに"あーん"したいんですか!したいんですね!わたしが意を決して口を開けると、日野はわたしの口にスプーンを突っ込む。ぱくり。――苺の味が口の中に広がって、思わず頬が緩む。
その間に、日野は再びスプーンでアイスを掬うと、こちらに向けた。
「千奈美」
どこか色気のある声が私の名前を呼ぶ。……え、なんで私の名前を呼ぶの?!私の頬に、冷めかけた熱が再び戻ってきた。……っていうか、なんでわたしこんな小っ恥ずかしいことしてるわけ?!
そんなことを思いながら、わたしは再びぱくん、とスプーン上のアイスに飛びついた。
◇ ◇ ◇
あれか、日野は恋人ごっこでもしたいのか?……繰り返される"あーん攻撃"の間に、わたしはそんな解答を出してみた。
だって、この日野正昭と言う男。現在、モテるくせに彼女がいないらしい。きっと、理想の女性が現れないのだろう。(そして、おそらくその理想はとてつもなく高い)で、将来の恋人のために"あーん"の練習をしてるんだ――そんな馬鹿なっ!
……日野の考えてることは理解不能だ。というか理解したくない。
そうこうしてる間に、どうやらアイスはなくなったようで日野はどこか残念そうにそれを机の上に置いた。
「……千奈美、もう一回食べるか?」
「食べないっ!」
即答だ。当然だろう?だって、もう一回食べるってことは、またあの"あーん攻撃"が始まるんだろう?――絶対お断りっ!……というかっ!
「なんでわたしの名前を呼んでるんだ、日野っ!」
実はずっと突っ込みたかった言葉を日野に向けて発する。日野はけろりとした顔で、「呼びたいから」と即答した。そして、あろうことか「千奈美も正昭って呼んでくれたら嬉しいんだけど?」と満面の笑みでわたしに言ってきた。(だから、お前は顔だけはいいんだから、そう頻繁にこっちに微笑みかけるなっ!)
「絶対に呼ばないっ!」
そう言って睨みつけると、日野は悲しそうな顔をした。……え、なんで?あまりにも日野に似合わない表情で、わたしは少しひやりとした。……もしかして、言ってはいけない言葉だった?
いやいや、そんなはずはない。だってわたしは、彼が友だちに名前を呼ばれているのを聞いたことがない。無論、女子もだ。だから、人には名前で呼ばれたいとか、名字で呼ばれたくないとか、そういうことは無いと思う。
……じゃあ、なんで日野は悲しそうな顔をしてる?"わたし"には呼ばれたいのか?……あまり話したことのないただのクラスメートである飯塚千奈美に?
そんなこと有るはずがない。わたしは心の中で自嘲した。だって、それじゃあまるで。
(日野がわたしの特別になりたいみたいじゃないか)
日野のほうをもう一度見ると、奴は何もなかったように笑っていた。……やっぱり、悲しそうに見えたのはただの気のせいか。
わたしはそう結論付けると顔をあげる。部屋は既に薄い青色に変わっていた。




