短編小説「安価なドーパミンゾンビ」
「エミコ。またお前が校内にウイルスをばら撒いたせいで、ゾンビが発生した。今回は安価なドーパミンウイルス? ……随分とふざけた真似を」
俺は放送室で、理科実験サークル所属のエミコに対し声を荒げた。
先ほど校内放送で俺は、全生徒に向けて『安価なドーパミンゾンビが増殖したため、定期試験を一時中断します。どうか生徒のみなさんは、SNSとジャンクフードに一切手を付けないように』といった注意喚起をしていた。
「ウイルスの研究が忙しくて、定期試験の勉強が全然手につかなかったんだから、仕方ないじゃない。これは私が悪いんじゃなくて学校が悪い。だから腹いせにウイルスをばら撒いてやったの。何か文句ある、タケル先生」
実験用の白衣を着たエミコは、腰に手をやり背筋をピンと伸ばした。反省の色は全く伺えない。
それはそうと、エミコの趣味はウイルスを製造することだった。これまでもエミコは自作のウイルスを使った様々な悪事を働いている。
「言うまでもないだろ! 学校のせいにするな」
俺は至極真っ当な指導をした。ここが学校という場じゃなかったら、エミコを刑務所にぶち込み、一生幽閉させてやりたいほどだった。
しかし学校教育現場では、いくら問題のある生徒であっても、立派に社会の一員となれるよう導いてあげる責任がある。悲しいことに。
「エミコ。ウイルスを食い止める方法は何だ?」
「教えてあげてもいいけど、その代わり定期試験の解答を全て教えなさい。でないと、このままウイルスを散布し続けるわよ」
エミコはしかめっ面を浮かべながら、俺に指を差してくる。
まるでバイオテロの主犯格に身代金を要求されているかのようなこの構図。
しかしこのままウイルスの拡大が続くのを黙って見過ごすわけにはいかなかった。
「仕方ない。要求を飲もう。何をすればいい?」
「簡単なことよ。この新型ウイルスはね、脳から放出される安価なドーパミンを養分にして生きているのよ。だからその発生源を遮断してあげればウイルスは死滅するわ。つまりモンクモード状態に30日間、生徒達を置いてあげるだけでいいの」
「モンクモード? モンクってことは僧侶?」
「そう。学校の裏山にある寺院に30日間、感染した生徒を幽閉して、安価なドーパミンを発生させないようにするの。それで元通り」
「もう何が何だか。言われた通りやってみるか」
そうして彼は事態の収拾に走った。まず大型モニター付きの宣伝カーをレンタルし、ゾンビと化し、街中に繰り出していた1年B組の生徒の元へ急行した。
それからモニターに某女性アイドルの水着映像やジャニーズの目黒連のイメージ映像を垂れ流した。
それらの安価なドーパミンを餌に、感染した生徒をお寺に誘導させ、30日間、ゾンビとなった生徒を幽閉させたのであった。
時は流れ、30日後。事態は収束を迎え、全生徒は何事もなかったかのように、元の日常を取り戻しつつあった。
結局彼ことタケルは、エミコを警察に突き出すことはせず、お咎めなしとしたのだった。
「エミコには、今回もほとほと手を焼かされたな。でもあいつを退学処分にしたところで根本的な解決にはなりそうにない。もうすぐあいつも卒業の時期だし、それまではしっかりと面倒見てやらないとな。我慢だ、我慢。もうこれ以上何も起こさないでくれ。仕事を増やされたら、身体がもたん」
残冬の季節、ヒーターを足元に設置しながら、彼は深夜の教職室でやり残していた事務仕事に取り掛かっていた。
ウイルス製造マシンことエミコの一連の騒動の火消しに奔走させられた結果、今月の彼の残業時間は200時間を突破してしまった。まさに教師の鏡のような人間と言えよう。
「見て見て、タケル先生。新しいの完成したよ」
その時、教職室の扉が開かれた。トラブルメーカーことエミコが、喜々とした表情で試験官をちらつかせてくる。
「今度はアポカリプスウイルス。超強力なやつ。この世界を終末に導ける代物だよ」
タケルは後悔した。エミコをさっさと少年法関係なしに、警察に突き出すべきだったと。