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体罰を減らそう

作者: 浅賀ソルト

 小磯中学校の本木という教師が体罰をしているという連絡と、体罰じゃないという連絡がほぼ同時に届いた。

 教育委員会をしている私はああまたかという感想と共にいつもの手続きを始めた。

 通報のあった本木という教師が体罰をしているかしていないかで言ったら確実にしている。小磯中学のバレーボールの顧問をしていて、これまでにも何度も通報されたし動画も録られている。私も見た。ミスを注意してしっかりやれと叱責しているうちに自分の興奮に興奮してきてどんどん声が大きくなり何を言っているか分からなくなり最後に横っ面をひっぱたくというものだ。隠し撮りで遠くから撮影されたもののようだが、ビンタのパーンという音がしっかり録れていた。何年も前に鼓膜を破る傷害も起こしている。

 私はいつもの通りに連絡の内容を報告書に簡単に書いた。体罰をしているという曖昧なものではなく、何をしてどうなったかを聞き取って記述するのだ。このままでは未完成で、電話ではそこまでは分からないし、詳しく聞いても分からないと言われる。私が聞き取りをするしかないのだ。

 またあの本木に会わなくてはならないのか。


 数日後。

 会議室で待っているとバレーボール顧問の本木が失礼しますと言いながら入ってきた。年齢は56歳。年相応に衰えている。マッチョなどではない。過去の経験もあって私もすでに呑まれてしまっている。身体的な危険性ではない。本木さんの要素は、中学生相手に威張り続けたことで身につけた精神的な暴力性と支配性である。簡単な言葉で言うと、なんか偉そうなのだ。目に攻撃性が宿っている。いつ何が爆発するか分からない。

 私は教育委員会の黒木ですと名乗り、前にもご挨拶をと言葉を添えた。向こうも覚えていた。どうぞおかけください。わざわざどうも。いえいえ黒木さんこそ。

 このような連絡がありましたが、8月5日の体育館で何があったか覚えていますか? あ、その前にこの会話は録音させていただきます。よろしいですか?

「ええ、もちろんです。どうぞどうぞ」器の大きい鷹揚で横柄な態度で本木さんは言った。

 失礼しますと言って私はレコーダーのスイッチを入れて会議室の机の上に置いた。レコーダーを挟んで向かい合う形だ。録音中の赤いランプが光る。

 言い忘れていたが私の方が年下である。

「で、あらためて8月5日ですが、覚えていますか?」

「えーと、その前に、また体罰の通報ですか?」

「そうです」

「だとするとあれかな。部活中にだらけている生徒がいたので叱責しました。それがちょっと大声だったかもしれないです」

「なるほど」私は鞄からレポート用紙を取り出してボールペンで殴り書きをした。書きながら声に出して読む。「部活中にだらけている生徒がいたので叱責した、と」

「はい」

「だらけていたというのは?」

「やる気がなく、ぼーっとしてました。あと声も出してなかった」

「ぼーっとしてた、と。声も出してなかった」

「はい」

「それで、叱責したんですね?」

「はい」

「どんな風に叱責しましたか? 『声を出せ』『ボーッとするな』とか?」

「そうです」

「声を出せ。ボーッとするな、と」

「はい」

「大声でしたか?」

「まあ、それなりに。小声で叱責しても真面目に部活はやらんでしょう」本木さんはそう言って笑みを浮かべた。

 本木さんは喋りながらよく笑う。自分の冗談が面白いと言うように。そのたびに私も愛想笑いを浮かべる。

「なるほど。大声で、声を出せ、と言ったんですね?」

「あんた、中学生の部活指導なんてやったことないだろう?」突然声のトーンを変えて本木さんが言った。

「ないですね」

「なるほど」完全に馬鹿にするトーンの“なるほど”だった。

 私は言った。「大声で、声を出せ、と言ったんですね? 質問を繰り返しますが」

「だからね」本木さんは苛々と言った。「中学生の指導っていうのはそういうもんなんですよ。あんたには分からないだろうが」

「本木さん、この報告書は、その、分からない人に向けて作成しているんですよ。分かっている人に報告書なんか作成する必要はないんです。分からない人が読むために報告書を作成しているんです。分かっている人に書いてるんじゃないんです。これを読む人は分かってない人なんです」

「だからね、分からない人には何を説明したって分からないって言ってるんです。俺がやってるのがちゃんとした指導だってことを分かっている人だっていますよ。分かっている人は分かってるんです」

「こんな報告書を作らなくても分かっている人は分かっている、と」

「そうです」

 本木さんは私のボールペンがそのまま書いている文字を目で追っている。

「ちゃんとした指導ですよ。お礼状だって毎年届くんだ」

「ちゃんとした指導で、お礼状も毎年届く、と。なるほど」私はボールペンの先端でレポート用紙をトントンと叩いた。

「そうです」

「ちなみに誰からお礼状が届いているんですか?」

「は?」

「その、毎年お礼状を届けてくれるというのはどなたですか?」

「杉下町の澤田さんですね。お礼状をくれるのは。毎年律儀なことです。息子はもう大学を卒業して就職したというのに、立派なことだ」

「いえいえ。本木さんの指導に本当に感謝しているんでしょう」

「……」

 おっと、さすがに今の私の言葉はマズかったか。本木さんの雰囲気がさらに変わってしまった。これ以上の展開は危険すぎるのでこの話をするのはここまでだ。教育委員会にも守秘義務というのがあるので。

 ここまでお読みいただきありがとうございました。


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