第4話 ダンジョン能力とは
「シューズ……ッ! と、誰だテメェ、見ねぇ顔だな」
トートと共に探索斡旋所を出ようとしたシューズに、威嚇するかのような声がかかる。トゲついたスキンヘッドのフレラータだ。
「あ、どうも初めまして!! どちら様ですか!?」
トートが、威嚇的な声など気にならないかのように糸目を笑顔にして対応する。
「やっぱり、見ねぇ顔だな……。 新顔か? おいテメェ、そこのシューズと組むつもりならやめとけ。ソイツは長年連れ添った仲間を置いて逃げるような腰抜け野郎だ。命が惜しければ他の奴と組んだ方がいいぞ?」
「はぁ……、まあ、そうだとしても、僕が誰と組むかなんて貴方が決めることではないので、余計なお節介ですね!!」
「あ゛ぁん?」
喧嘩腰のフレラータに対して、何一つ物怖じしない態度でトートはニコニコ笑っている。
フレラータの顔は明らかに不機嫌さが増して、今にもトートに掴みかからん気配をシューズは感じた。
「おい待てフレラータ! この人は……っっ」
ーードカリ。
止めに入ろうとしたシューズがフレラータに殴り飛ばされた。
昨日殴られた時と状況が違うのでシューズは無防備には殴られずに防御をしたが、それでもフレラータの強い膂力にシューズは飛ばされてしまった。
瞬間、シューズの背筋が凍った。
一瞬で広がった領域、それに込められた支配力の大きさと威圧感。
格の違いを見せつけられるかのようなそれに、シューズは冷や汗をかく。
フレラータを見れば、シューズを殴った体勢のまま、大きく目を見開き、滝のような汗をダラダラとかいて固まっていた。
この巨大な威圧を向けられているのはフレラータだ。シューズ以上に、この、まるで捕食者の口の中で噛み潰されるのを待つかのような恐怖を感じているのだろう。
そして、威圧感の主が太い金髪三つ編みを揺らしながら喋り出した。
「暴力はいけませんよ暴力は! 他者や自身を守るための手段じゃなく、人に言うことを聞かせるための暴力は特に!!」
出している威圧感に対して不釣り合いな軽い言い方でトートはそう言った。
まるで幼子に諭すような言い方で、普段のフレラータなら馬鹿にしているのかとスキンヘッドを赤くしながら食ってかかるだろう。
しかしフレラータは、その場から動くことすらできずに固まっていた。
「何もんなんだテメェは……」
絞り出すかのようになんとかフレラータはそう言った。
「僕はトート! パッとしない実力ですが、一応バンガードです!」
そう言いながら、トートはバンガードのライセンスバッチをフレラータに見せた。
シューズも実物は初めて見た。装飾的な星型の紋章で、真ん中に色のついたジェムが付いている。白色のジェムだった。
ジェムの色によってバンガードの強さの指標であるランクがわかるらしいのだが、シューズは詳しくないのでわからなかった。
トートは領域を引っ込めた。同時に立ち込めた威圧感が消える。
「……アンタが、例のバケモンを倒してくれるのか?」
未だ引かない汗をぬぐいもせずに、フレラータはそう聞いた。
「わかりません! 調査次第ですね!!」
「そうか……引き止めて悪かった。行ってくれ」
割とすぐに引き下がったフレラータにシューズは驚いた。
だけどトートはそれを気にした様子はなく、それではと探索斡旋所を出て行ってしまったので、シューズも慌ててついて出た。
一瞬だけシューズが確認したフラレータの背中は、少し小さくなっているような気がした。
そのまま、トートとシューズは街の外まで出てきた。
「それではシューズさん! カニカマとの遭遇地点まで、案内頼めますか!?」
「はい、わかりました」
「それに当たって一つ要望なんですが、僕をカニカマだと想定して逃げながら向かってもらってもいいですか?」
「トートさんをカニカマだと想定して逃げる……ですか?」
「調査の一環でもあります! もしかすると今まで誰も逃げおおせてなかった可能性がありますから、カニカマの追跡能力や移動技能を見ておきたいんです! シューズさんの逃走能力を見ることで間接的に!」
「……わかりました」
「あっこれ、発信機の魔道具です! 万が一見失った時用に持っていてください!」
「道順はどうしますか? 逃げに徹して無我夢中だったので、正確な道順は覚えてないのですが……撒くために同じところをグルグル回ったりもしましたし……」
「実のところ、目的地の場所自体は把握してますので、今回は逃げながら向かうを優先してください! カニカマを撒くためにやった行動があるなら、それらも見せて欲しいです!」
シューズはそう言ったトートの糸目の顔に、どこか余裕を感じた。
バンガードとしての自信なのか、引き離されることはないだろうというような余裕を。
「……わかりました」
「では、お願いします!!」
シューズは自身の拠点である、シューズの靴への支配力を強めた。
ダンジョン能力。
それは、ダンジョンに住む人間の一割以下が目覚めることのある能力だ。
能力に目覚めた人物は、自身の愛着が深い持ち物などを拠点とし、支配する。
ダンジョンには中に住む生物に、ダンジョンを作る能力を産みつけることで、ダンジョンの生存圏を広げる特性があるのではないかと言われている。
例えるなら、寄生に近い存在だ。ダンジョン能力を与えた宿主と共生関係を築いて、ダンジョンという種族の生存圏を広げる特性を、ダンジョンは持っている。
その特性は今まで、ダンジョンに住む動物や魔生物に寄生することで宿主の巣や生活圏をダンジョンとして支配していた。
しかしそれが、人間にダンジョンが寄生した事で今までと違う特性を持つことになった。
人間は、住処以外の道具や物品などを、自分のものとして所持するという概念を持っている。
それが今までの場所を支配するというダンジョンの特性から、物を支配する能力として、歪んで目覚めたのではないか?
というのが証明されていないが有力とされる、人間のダンジョン能力に関する仮説だ。
ダンジョン能力で支配した巣や物品は、世界を歪め、その特性を歪めたまま広げる。
シューズの拠点である靴は、捨て子の孤児であったシューズが唯一両親からもらったものだ。
上等な大人用の皮靴で、もしかするとシューズを産んだ夫婦が持っていたもので一番高級なものを捨て子のシューズに持たせたんではないかと、シューズの面倒を見てくれた孤児院の職員が言っていた。
大人用だから孤児のシューズには履けもせず、売り払って金に変えて少しでも生活の足しにしてしまうことを想定したものであったのだろうが、シューズは、なにも思い出せることがない両親とのつながりをなんとなく手放す気になれず、後生大事にしていた。
大きくなって、革靴がシューズに履けなくはないサイズになった時に、気づけば、シューズは靴を支配した。それが、シューズのダンジョン能力への目覚めだ。
シューズの靴が広げた領域は、シューズが走る道となる。
トートは、シューズが地面を蹴って生み出したスピード、そのあまりの初速に面食らった。
そんなトートに気付きもせず、シューズは加速を続けた。
慌ててトートが追い始める。
トートも領域を広げ、その空間を自身の移動しやすい世界感に染めて、シューズを追いかける。
しばし走ったシューズの前に、獣が見えた。
その獣はこの辺りによく出現するタイプの猛獣で、黒い毛なみをして、頭から尾までが平均的なサイズで2mほど、虎のような外見をしている。
オデコのところに赤く光る石がついているその獣は『イシトラ』と呼ばれ、気性が荒く、近づくと襲ってくることでも有名だ。
イシトラはシューズに気がつくと、威嚇の態勢を取った。
シューズは気にせず走り続け、それに合わせるようにイシトラは飛び掛かる準備をする。
その刹那、シューズは壁に足をかけた。
瞬間、壁はシューズの道となり、壁が靴に吸い付く。
シューズは壁を駆け上がり、そのまま5メートル程はある天井にまで足をかける。
イシトラは獲物の予想外の動きに虚を突かれて、動くことができず、ただ、目線だけでシューズを追ってしまった。
その隙をシューズは見逃さず、天井から飛び堕ち、イシトラを踏み潰し、蹴飛ばした。
シューズの攻撃はスピーディーでトリッキーだが、軽い。
天井を蹴り、さらに体重と重力を味方につけた上でも、シューズの攻撃はイシトラに致命傷を与える事は叶わない。
しかし、今のシューズの目的は、イシトラを倒すことではない。
トートは、一連の流れをシューズを追いながら見ていた。わずか数秒のうちに起きた流れに、見入ってしまっていたという方が近いかもしれない。
気づくと、イシトラはトートの方を見ていた。
いや、シューズが、トートをまるでイシトラに追い打ちをかけにきた仲間であるかのように、イシトラに見せかけた。
イシトラがトートに飛びかかる___
「はぁ、はぁ、はぁ……いやー、シューズさん、めちゃくちゃ早いし技巧派ですね! 何回も見失うかとヒヤヒヤしましたよ!」
シューズの仲間が壊滅した場所、カニカマと遭遇した目的地に到着したトートは、息を荒くして、少し汗をかきながらそう言った。
「…………」
対するシューズは何も答えられない。大量の汗をかき、息は上がり切って声にできず、思考力も下がっていたので、聞こえた言葉が意味として脳に染みるまでにも時間がかかっていた。
「なるほど、壁や天井を走れたり、道中の獣をなすりつけたり、あとはあの道を曲がったと思わせて天井まで走って別の道に進むあのフェイント、あれは唸りましたねぇ……っ!! あれがあるせいで分かれ道のたびに本当に曲がるのか、それともフェイントなのかと身構える必要ありましたから!!」
「…………そうっ、ですか……ッ」
上がる息をなんとか抑えて、シューズはなんとかそれだけ搾り出した。
「あれだけ早くてやっと逃げ切れたというなら、今まで生存者がいなかったことも頷けます! なるほどカニカマはかなり厄介な追跡者ですね……!」
「……っ、いえ、違います」
「…………!? 違うというのはなんですか!?」
「……このくらいの速さでは、カニカマからは逃げきれませんでした。あの時は命懸けだったのと、仲間の助けを呼びたいのとで、もっとずっとずっと早く走っていました」
「……あのスピードで手を抜いていたんですか!?」
「違います。間違い無く今出せる全力では走っています。ですが、あの時は今以上の速度が出せていました。たぶん、火事場の馬鹿力的なものだと……」
シューズは、カニカマとの数時間に及ぶ闘争劇を繰り広げた後、なんとかカニカマを撒いて街まで辿り着いた。その時、門番に『誰か助けを呼んでくれ』と一言だけ訴えてシューズは気絶、その後三日間目覚めなかったらしい。
仲間の返り血やシューズのあまりにもな様子から、すぐに調査の人員が多数組まれて、シューズ達の仲間が探索予定としていた付近(カニカマとの遭遇地点も含む)をかなり詳しく調べたらしいが、何も見つからなかった。
「なるほど……! 撒かれたとはいえ、これより早い速度を追い続けられるカニカマ……、なかなかの相手ですね!」
「……討伐は可能そうですか?」
「正直一人では失敗しそうで嫌ですね! ですが、このまま放置して帰っていいかも悩みものです! 目的が読めませんので!」
「カニカマの目的……」
「現状だとわかるのは能力の高さと、痕跡を残さないことくらいですからね! 今回シューズさんが生き残ってしまったことで、行動をどう変えるかが、予想できません!
餌場にしてるのがバレないように痕跡を消してたとかなら住処を変える気もしますし、
力を蓄えてから街を落とす気だったとかなら、バレたことで計画を早めて街を襲いに来る可能性があります!
……あとは例えば、産んだ卵が孵化間近で、大量の子供の餌場にするつもりの町の住人に逃げられたくない! みたいなのもパターンとしてはありえますね! この場合、孵化までどれほど時間があるか……!
なんにしてもこれだけ完璧に痕跡を隠す以上、かなりの知性がありそうなので、面倒です!」
「人を餌として確保している以外の目的はあり得ないんですか?」
「餌以外……例えばどんなですか!?」
「いや、それはわかりませんけど……ただ、わざわざ人間を選んで餌にする必要があるのかなって」
「人間は、それなりの数で群れてて村や町を作って、よほどのことがなければそこを動かず、生活するすべての人が戦えるわけではないですからね! 餌の量が欲しいなら選択肢としてはあり得ます! あとは肉の味の好みとか、知性があるものを好んで襲うとか、人間を狙ってというのは割とパターンとしては少なくないですよ!」
「そうですか……」
「武装したり知識がある人間をわざわざ襲う生物は強いことが多いので、正直、僕一人では確実にやれるか分かりません! けど、タイムリミットも不明だから時間をかけて手が空いてるバンガードを集めてくる暇があるかも微妙です! どうしましょうかね!?」
少しの時間だけ考えて、シューズは意を決して言った。
「……その、討伐するなら俺にも手伝わせてもらうことはできますか?」
それを聞いたトートから、一瞬にして表情が消えた。
「シューズさんが僕を手伝う、ですか?」
その声は、普段のトートの喋り口調から1トーン低く感じた。領域を広げたわけでもないのに、そこには威圧的な空気が張り詰めた。
シューズはそれに、トートをバンガードとして、一般と隔絶した実力を有する者として、そのプライドを傷つけてしまったのではないかと焦った。
しかしそれでも、シューズは言った。
「はい、囮役でもかまわないので、できることがあるならやらせて欲しいです」
「それは僕が、一般の方を容赦なく犠牲にして仕事をこなす奴だと思うからですか? それとも、囮でもなければ僕はカニカマにはとても勝てないとなめてるんですか?」
「……! い、いや、そんなつもりは……」
「なら、どんなおつもりで?」
「………………俺は、」
どんなつもりか。その質問に、何もできず潰された仲間、掛けられた声、逃げるしかできなかった自分の記憶、それらが瞬時にシューズに流れて、それはシューズの拳を固く握らせ、奥歯を噛み締めさせた。
「イジメすぎましたね! すいません! 仲間を殺されて、復讐したいのは当たり前ですよね! でも、シューズさんが危ない事をする必要はないです! 俺がなんとか仇はとりますから!」
トートがコロリと表情と空気を変えてそういう。
唐突な変化だった。シューズにはトートが何かを試していたのか、あるいは単に威圧でシューズを引かせる為だったのか、トートの意図がわからない。
しかし、思い出してしまった思いは、そのまま口から吐き出された。
「復讐はもちろんしたいです。でも一番は、何もできなかった自分が不甲斐なくて、悔しくて……」
シューズは正直に気持ちを語った。孤児同士だった家族のような仲間。残された仲間の子、自分の力の無さを呪い、命を捨ててすらいいと思うが、できれば死ぬにしても、仲間の子ロレムにお金を残こすか、仇を打つのに何かしらの爪跡を残す形で命を使いたいこと。それを湧き出る思いのままに、出会ったばかりのトートに語った。
「……バンガードの方なら、上手く俺の命を使い切ってくれそうだと思って、囮役でもなんでもさせてもらおうと思ったんです。 犬死にでもいい。でも、俺は何もできなかった負け犬のままで死にたくはないんです」
シューズは、自分の思いを語りきった。
『テメェが代わりに死んじまえばよかったんだ!!』
フレラータに言われた言葉をシューズは思い出していた。
言われるまでもなく、いつでも、誰よりも、シューズ自身がそれを強く思っていた。
生き残るべきは自分ではなかった。
だからこそ、生き残ってしまったからには……。
「…………」
シューズが長々と語っている間、トートは口を挟むことなくシューズの話を聞いていた。
そして語り終わっても無言で居続けるトートに、シューズは急速に心が冷えて冷静になってきた。
会ったばかりの相手に何を熱く願っているのかと、自分を恥じる感情が芽生え始める。
「……あの、すいません。急にこんなこと言われても困りますよ……」
「……ぐすんっ!」
「………………はっ?」
シューズがしばらく見れていなかったトートの顔を覗くと、そこには泣き顔があった。
しかも、ただの泣き顔ではない。
顔はくしゃくしゃに歪み、糸目からは大粒の涙がボロボロ溢れ、鼻水も両穴から垂れている。
とんでもない号泣だった。
身の上話をしてしまったが、相手が泣くなんて一欠片も思っていなかったシューズの方が面食らった。
「ゴン゛ぢゃん゛がら゛、お゛前゛ばぞう゛い゛う゛話゛ば聞゛ぐな゛っで言゛わ゛れ゛でだの゛に゛ぃぃぃ〜!!!」
「ゴンちゃ……金色の千眼さんのことですか?」
「ズビビビビビッ……! わがりまじたっ! 僕がなんとかしますっ!!」
トートが鼻を啜りながら答える。
「えっ!? なんとか?」
「ふぁいっ!! 聞いてしまったからには、僕がシューズさんのこと、なんとかしてみせます!」
「……いや、えっ?」
トート自身は知らないが、彼もまた、バンガードの仲間内からは変人扱いをされていた。
情にもろ過ぎる、優しい、度を超えた、お節介焼き。
兄弟である『金色の千眼』の二つ名になぞらえて、『金色のお人好しの方』と仲間内で隠れて呼ばれているのは、ここだけの話である。