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僕はアスカとよく遊んだ。昼休みにはしょっちゅうドッジボールなどを一緒にしたし、班が同じだったので共同作業をすることも多かった。僕らは放課後にも一緒に遊ぶ関係だった。僕にはよく遊ぶ男子の小さなグループみたいなものがあったが、そのグループはアスカがいる女子のグループと遊ぶことが結構あった。僕らはまだそんなに男女というものを意識せず、友達は友達なのだからと外や誰かの家で遊ぶことがあった。
季節は夏から秋に変わっていった。秋には沢山の学校行事があった。例えば山まで紅葉狩りに出かけた。学校全体でいっぺんに行くのはあまりにも多すぎたので、二学年ずつ行くことになっていた。そこでの行動も教室での班と同じで、僕はアスカと一緒だった。
そこで僕は彼女と何をしたのだろう。何を話し、何を思ったのだろう。細かいことは覚えていないが、あの赤や黄色の世界の光景は今でもはっきりと覚えている。それは時にはカーテンで、時には絨毯だった。僕はその紅葉の世界をアスカと並んで歩いた。すごいすごいとはしゃぎ合いながらゴミ袋に紅葉を集めた。そして昼には持ってきた弁当を班のみんなで一緒に食べた。赤と黄色に囲まれた世界で。僕はその記憶を思い出す時、あれは本当に現実だったのだろうかと思う。それくらい非現実的な淡く美しい場所だった。記憶だからかなり美化されているのかもしれない。本当はそんなにたいしたことない、極々普通の紅葉だったのかもしれない。けれどもその一時がかけがえのないものであり、どうしようもなく美しいと感じるほどのものであったことは間違いないはずだ。集めた紅葉は一箇所に集め、腐らせて堆肥に使うということだった。今思うとそういうことを体験させてくれるなんていい小学校だったものだ。
多分一一月の頭頃だったが、ある土曜か日曜には町内運動会のようなものが行われた。それは春に行われる小学校内の運動会とは違い全年齢参加型のものであり、基本的に誰でも参加できるような類のものであったが学区内の人たちや保護者らが主な参加者であった。そこでは年齢別・男女別の種目があり、大人たちも必死に走ったり跳んだりしていた。それはとてもおもしろい光景だった。普段は絶対に見ることができない、大人たちが子供のように振る舞う姿。もちろん小学生が参加できる種目もあった。ともかく全体的に学校の運動会とは違いだいぶルーズで自由であり、小学生の僕にとっては貴重で新鮮で楽しくて仕方のないものだった。体育館ではバザーも行われており、店とは比べ物にならないほど安いものがいくつもあった。そこは当時の僕には宝の山みたいに見えた。当時の僕は月のお小遣いが五〇〇円だった。けれどもそこで売られているものはそのほとんどが何十円というものだった。普通に買えばお小遣い数カ月分はするであろうものも。僕はその日一日中興奮していたように思う。
町内運動会が行われる学校の校庭に行くと、アスカはすでにいた。僕はアスカと一緒にアスカの知り合いの大人たちの手伝いをしたりした。町内運動会の運営をするのは学区内の大人たちであった。アスカと一緒に大人たちの手伝いをするのは楽しかった。いちいち新鮮だったし、自分が少し大人になったような気もした。手伝いをすると飲み物やお菓子がもらえたことも大きい。僕らは自分たちが参加できる競技が行われると一つ残らず参加した。そういう時は色んな所に散らばっていた友達やクラスメイトたちも集まってきて、僕らはみな目一杯走ったり跳んだり白粉の中に顔をつっこみ顔中真っ白にしながら黒飴を口でくわえたりして、腹の底から笑いながらゴールまで駆けてった。そしてお互いの白い顔を見てゲラゲラ笑ったあと水で洗い落とし、また各々の場所へと散らばった。僕はまたアスカと一緒に大人たちの手伝いをしたり体育館のバザーを見たり大人たちの競技を見たりして楽しんだ。お昼には大人たちが作って売っていたおにぎりや芋煮をもらって一緒に食べた。その日終始僕とアスカは笑っていたと思う。運動会が終わると僕らは片付けの手伝いもした。あんなに沢山いた人たちはみなどこかへ行ってしまい、校庭には大きな空間が残された。音も消え寂しさが広がった。片付けを終えるとそれは完全なものになってしまった。時刻は多分午後の四時くらいだっただろう。一日の終わりが少し近づいてきた頃合い。先ほどまでの喧騒が嘘だったかのような何もない空間と静けさが広がっていた。ぽつりぽつりと遊んでいる子どもたちの姿はあったが、あの大勢の人々とは比べ物にならなかった。祭りのあとの静けさ。僕はなんだか世界の果てに来てしまったような寂しさを覚えていた。
「終わっちゃったね」
とアスカが言った。アスカはまだ僕の隣にいた。僕らは並んでその普段より広大で荒涼とした校庭を眺めていた。
「終わっちゃったね。なんか夢だったみたい」と僕は言った。
「それわかる。あれってほんとにあったのかなーって思うよね」とアスカは僕の顔を見ていった。
「なんか寂しいよね。でも来年もやるし」
「そっか。来年もやるんだ」
「うん。毎年やってるから。来年も楽しみだね」
とアスカは僕の顔を見て言った。そしてすぐに顔を曇らせ「あ、ごめん」と謝った。アスカがそんな顔をして謝るのは多分初めてだった。僕にはアスカが謝っている理由がわかった。だからそんな理由で謝って欲しくはなかった。
「謝らなくていいよ。多分そうなるし」
と僕は答えた。多分来年も僕はここにいる。そしてアスカと一緒にあの町内運動会を楽しんでいる。来年も僕は元いた場所に帰ることができず、ここにいる。その頃僕はすでにそういう考えになっていた。帰れる気配がまるでない。帰れるという予感もまるでなかった。それに僕はそうなったほうがいいかもしれないとすら思っていた。来年もまたアスカと一緒に町内運動会を楽しみたいと思っていた。そのためには僕は帰ってはいけない。帰らないほうがいいのだ。帰りたいという思いもあまりない。もちろん元いた世界の家族や友人らのことを思い出して悲しい気持ちになり、会いたくて堪らなくなることはあったが、しかしそれはもう永遠に失われてしまったものだという考えもあった。僕はそれに慣れなくてはならないとも思っていた。
「来年も楽しみだね」
と僕はアスカの顔を見て言った。アスカを慰めたかった。謝る必要なんかないと、僕も同じ気持ちだと伝えたかった。来年もアスカと一緒にこの時間を楽しみたい、と言ってしまいたかった。そうなったらいいな、と。でもそれを言ってしまうことはまだできなかった。言ってはいけないような気がしたし、第一それはとても恥ずかしいことだった。自分のそのような本音を伝えるだなんて。
アスカは僕の顔を見返し、少し悲しそうな、困ったような表情を浮かべて「うん」と頷いた。あの時アスカが何を思っていたかは僕にはわからない。彼女も僕が元いた場所に帰れないほうがいいと思っていたのだろうか。けれどもそんなことは思ってはいけないとも思ってたのだろうか。僕にはわからない。これらは僕が都合のいいように想像したことにすぎない。僕にとって事実なのは、その時アスカが悲しさと困惑が混ざったような一言では言い表せない複雑な表情をしていたということだけだ。そしてアスカのそんな表情を見たのは、後にも先にもおそらくあの時だけだったろう。
アスカはすぐに前を向き、明るい表情で「少し遊んでこうよ」と言った。僕は頷き、校庭の真ん中の方に駆けていった。町内運動会が終わった、日曜の夕方の校庭。そこに流れていたどこまでも穏やかで淡い時間。僕らは町内運動会の景品か何かでもらったフリスビーで遊んだ。遠くに離れお互いに向かって思い切り投げた。フリスビーは見当違いの方向に飛んでくこともあったし、真っ直ぐ相手の胸に飛び込んでいくこともあった。見当違いの方向へ飛んでいった場合は笑いながらそれを追いかけた。真っ直ぐに飛んだ時は互いに喜び合った。僕はフリスビーを空にめがけて投げてみた。フリスビーは空に吸い込まれるように天高く飛んでいった。アスカは笑いながら走り、それを追った。フリスビーはブーメランのように弧を描いて僕の元へ戻ってきた。アスカは僕の目の前まで走って追ってきたが、それを掴んだのは僕だった。アスカは息を切らし笑いながら「戻ってきたね」と言った。そして僕からフリスビーを奪い、僕を真似て思い切り空に向かってぶん投げた。
フリスビーが消えるように空に吸い込まれていくあの景色を、僕は今でも覚えている。
秋にはもう一つ大きな学校行事があった。それは簡単に言うと学習発表会のようなものだ。各学年の各クラスの各班が、それぞれ調べたことなどを模造紙などにまとめて教室などで展示・発表する。それ以外にも体育館での劇のような大きな発表もあった。ともかくそれは小学校全体で行われるお祭りのようなものであった。
僕はアスカと同じ班だったので、ほとんど常に一緒に作業をしていた。放課後残って続けることもあった。それ以外にも体育館で行われる劇形式の発表でも同じグループであり、練習をする必要があった。その発表劇はそれぞれの班が調べた物を一つの物語としてまとめ、劇形式で発表するというものだった。そしてそれは学年ごとに行われるものなので、隣のクラスとも合同で行うものだった。
その年僕らの学年が調べたのは地元の伝統工芸品などであった。体育館で行われる発表は全員が参加する必要はなかった。各クラス立候補者や推薦者を募り行われる。アスカはそういうことに積極的に参加するのが好きだった。行動的なのだ。何事もやった方が面白いし得だ、という考えを持っていた。今しかこれはできないのだから、今やらなければもったいない、と。アスカがそれに立候補することは前もって本人から聞いていた。そして「リョウくんも一緒にやろうよ。絶対楽しいよ」と誘われてもいた。もちろん僕は立候補した。そういったことは決して得意ではなかったが、確かにアスカの言う通り折角だから参加したほうが楽しいかもしれないと思えていた。何よりアスカが一緒ならば大丈夫だろうとも思っていた。彼女がやるのだからやらないわけにはいかない、という変な対抗意識のようなものもあった。
劇の立候補者らが集まり会議のようなものが行われた。そこで劇のシナリオ案を皆が出し、どのアイデアがいいか投票し、上位のいくつかを先生が上手いこと混ぜあわせてシナリオを作る。それを僕らがまた少しずついじくっていく、といった具合だった。シナリオが決まると次は役だ。誰がどの役をやるか。並行して劇に必要な小道具作りも始まった。僕らだけでそれをするのは時間が足りなかったので学年の他の生徒達の力も借りた。
僕はもちろん主役ではなかった。そんなものに立候補する勇気はなかった。アスカも主役ではなかったが、ほとんど準主役のような役割だった。助演女優、といったところだろうか。しかし僕はアスカと一緒に練習ができればそれでよかった。同じ空間で同じ時を過ごし、同じ目標に向かう。それで十分だ。
僕はその劇に参加したことで新たに隣のクラスの友人が増えた。それはこの劇に参加して得たものの中で最も大きいものの一つかもしれない。そこには今までにはない出会いや経験がいくつもあった。確かにアスカの言うとおり、それはとても楽しいものだった。大抵のことはアスカの言うとおりなのだ。
劇では幾つもの伝統工芸品が人間のように意思を持ち、動き喋った。僕はそうした伝統工芸品の役の一つで、伝統工芸品のマスクのようなものをかぶっていたので顔を出すことはなかった。そのおかげで僕はそこまで緊張することがなかった。
ともかく、そのように練習や準備の日々を終え学習発表会当日になった。朝から大勢の保護者が学校に来た。僕らは自分たちの教室で自分たちの班の学習を教室に訪れた大人たちに発表した。班の中で時間ごとに発表する者と休憩する者が別れていた。班は六人で四人が残って発表し、二人が休憩自由時間ということになっていた。僕は自由時間にはアスカや他の友達らと一緒に学校中を巡って色々な発表を見た。特に体育館で行われている学年ごとの発表が興味深かった。体育館はいつもと違い人で埋め尽くされていて、なおかつステージ以外は暗かった。そこには映画館の中のような非日常が広がっていてワクワクしたものだ。そういう時でないと他の学年がどういうことをしているのか、どんな具合なのかを知ることもできなかったので僕らは熱心に他の学年の発表を見た。そして自分たちの発表のために気持ちを備えた。
体育館での発表のことはあまり覚えていない。ステージの上の照明の明るさと客席部分の暗さがやたらと印象に残っているが、それ以外のことはほとんど記憶にない。しかし僕の出番も台詞も少なかったので大きな失敗はなかった。役の上でアスカと関わることはないに等しかったが、空間と時間は共有していた。ステージの舞台袖で僕らは皆ワクワクしながら小さな声で励まし、讃え合った。アスカは先にステージに上がっていて、僕がステージに上がると目が合った。アスカは少し微笑み、視線で僕を励ましてくれた。僕は年に一度の特別な時間の多くをアスカと過ごすことができた。だからその出来事は、はっきりと今も僕のもとにある。