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やがて私たちは結婚した。家庭を築いた。子供ができた。子供が成長した。その子供もたちも大人になり家を出ていった。また二人だけの生活に戻った。
ずっと、順調だった。何事もなかった。何かが起きることなどなかった。ただひたすらに、どこまでも幸せな生活が続いていった。
やがてそれにも終わりが来た。私たちは年老い、彼が先に亡くなった。そうして数年後、私も死の淵にあった。けれども悲しいことは何もなかった。後悔など何もなかった。未練など、この世に残すものなど、何もなかった。
ただ幸せだった。本当に本当に、幸せな人生だった。彼のおかげで、リョウくんのおかげで、私はただひたすらに幸せな人生を送れた。その彼に、また会える。あの世でまた彼に会えると思えば、怖いことなど何一つなかった。
そのうち私の肉体にも終わりが訪れた。意識が薄れていき、やがて空中に溶け去るように、消え失せた。
けれどもそれは終わりではなかった。
*
気づいたら私は緑の中にいた。木々の中に、藪の中に。暑さを感じた。蝉の鳴き声がした。それは夏だった。見上げると、青い空に入道雲がどこまでも積み重なっていた。
「遅かったな」
誰かがそう言った。私は、そちらを見た。
そこにはリョウくんがいた。しかも一人じゃなかった。リョウくんが、二人いた。
「よ! アスカが来るの待ってたぞ!」
リョウくんはそう言い、手を振った。それはあの頃のリョウくんだった。子供の頃のリョウくん。十歳の頃の、リョウくん。二人共、あの頃の姿のままそこにいた。
「リョウくん……」
私は、彼の元に歩み寄っていた。
「アスカもあの頃のまんまだな」
「え?」
そう言われ、私は自分の体を見た。半袖Tシャツにハーフパンツ。よく日に焼けた肌。そして小さな、子供の体。
「あの頃のアスカだよ。十歳の頃の」
「そっか……リョウくんたちもそうだね」
「ああ。さて、んじゃどっちがヤマミリョウでしょうかゲーム! 俺たち二人のどっちがアスカの世界のリョウかわかる?」
リョウくんたちはそう言い、互いに肩を組み笑ってみせた。
「――はは、そんなの簡単だよ。こっちが私のリョウくん」
「あたりー! さすがにわかったか。そりゃ八十年近く一緒にいたもんな。なんでわかった?」
「君のほうが軽薄」
「はは! 俺のほうが軽薄だってよリョウ」
「実際そうじゃん。同じ僕なのにあの一年で結構違いでたよね」
「ほんとな。そっち相変わらず僕のまんまだしな。俺やっぱ僕だと周りにいじられてさ。嫌だから変えた」
彼はそう言い、もう一人の、あちらのリョウくんの背中を叩いた。
「ほら、アスカ。あのリョウだよ。あっちのリョウ。あの一年だけアスカと一緒にいたリョウ」
「うん……リョウくん、久しぶり」
「うん。久しぶり」
彼は、そう言って笑った。その笑顔はあの頃のままだった。
「ほんとにね……リョウくんもここにいるってことは死んだってこと?」
「うん。少し前にね。こいつが先にいて待ってた」
「俺最初だったからさー。でもなんとなくみんな来るのわかってたんだよ。だから一人で待ってた」
リョウくんは、私のリョウくんはそう言って笑ってみせた。
「そっか……お疲れ。待たせてごめんね」
「いいってことよ。みんなといるのも楽しかったし」
「そっか……リョウくんもありがとうね。私のリョウくんと一緒にいてくれて」
「当然だよ、僕だし。楽しかったし」
「うん。リョウくんはさ、どうだった? 人生。幸せだった?」
「うん。最高に幸せだった。そっちはどう? 幸せだった?」
「うん。最高に幸せだった。私のリョウくんのおかげで」
私はそう言い、私のリョウくんの方を見た。彼も私を見てニッと微笑んだ。
「そっか、ならよかった。あれ、誕生日プレゼント。ずっと使ってたよ。ほんとにありがとう」
「うん。ちゃんと渡せてほんとよかった。私もずっと使ってたよ、あの江戸切子」
「ええ!? あのグラスってそいつからもらったのだったの!?」
と私のリョウくんが驚いて言う。
「うん」
「なんで言わなかったんだよ」
「嫉妬するかと思って」
「するわけないだろー俺に」
「はは、かもね。でもまあ、夫婦の間にも秘密の一つくらいは必要じゃない?」
「まさか俺らの間にそれがあるとはな……」
「はは、ほんと仲いいんだね二人は」
「うん。そっちはどうだった?」
「それは、本人に聞きなよ」
彼はそう言い、私の後を指さした。私は振り返った。
そこには、私がいた。
「――はじめまして」
もう一人の私はそう言い、ふっと微笑んだ。
「――うん。はじめまして」
「あなたがもう一人の私か……ほんと同じだね」
「そりゃね。そっちこそ」
「そうだね。そっちはちゃんと、っていうのもおかしいけどちゃんとそっちのリョウくんとくっついたんだ」
「はは、そう。くっついた。そっちもね」
「うん、こっちも。ほんと偶然、運良く会えて」
「偶然じゃないよ多分。運命で」
私はそう言い笑う。
「私が言うことじゃないけど、ほんとにありがとう。そっちのリョウくんと、もう一人のリョウくんと出会ってくれて。彼のことを、幸せにしてくれて」
「はは、ほんとにそっちが言うことじゃないね。でも、私もありがとう。あなたがそっちで彼に会って、彼を助けてくれたおかげで、私も彼と会えて、ずっと一緒に生きてこれたから」
「うん、そうだね……お疲れ様、人生」
「うん。お疲れ様。長い人生」
私たちはそう言い合い、互いに私と抱き合う。
「――リョウくん。ほんと待っててくれて、ありがとう」
私は私のリョウくんと向かい合い、そう言う。
「そりゃ待つに決まってんじゃん」
「そっか……でもありがとう。リョウくんが待ってるってわかってたからさ、全部怖くなかったから。死ぬのも、何も怖くなかった。ほんとにありがとう。今まで、全部」
私はそう言い、彼と抱き合う。
「ああ。でも終わりじゃないよ。この先のことはわからないけどさ、でもずっと一緒じゃん」
「そうだね……ここってどこなの?」
「さあ。わかる? ここあのお蚕神社の近くの薮の中でさ。なんかおあつらえ向きに井戸まで用意されてんだよ」
彼はそう言い後を指差す。そこには、あの涸れ井戸があった。リョウくんたちが話していた、すべてを変えた、あの涸れ井戸が。
「これは元々ここのものだったのかもな。それがなんか知らないけどあの世界に出ちゃって。ここはあの世っていうかさ、その中間? まあわかんないけど、人は死ぬとその魂は宇宙の果ての天国に行くとか言うじゃん」
「ああ、あの一三八億光年先の」
「そう。ここは宇宙の外側なのかもな。お互いの宇宙の外側で、その中間。だからどっちもここで会えたっていうか」
「そうかもね……一三八億光年果てかぁ。ここは」
「そう考えるとすごいよなあ……んじゃま、そろそろ行くか」
「どこに?」
「あの世? まあわかんないけどさ、でも終わりじゃないじゃん多分。ここが宇宙の果てだろうと、あの世だろうと、死んだ後だろうとさ。俺たちは一緒にいるんだし、ずっと一緒じゃん。永遠に」
「……そうだね。ずっと一緒だよね。永遠に」
「ああ。それじゃま、とりあえず遊ぼうぜ! なんせ小学生の体なんだからさ! 小学生なのに遊ばないなんてもったいないじゃん。それにさ、ここずっと夏なんだよ? 多分永遠の夏休み。夏休みなのに遊ばないとかありえないでしょ」
「はは、ほんと」
「だろ? 多分あっち行けばみんないるしさ、学校もあるかもしれないし。そこでみんなでドッジボールとかドロケイとかやろうぜ」
「そうだね……遊ぼっか。だって永遠なんだもんね」
「そうそう。遊び疲れたら寝りゃいいし。だってさ、夏休みなんだから。人生の夏休みだよ。人生のご褒美。神様も粋なことしてくれるよなーほんと」
彼はそう言い、手を差し出す。
「行こう」
「――うん」
私はその手を握った。そうして私は、もう一人の私にも手を差し出した。
「行こ。一緒に」
「――うん」
彼女も私の手を握る。そうして彼女も、もう一人のリョウくんと手を握る。
私たちは、四人で手を握りあった。手をつなぎ、仲良く駆け出した。
その、永遠の夏休みに向かって。




