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永遠のyouth  作者: 涼木行
【第一部】 あの世界で君を失い、この世界で君と出会った
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 そうして三学期、中学二年の最終学期が始まってしばらく経った頃になると、僕はよくクラスメイトや部活の男子や女子に「タキザワさんと付き合ってるの?」と訊かれるようになった。


 僕はそういうことを訊かれる度、アスカに申し訳ない気持ちになった。僕がこういうことを訊かれているということはアスカも訊かれているのだろうと思い、不愉快な気持ちになってやいないだろうかと不安に思った。同時に何故みんなそんなにも他人のことに興味を持ち知りたがるのだろうかとも思った。僕とアスカがどうであれ、その人達にはなんの関係もないはずだ。僕はそうしたことを訊かれる度よくわからない気味の悪さのようなものを感じていたが、ともかく正直に「付き合っていない」と言った。僕らはクラスメイトであり、同じ部活であり、家が近い。それでとても親しくなったが交際をするような関係ではない。親しい友人なだけだ、と僕は説明した。説明しながら自分でもなんでこんなことを話しているのだろうとか、僕が話しているのは本当のことなのだろうかとか、色々とわけがわからなくなった。それでも僕はいちいちそう説明するしかなかった。しかしそう説明しても「なんで付き合わないんだ」とか「付き合えばいいのに」とか即座に返された。僕にはよほど余計なお世話だと思えた。この人達は一体何を思ってそんなことを言っているのだろうと、本当にその理由がわからなかった。僕は本当にわけがわからなかったので「わからない」「考えてない」と答えた。僕は付き合うだとかそういうことはどうでもよかった。僕はただアスカとできるだけ長く一緒にいたいだけだった。できればこのままずっと。あの日、別れたくないのに別れてしまったから。会いたくてたまらなかったのに二度と会うことができなかったから。彼女が僕にとっての片割れであり、この世で唯一無二の半身だったから。彼女があちらの世界のアスカでないとはいえ、彼女が「もう一人のタキザワアスカ」であることは間違いなかったから。僕はただ九歳のあの一年間のように、ずっと一緒に笑って過ごしていたかっただけであった。永遠に失われてしまった、僕の人生で最も幸福だったあの一時を取り戻すために。


 しかし皆は間髪入れずに「タキザワさんのことが好きじゃないの?」と続けてきた。僕はその度、どう答えればいいのかわからなかった。そもそもなんでそんなことを目の前にいるこの人間に話さなければいけないのかわからなかった。そんなこと話したくなんかなかった。だから僕はその度「好きだよ。ていうかタキザワさんのことが好きじゃない人なんているの?」と僕は答えた。そして僕は次々と自分が好感を持っている人の名前を上げ、そうした人々のことも同様に好きだ、と言った。そうすると大抵「そういうことじゃなくて異性として好きかどうかってことだ」などと返された。僕は大抵「異性かどうかとかどうでもいい。人間としてどうかってことだから」などと返した。そのへんまで行くと僕はもう相手にされなかった。頭がおかしい頭でっかちの斜に構えたガリ勉野郎とくくられた。僕は自分がどう見られようと構わなかったが、そうした人々が残していった「アスカが好きか」という問は刺のように僕の中に残り続けた。


 僕は一人になると自問せずにはいられなかった。僕はアスカのことが好きなのだろうか? 好きであることは間違いなかった。しかし彼らが言うような「異性として」。異性として好きというのはどういうことなのだろうか。付き合いたいというのは、どういうことなのだろうか。僕は考えた。そういうことなくずっと一緒にい続けるということはできないのだろうか。しかしそれは自分の考えであって、アスカが何をどう考えているかはわからなかった。自分本位なものであることもわかっていた。けれども僕はそういうことを考えずにはいられなかった。一四歳という歳になり、僕らはもうそういうことを抜きには一緒に生き続けることはできないのだろうか。九歳のあの頃のように、ただ共に楽しく日々を過ごすということが。できないのかもしれない、とも思えた。自分がもうあの頃のような小さな子供ではないことはわかっていた。そうした小さな子供の十年間が終わろうとしていることは、なんとなく感じていた。それに抗うことはできなかったし、抗うのは正しくないような気もしていた。


 しかし、問題はそういうことではない。僕にとっての一番の問題は、そういうことではなかった。僕は人々に問いを投げかけられ、それについて自問するようになり、そのことに気づいてしまった。いや、おそらくずっと気づいてはいたのだろうが、例の如く見たくないからと奥に追いやり目を逸らしていたのだろう。


 僕はアスカのことが好きなのだろうか? それはイエスだった。僕はアスカのことが好きだった。それは間違いない。自分でもよくわかっていたことだ。僕が答えたように人間として、この世で一番好きな人だった。そして彼らが言うように、異性として。女性として。僕はアスカのことが好きだった。


 だがしかし、僕は本当にアスカのことが好きなのだろうか? あのアスカのことが。この世界にいる、この世界の、目の前にいる、一四歳のアスカのことが。あちらの世界にいた、僕が九歳の時に出会った、僕を助けてくれた、僕が自分の片割れだと信じて疑わない、だというのに好きだと告げることもできず、別れを言うこともできずに唐突に引き離され別れてしまった、そしてそれ以後二度と会うことができないあの、あちらの世界の、九歳の、もう一人のアスカではなく。


 僕は本当にこの世界のアスカのことが好きなんだろうか?


 僕が本当に好きなのは、あちらの世界のアスカなのではないだろうか?



 そうした疑念、不安はすぐにやってきた。それはずっと僕の中にあったものだから。僕は一度それを目にしそのことについて考えだすと、怖くて怖くて仕方がなかった。そんなこと考えたくもなかったが、考えずにはいられなかった。僕にはこの世界のアスカ、現実のアスカのことを見ていないのではないかという疑念があった。目の前のアスカを見ているようで見ていない。そこにいるアスカではなく、彼女を通してあちらの世界のアスカを見ている。あちらの世界のアスカをこの世界のアスカに重ねて見ている。自分はそういうことをしているのではないかという疑念が、絶えずあった。それまではなんとか押し隠し見ずに済んだが、もう無理だった。僕はその恐怖にとらわれていた。自分がアスカをあちらの世界のアスカの代用にしてしまっている気がして仕方なかった。強烈な罪悪感も覚えた。僕はもうどうすればいいのかわからなかった。自分でも何が本当なのかわからなかった。ただ恐怖だけが絶えずあった。僕にはアスカに合わせる顔がなかった。どういう顔をしてアスカと会えばいいのだろう。僕は自分が彼女にものすごく酷いことをしているような気がして仕方がなかった。僕は自分がアスカを好きなのか、本当にわからなくなってしまった。


 アスカは何も話さなかった。アスカも僕同様に周りの人から色々と言われているはずであった。それはおそらく僕の思いすごしではないはずだった。そういうことを匂わせるような話を部やクラスの女子からも聞かされていたからだ。僕はただただ申し訳なかった。けれどもアスカは表情を変えず何も言わず、いつも通りであり続けた。それが自然なものなのか努めて行われているものなのかは僕にはわからなかったが、それを見ると僕もいつも通りにせずにはいられなかった。僕の望みもそれだったから。僕らは変わらず一緒に帰り続けたし、話し続けた。けれども僅かに、ほんの僅かであったが、確実に今まではなかった何かが僕らの間にはあった。僕はそれを僕自身の問題、僕のアスカへの想いに対する疑念によるものだと思っていた。けれども僕は、どうしても自分でそれをどこかに追いやることはできなかった。


 僕は少しだけアスカと距離をとるようになっていた。それは物質的な距離ではない。話す時間や一緒にいる時間も変わらなかった。ただ僕は、そこで交わされる一つ一つに対し、距離をとらずにはいられなかった。アスカに合わせる顔がなかったから。アスカに酷いことをしているという思いがどうしてもあったから。そしてそれは多分アスカも気づいていることだった。



 二月一四日には僕はアスカからチョコレートをもらった。僕はお礼を言った。僕はそのチョコを見て、思わずあちらの世界のアスカのことを思い出してしまった。九歳のあの日、もう一人のアスカから手作りのチョコをもらったことを。僕はそれを思い出してしまい、途端に強烈な悲しみに襲われた。涙が出てきそうになった。僕はそんなことは思い出したくなかった。今目の前にアスカがいて、こうして僕にチョコをくれているというのに、何故違う世界の、ずっと昔の、二度と会うことができない彼女のことを思い出さなければならないのか。けれども僕にはどうすることもできなかった。それは僕の中から勝手に湧き出てきて、僕の思考を満たした。僕はそこから逃れたかった。目の前のアスカに対するとてつもない罪悪感も覚えた。僕はそのチョコを受取る資格がないように思えた。僕はとにかく混乱していて、どうすればいいのかわからなかった。


 僕はあからさまに動揺していて、アスカはそれにすぐに気づいた。アスカは少しだけ困ったような表情を浮かべていた。そしてそこには幾分かの悲しみも含まれているように思えた。僕はアスカにそんな顔をさせたくなかった。してもらいたくなかった。それは僕のせいだった。心の底から申し訳なくてたまらなかった。僕は思い切り歯を食いしばり、熱い塊を何とか飲み込んだ。そして「ありがとう」と言った。


「ありがとう。味わって食べるよ。ホワイトデーにはちゃんとお返しするから」


 と僕は笑って言った。笑えていたかはわからないが、笑みと思えるものをなんとか顔に貼り付けて言った。そこは僕のマンションのすぐ前だった。雪は降っていなかったが街中に積もっていて、寒さはその冬一番といったところであった。アスカは僕の顔を見上げた。そして笑顔を作った。


「うん。楽しみにしてる」


 とアスカは言った。しかしその笑顔にはやはり何かしらの困惑と悲しみが含まれているような気がして仕方なかった。僕はどうすればいいのかわからなかった。何か言わなければと思ったが、何を言えばいいのかわからなかった。


「本当にありがとう。すごく嬉しいよ」


 と僕はなんとか口にした。しかしそれはどこまでも嘘くさく聞こえたし、舌の上に嫌な感触を残していった。アスカは笑みを作ったまま「良かった。じゃあまた明日ね」と言うと僕に背を向け暗い雪道を歩いて行った。僕はその背中を見送った後、家に入った。


 僕はもう消えてしまいたくてたまらなかった。



 それからますます僕はアスカと距離を感じるようになっていた。僕はもうアスカの顔をちゃんと見ることができなくなっていた。目を見るなんてもってのほかだ。僕は言葉を上手く発することもできなくなっていた。言葉がすんなりと出てこない。何を話し、どう返しどう答えればいいのかわからなくなっていた。まるで自分の体じゃないみたいに、全く別の何かに変わってしまったかのようだった。距離を感じる、というよりそれは僕自身が作っているものだった。意図的にではなく、無意識に。僕のアスカに対する一挙手一投足の中には、あらゆることをぎこちなくする何かが挟まっていた。まるで関節が錆びついてしまったかのように、僕はアスカに対してぎこちなくなってしまった。その錆、その刺は「罪悪感」のようなものであった。僕は罪悪感でアスカに対し自然でいられなかったし、そのようにしか関われなくなってしまっていることにもまた申し訳なさを感じていた。そのような堂々巡りの中僕は何一つ変えることができずにいた。僕は自分という人間や自分のこの先、自分の可能性というものが急速に縮こまり閉じていくような感覚に襲われた。あの喪失感に苛まれ続け現実を上手く生きられなかった日々のように、僕はあの虚無に再び引き込まれるようとしていた。


 多分、アスカにはほとんどのことがわかっていた。僕の変化を、そこにある薄暗い何かを。彼女はそれを見て取って、しかしどこまでも普段通りに僕の前にいてくれていた。まるで何も見ていないかのように、気づいていないかのように。けれども彼女がそれに気づいていないなんてことはあるわけがなかった。彼女は目の前にあるものをどこまでも真面目に見る人だったから。彼女はそういう人だった。アスカの笑顔に陰りがあることに僕は気づいていた。それは時たま表面に表れ、すっと消えた。彼女のそういう表情を見る度、僕はなんとかしなければいけないと思った。いい加減この状態を何とかしなければと。彼女にいつものようにいてもらわなければと。けれどもその時の僕には何かを上手くやることなんてできなかった。何もかもがろくに手につかず、全く地に足がついていなかった。僕はこの世界との繋がりを失調していた。何をすればいいのかまったくわからなかったし、そもそもものを考えるということ自体がろくにできなくなっていた。


 そうこうするうちに三月一四日になっていた。あの日から一ヶ月。僕がアスカにひどいことをして悲しい顔をさせたあの日から。何もかもがおかしくなってしまったあの日から。それはずいぶんと昔のことのようにも思えたし、ついさっきの出来事のようにも思えた。しかしともかく、その一ヶ月が実に散々なもので、何一つ進展のない鬱々とした閉じた一ヶ月であったことは間違いなかった。僕はその間アスカに謝ることができなかったし、心から笑ってもらうこともできずにいた。三学期の終わり、中学二年目の終わりがすぐそこに迫っていた。僕らは最高学年になろうとしていたし、クラス替えも迫っていた。僕はホワイトデーでのお返しだけは絶対にすることにした。こんな状態でそんな表面的なことをして繕っても全く意味がないとも思えたが、せめて約束だけは守らなければと僕は考えた。それがどれだけ些細なものでも、約束は約束だった。それまでないがしろにしてしまっては、僕にはもうこの世界にいる資格がないように思えた。


 帰り道、僕はアスカにそれを渡した。市販のクッキー。アスカは笑顔で受け取ってくれた。僕は怖くてその笑顔をきちんと見ることができなかった。だからそれがどのような笑顔だったのか、僕にはわからなかった。こんな時にも僕は僕自身のことの方が大事で、守ろうとしていた。そして彼女も多分、そのことに気づいていた。


 僕の家の近くで別れる時、アスカは足を止めて僕に言った。


「リョウくん、もう少しで三年生だね私達」


 僕は「そうだね」と言い小さく頷いた。アスカは僕の目を真っ直ぐに見つめていた。僕は目をそらすことができなかった。その目から視線をそらすことなんて、多分誰にもできないだろう。そういう人を引きつけ離さない、真摯な眼差しだった。そこには困惑も悲しみも一切なかった。何かを決断したような、強い意志を持った瞳だった。


「リョウくん」とアスカは僕の名前を口にした。先ほどと同じように、僕の目を真っ直ぐみてそれを繰り返した。その言葉ははっきりと真っ直ぐに僕に向けられたものだった。


「うちの学校六クラスもあるしさ、私達別々のクラスになっちゃうかもね」


 とアスカは続けた。僕はその時初めてその事実に気がついた。自分のことばかり考えていて、目の前にあるそうした可能性を見たり考えたりする余裕すら僕にはなかった。やはり僕はその一ヶ月間現実をきちんと生きていなかった。


 アスカは続けた。


「リョウくん。私待ってるから」


 アスカはそれだけ言い、笑みは浮かべず少し手を上げて「じゃあまた明日ね」と言い僕に背を向け去ってった。僕はその背中にしばらく目を奪われていた。


 アスカが何を言っているのか、僕にははっきりとわかった気がした。アスカはずっと待っていたのだろう。なるべく普段通りに努めながら、ずっと。何を? それは多分、僕がそれを話すのを。「それ」が何なのかは、アスカもわからないはずだった。けれども「それ」という「何か」があることははっきりとわかっていたのかもしれない。隣で僕を見ていて、それの存在に気づいていたのかもしれない。気づいていながら、ただずっと待っていたのかもしれない。


 けれども僕らには時間がなかった。時間がないなんて大げさなことではなかったが、アスカはそう感じていたのかもしれない。僕らはもうすぐ僕らの大きな共通点を失ってしまうかもしれなかった。僕はその前に決着をつけなければならなかった。はっきりとさせなければならなかった。僕はアスカにそれを話し、アスカの話も訊かなければならなかった。


 僕らはちゃんと話さなければならなかった。そしてアスカの方にはとっくにその準備ができていたのだ。彼女はいつだって真面目に見て話して聞いていた。彼女はいつだって準備ができていた。しっかりとこの世界を、目の前にある現実を生きていたから。それが一つもできていなかったのは僕の方だった。片方だけそれができていればいいというものではない。僕も真面目に目の前の現実を生きていなければ、話なんてできようがない。だから彼女は、ただずっとそれを待っていたのだ。


 僕は彼女と話さなければならなかった。とても真面目に、この世界の目の前の現実で。



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