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僕は走った。走って走って走り続けた。走っている間はアスカのことを忘れることができた。アスカのことを考えずにすんだ。あの喪失だって感じずにすんだ。体を動かしている間は、限りなく無に近い何かだけが僕の中にはあった。体を動かす、脚を前に出すという体の動作以外には何もなかった。走ると言っても全力疾走ではない。それではすぐに疲れてしまい、足が止まってしまう。足が止まるとすぐに思考や言葉は戻ってきて、アスカのこともその喪失も戻ってくる。僕はより長い間走り続けることを、動き続けることを求めた。それがその時の僕には必要だった。放課後になると僕は延々と街を走った。なるべく長い間走り続けることを求めて。走ってる間は頭が空っぽになる。言葉が消える。そこにあるのは運動だけだ。体の運動。僕は喪失すらないささやかな空白をその中に持つことができた。それは数少ない僕が癒やされる一時だった。僕は僕を守るために、限りなく一人に近づくために毎日のように走り続けた。街から離れ、学校から離れ、友達から離れ、家族から離れ。そしてアスカからも離れた一人であるために。喪失から、その苦しみから逃れるために。僕は走るために生きるようになっていた。逃げるために走り、走るために生きる。それは逃げるための生、逃げることでしか生きることができない生だった。
もちろん常に走っていることなど小学生の僕には不可能だった。平日は学校があった。学校にいる時僕はただひたすらに一人でそれに耐えていた。喪失の悲しみと苦しみに。僕は意識をそらすためになんとか勉強に集中しようとした。それは上手くいくときもあれば、まったく上手くいかない時もあった。けれども上手く勉強に集中できた場合はあの喪失から離れることができた。少しの間であったが、忘れることができた。
友達とは少しずつ疎遠になっていった。仲が悪いというほどではなかったが、以前ほど親密ではいられなくなっていた。僕は「付き合いが悪い」人間になっていた。なんとか一緒に遊んで楽しく過ごそう、この世界でもう一度上手くやり直そうと思い友達と一緒にいようともしたのだが、どうしても以前のように楽しんで笑うことができなくなってしまっていた。嘘で笑っているのも彼らに失礼な気もした。何よりそうしているとどうしてもアスカとの楽しい日々が思い出されて辛かった。だから昼休みは僕にとっては長すぎた。ドッジボールはあまりにもアスカのことを思い起こすので集中することができなかった。他の遊びにしてもそれはあまり変わらない。僕はそこに意味や価値を感じられなくなっていた。人が多すぎるので絶えず動き続け言葉を頭から追い出すということは難しかった。それでも僕はサッカーなどでがむしゃらに動き、ボールを追い続けた。ただボールに向かって走り、目に入った誰かにパスを出すか、思い切り蹴るだけ。ひたすらそれを繰り返した。考えて動くのではなく、決まった動きを繰り返す。そうすることで僕は一つの「運動」の中に自分を溶けこませることに少しだけ成功した。延々と一定のペースで走り続ける程の効果はなかったが、僕は少しだけ言葉から、喪失から逃れることができた。
放課後になれば僕は毎日のように走ったが、それでもいつかは家に帰らなければならなかった。家にいても何かをしているとふとアスカのこと思い出し、あの強烈な喪失感がやってくることが頻繁にあった。そういう時も僕は体を動かした。腹筋とか背筋とか腕立て伏せとか、そういった些細な運動。けれどもそうした運動はすぐに終わってしまうし、筋肉は疲労すると簡単には回復しない。走ることとは違い、長時間続けることもできなかった。僕はとにかく何かをしようとした。じっとしているとそれはやってくる。とにかく何でもいいから動き続ける、何かをする。勉強をすることもあれば部屋の掃除や片付けをすることもあった。母親の料理を手伝うようにもなった。どんな些細なことでも何かをしていれば少しだけ喪失から逃れることができた。夜はなるべく早く寝た。眠ることが一番の喪失から逃れる手段だった。意識が落ちるまでの暗闇の数分間が一番地獄で、どうしたって次々とアスカのことが思い出され僕は堪らない悲しみと喪失感に身を蝕まれ、涙を流すこともあった。僕は再びこの世界に一人きりになってしまったと感じていた。
僕は自分が体験したことについては誰にも話していなかった。一年間別の世界に行っていたなんて誰が信じるだろうか? その一年間、もう一人の僕がずっとここにはいたのだ。みんなにとってその一年間の僕はそのもう一人の僕であり、この僕ではなかった。この僕を本当に見て知ってくれている人はこの世界のどこにもいない。僕はこの世界に独りだった。少なくともその時の僕はそう感じていた。それは言葉ではなかった。体が感じているもの。それは常に僕の中にあった。
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そのようにして月日は経ち、僕は中学二年生、一三歳になった。それまでの四年という歳月が長かったか短かったか、あまり覚えていない。とてつもなく長かったようにも思えるし、あっという間だった感じもする。その両方なのかもしれない。時間の流れ方、感じ方は常に一定ではない。またその四年間に何があったか、僕はあまり覚えていない。
僕は毎日のように走っていたことで同学年の中ではずば抜けた長距離走の速さを誇るようになっていた。小学生の時、僕の長距離のタイムを知った先生に陸上部に誘われた。僕は深く考えず誘われるままに陸上部に入ったが、そこではただ走り続けるということは難しかった。僕は別にタイムが早くなりたかったわけではない。ただ走り続けていたかっただけだ。喪失から逃れるために。
僕は一ヶ月ほどで陸上部を辞めた。先生に理由を訊かれたので「僕は走り続けていたいだけなんです」と答えた。もちろんアスカのこと、喪失感のことは話さずに。先生は諦めて僕の退部を認めてくれたが、大会にはどうしても出て欲しいと言われた。僕は普段は自由に走っていていいのならとそれを了承した。それから僕は陸上の大会やマラソンの大会に出るようになった。成績は良かった。タイムも徐々に上がっていった。走れば走るほどタイムが速くなっていく、というのは僕のその頃の生活の中で数少ない「前に進んでいる」という実感を持つことができるものだった。過去に囚われそこから逃げるためだけに生きているような毎日の中で、走ることは僕にささやかな達成感や充実感を与えてくれた。そしてそれは僕が現実に留まる助けになった。走ることが僕をこの世界と結びつけてくれた。僕はますます走ることに没頭するようになった。走れば走るほど長く走れるようになり、それだけ長い時間あの喪失感から逃れることができたから。
小学校を卒業するまでの約二年間ではっきりと覚えていることは走ることについてくらいだ。学校生活についてはあまり覚えていない。意図的に忘れたのか、覚えようとしなかったのか。それともろくに見ていなかったので、ちゃんとその時その時を生きていなかったので記憶に残りようがなかったのか。それはわからなかったが、ともかく僕は小学校を卒業し中学生になった。毎日走ってるせいで僕は学校で一番長距離走が速くなっていたし、かなり痩せてもいた。毎日九時間は寝ていたので身長も伸び、学年でも三番目くらいの高さになっていた。そして僕は詰襟学生服を着て中学校に通うようになった。
中学校では陸上部に入った。もちろん長距離の選手として。中学校では全員が何かしら部活に入らなければならなかったので僕は迷わず陸上部を選んだ。その学校の陸上部では比較的自由に練習することができたので僕は一人でとにかく走り続けた。もちろんそうはいかない時もたくさんあったが、その頃には幾らか我慢ができるようになっていた。人と走ったり先生の指導などがある時も極力走ることに、自分の世界に没頭し、自分の中から言葉を消し去ることができるようになっていた。
もっともその頃には、この世界に戻ってきたばかりの頃に感じていたような強烈な喪失感は薄れていた。慣れてしまっていた、とも言えるだろう。それは絶えずそこにありすぎて、僕にとってなんでもない当たり前のものとなっていた。それは別になくなったわけではない。ただ当たり前になっただけだった。僕は中学生になり陸上部に入ったが、個人の時間でも今まで同様走り続けた。それは僕にとって習慣だった。完全に生活に染み付いた終わりなき、休みなき繰り返し。儀式のようですらあった。僕はずっと続けてきたそれをやめるのが怖かった。動きを止めてしまったら、途端にまたあの強烈な喪失が襲ってくる。それも今まで逃れてきた分が一辺に。ぽっかりと空いた深く暗い穴が一瞬で大きくなり、何もかもを飲み込んでしまうのではないか、と。
何の根拠もなかったが、そういう恐怖が僕にはあった。それは走ること以外の日課でも同じだった。僕は起きている間は絶えず動く、何かをするようそれまでの時間で習慣づけていた。止まってしまうのが恐ろしかったから。その時に来るであろうあの巨大な喪失感が恐ろしかったから。僕は授業中はいつも右手を動かし、目を動かし頭を動かしていた。決してじっとしないよう勉強を続けていた。家でも何もしない時間を作らないように毎日勉強をしていた。それを中学に入っても続けていたおかげで僕は最初の試験からかなりの好成績を収めることができた。しかしそのことに対しては走る時程の喜びを感じることはできなかった。なんとなくであったが、体で前に進んでいくという実感があまりなかったのだ。この脚で確かに一歩ずつ踏みしめて進んでいくような実感が。
ともかく、中学生になっても僕は自分の生活を極力変えないよう努めた。絶えず動き続け、なるべく早く眠る生活を。僕は友達と遊ぶようなことはなかった。走り、眠り、勉強する時間を考えるとそんな時間はどこにもなかった。休日も僕はその半分を走ることに使い、オーバーワークの恐れがある際は代わりに歩いた。考えることはせず言葉を極力排除し、歩くという動作と風景を見ることにそこにある自分の全てを費やそうとした。家では勉強や掃除、片付け、料理となるべく常に体を動かした。時間が余った時は自分の部屋だけではなく家中のあらゆる場所を掃除した。トイレに風呂場、洗面所やベランダ。父親について行き自動車の洗車を手伝ったこともあった。ろくに友達とも遊ばず料理や家の掃除ばかりする僕を両親は初めのうち心配し、何か悩みでもあるのかと訪ねてくることもあったが僕は何もないと答え続けた。楽しいからそれをしているだけだと。そのうち両親らも慣れてきたのか、あまり気にしないようになっていった。別に悪いことをしているわけではない。それどころか自分たちがする家事は減り、家の中が常に清潔に保たれるのだ。両親にとっては得の方が多かった。
そうして休日の間もなるべく耐えず体を動かし、何かをするよう努め、早目に布団に入りたっぷりと寝た。僕は自分の生活からあのどうしようもない喪失を締め出すことにかなり成功していた。それはずっとそこにあり続けたが、絶えず何かをし続けていればそれと一対一で向き合うようなことにはならない。
それでもベッドに入り部屋を暗くし寝付くまでの少しの間、アスカのことを思うことがあった。僕は中学生になった。彼女も中学生になっているだろうか。なっているはずだ。彼女はどのように暮らしているだろうか。彼女はどんな姿になっているだろうか。僕はそういうことを想像せずにはいられず、そのたび胸が苦しくなった。何年もの歳月がたっているのにそういった喪失感が薄れることなく残り続けているのは何故なのだろうか、と僕自身思うこともあった。けれどもその答えは多分よくわかっていた。僕はそれほどまでに彼女のことが好きだった。彼女が世界で唯一の自分の真の親友であり、自分の半身だと感じていた。僕はずっと彼女と生きていたいと心の底から願っていた。だというのに、僕はそれを彼女に伝えることがなかった。好きだと伝えず、それどころか別れを告げることもできず僕は唐突にアスカと引き離され、この世界に戻ってきてしまった。
僕はアスカと永遠に離れ離れになってしまった。僕が自分の半身と感じた存在と。プラトンの「愛の起源」のように。古代、人間には男と男の結合体、女と女の結合体、男と女の結合体という三つの種類があった。やがて神は彼らを恐れそれぞれの結合体を真ん中から真っ二つに切り裂きバラバラにした。それから人間は失われた片割れを探し再び完全な形に戻りたいと欲するようになった。『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』の中で歌われている『愛の起源』。その元になったプラトンの『饗宴』の「愛の起源」。「人間の起源」。僕は初めてこの話を知った時、あの喪失感の理由を知ることができた気がした。アスカは失われた僕の片割れなのかもしれないと感じた。僕はそれに出会うことができたのに、再び別れてしまった。僕にとってアスカは「愛の起源」における自分の片割れだった。
僕には多分友達らしい友達はいなかった。部活の仲間やクラスメイトなどとは普通に話したが自分から話しかけるようなことはなかったし、自分から何かを話すということもなかった。基本的に聞きに徹し、彼らの言葉に対して何かしら当たり障りのないことを返すだけだった。僕には話したいという思いも、話したいことも、話せることもなかった。それはどうしたってどこからも出てきやしなかった。そういう意味で僕は何の特徴もないつまらない人間だったかもしれない。長距離走が速く、勉強がある程度できて背が高めであるだけで。休日に遊ぶような友達もいなかった。もっとも誘われることは度々あったが、僕は常に断っていた。やはり遊ぶことを楽しめない人間がそこにいるのは良くないと思ったし、何より僕にはすることがあった。やがて遊びに誘われるようなこともなくなった。僕が彼らにとって「クラスメイト」や「同じ部活の人間」から進展するようなことはなかった。
僕は誰かを好きになるようなこともなくなっていた。それはもちろん男女問わず、広い意味で。いい人だ、と思うことはあってもそれは常に一定の距離がある好意だった。自分から進んでその距離を縮め仲良くなりたい、一緒にいたい、もっと知りたい、などと思うようなことはなくなっていた。誰かに対する興味というもの自体がかなり薄れていたのかもしれない。僕は人間に対しても何事に対しても、目の前にあるものを真面目に見て感じる、それについて考える、ということをしなくなっていた。できなくなっていたのかもしれない。僕にとってそれらは現実だとは思えなかった。僕にとっては関係ない、遠い別の世界のものであるようにも感じた。だからそれらがうまく見えなかったし、見ようともしなかった。僕にとっての現実、僕が生きたい世界はアスカがいる世界だった。僕はアスカがいないこの世界にうまく興味が持てなかったのだ。自分に関係ある、とどうしても思えなかった。ここは僕のいるべき場所でない、と。




