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「本当に……愛されてますねぇ……」


 イザベラは頬に手を当て、ほぅ、と溜息を漏らし、それから思い出したかのように指先でつまんでいたパンのかけらを口の中に放り込んだ。

 隣であたしは、うっと詰まって、慌てて胸を軽く叩く。


「そっ、そんな事じゃなくて、友人として心配してくれてるだけで――」

「えー、そうでしょうか? 直々にこっそりお願いされたんですよ? 『クラスが異なるのは承知しているが、できるだけマリアの近くにいてもらえないか』って」


 あたしがバウマン公爵に怯えてヘンドリックに泣きついてしまった後、彼がまず行ったことはイザベラに事情を話し、あたしの近くにいてもらう事だった。自らの権限で誰か人材を……とも思ったそうなのだが、あたしは彼にとってただの友人でしかなく、返って悪目立ちし状況が悪化する可能性がある。そのため、身近にいても大きな違和感がないと思われるイザベラに話を持って行ったのである。

 そして、昼は暫くここには足を向けない、とイザベラから伝えられた。


「恋ですねぇ……」

 イザベラは再び、ほぅ、と溜息を漏らした。

 あたしが再度否定すべきか否か思案していると、

「そう、恋愛小説のようですわ……失礼ながら、アストリッド様は悪役令嬢と言ったところでしょうか。わたくし、全力で応援致しますわ!」

 隣を見ると、頬を紅潮させ、瞳を輝かせたイザベラが興奮気味に握り拳を作っていた。だから、違うっつーの……。

 そしてあたしは周囲を見渡して、声をもう少し小さくするようイザベラを諫めた。どこで誰が聞いているかわからない。


――恋か……


 あたしは、心の中でふんわりと独りごちてみる。


 恋というものが、あたしは未だにわからない。ヘンドリックへの気持ちは、恐らく恋ではない。友情だ。だけどその境界線はどこにあるのか、どこを境に自覚が芽生えるのか、あたしには見当がつかない。

 あたしは、この世に生まれ落ちて今まで、恋をしたことがないのだろう。多分。


「そういえば、イザベラは好きな人はいないの?」

「えっ」


 イザベラは先程の興奮を冷まして食事を続けていたのだが、あたしが問いかけると見る見るうちに赤くなり、慌てふためいている。


 その様子を眺めて、あたしは彼女の兄のことをふと思い出す。

「でも、そんな方がいらしたらお兄様が大変そうね」

 と、にやりと笑うと、イザベラは「笑い事じゃないんです!」と眉間にしわを寄せた。

「マリア様と懇意にしているだけでも、本当に大騒ぎなんですから!」


 苦笑いするあたしに、イザベラは重ねて告げる。

「自分がいるのに、なぜそんなにマリア様と一緒にいたがるのかって! 兄とマリア様は違いますわ! 訳がわかりませんわ!」


()()()()()()()()

と、ニヤニヤしながらイザベラに先程のお返しをしてみる。イザベラも意趣返しという意図に気づいたようで、照れくさそうに唇を尖らせている。


「憧れの聖女様と懇意にして頂いているだけなのに」

 と小さく文句を言いながらも、満更でもない様子に見えるのは何故だろう。きっと家族仲が良いのだろうな、と想像しながら、あたしは小さくちぎったパンを一欠片つまむ。


「わたくし、小さい頃から聖女様が憧れの存在だったんです」


 イザベラが庭木の緑を眺めながら話し始めた。

 彼女の聖女ファン歴は幼い頃まで遡る。物心ついた頃から、気づけば側に置かれていた絵本があったそうだ。とてもお気に入りの絵本で、何度も何度も読み直し、ボロボロになったその本は、今も彼女の宝箱の中に大切に保管されているという。何か心が弱くなるような出来事があった時にはそっと取り出し、壊れないように気を遣いながら読み直すと心が落ち着くのだそうだ。

 平民から見出された聖女が、数々の苦難を乗り越え成長し、最終的には世界に平和を(もたら)すという物語だとイザベラはかいつまんであたしに教えてくれた。


「モデルになった聖女様がいらしたそうですよ。とても能力が高くて、他国からの要請で世界を飛び回るように浄化の旅に出ていたと聞いたことがありますわ。私達が生まれた年になくなったそうですけど」

 一瞬、うちのおばあちゃんかなと思ったけど、最後の情報がその考えを打ち消した。因みに、あたしとイザベラの生まれ年は同じ。学年が一緒だ。

「詳しいのね」

 感心してあたしが言うと、

「本当に憧れの存在でしたから。聖女様に関しての情報収集は誰にも負けませんわ! 王立図書館で読み耽りましたわ」

 と、気持ち誇らしげに胸を張った。かわいい。


「……なので、マリア様とお近づきになれて嬉しいのです!」

 イザベラは瞳を潤ませて、両手であたしの手を取る。

「あ、もちろん聖女様関係なくても……その……」

 聖女だから仲良くしたいと言うわけではないと言いたい様子で狼狽えているイザベラを見て、嬉しい反面、何だか気恥ずかしくて、あたしは手を握られたまま視線を惑わせた。

「わたしも、イザベラと友人になれて嬉しいわ」

 と伝えると、イザベラは頬を色づかせて微笑んだ。

 だから、友人なんだから『様』はいらないと伝えたのだが、そこは固辞された。彼女なりの拘りらしい。


「だけど、お兄様がそんな状態では、恋なんてとても出来そうにないわね。お兄様、将来を誓い合うような方は?」

 あたしがふと問いかけると、イザベラは一瞬ぐっと喉を鳴らした。

「あ……それは、いる……ような? いない……ような?」

 何故疑問形なのか。何とも歯切れの悪い言葉が返ってきて、あたしは首を傾げる。

 イザベラは「えーと」とか「それは」などと言いながら、上空を見たり、かと思うと俯いてみたりで落ち着かない様子を見せた。


「兄はですね、実は――」


 イザベラが言いかけた言葉を遮るように昼休み終了のチャイムが鳴り、あたしたちは慌てて立ち上がった。


*****


「ね、貴方。あの……理事のバウマン様が、お呼びですわ」


 授業が終わってすぐ、聞き覚えのある声が背後から聞こえてきた。先日も同じように声をかけてきたあの令嬢だ。今日も、まるで今にも逃げ出しそうな怯えた様子で佇んでいる。ホントに名前何だっけ……。


「あ、ありがとうございます」


 と椅子から立ち上がると、令嬢はあっと小さな声をあげて抱えていた本を床に落とした。

 あたしは本を拾い上げようとしゃがみ込む。令嬢もオドオドとした声で小さく「あ、あ……ごめんなさい」と言いながら近くにしゃがみ込んだ。その刹那、



「……あの人に、気を付けて」


 

「え?」

 すぐ側で、囁くような声があたしの耳を打ち、声のする方へ顔を向けた。


「一度しか言いませんわ。バウマン公爵への対応にはくれぐれも気をつけて。あの方、人身売買に関わっているの」

「……なんですって? まさか」

 我が国では奴隷を所有するなどの人身売買は認められていない。

 令嬢は机の下に身を隠したまま、そっと唇の前に人差し指を立てる。丁度死角になっているようで、誰もあたし達の密談には気づいていないようだ。ついさっきまでの怯えた様子は少しも見られず、この時あたしは初めて、彼女が少しばかりつり目気味のきりりとした印象の少女であることを知った。


「……闇の、奴隷市場に出入りしているのですわ。貴方も脅されているのでしょう? 返答する時は気をつけて。足元を見られないように」


 密やかな声で早口に伝えると、令嬢は唇を閉じた。

 この人はあたしに意地悪をしている令嬢達の仲間だったはず。なぜ? という顔をしていたのか、令嬢はクスリと笑ってあたしの戸惑った表情に対して答えた。


「あなたが気の毒に見えたから」

 片目を閉じてそう言うと、彼女は呆然としているあたしから本を受け取った。

 そして再びオドオドした様子で立ち上がると、どもりながら謝罪の言葉を残して去っていった。演技派だ。



 理事室の扉を叩こうとして、扉の向こうから聞こえてきた怒声で手を止めた。


「まだ見つからないのか!」


 あたしはびくりと動きを止めて中の様子に耳をそばだてる。だが、その後は朧げに声を感じるのみではっきりとした音声が耳まで届かない。ただ、緊迫した様子であることは察することができた。


 と、同時に。

 何かが視界を掠めた。そして、あたしがノックしようとして固まった右手の、そのすぐ上で何かが止まった。急ぎ視点を合わせると、それは小さな蜘蛛だった。


 ただその蜘蛛、普通の蜘蛛では無いと言う事は一目で分かった。その体は向こう側が透けて見えるほどの半透明なのである。それだけでなく、ピリピリと電気を帯びている……。あたしが視線を合わせると、ぱちり、と火花の様な音がして、ほんの一瞬ごく小さな雷を散らした。


 そして思い出す。少し前に出会った、あの鴉を。メッシュ状の電気を帯びた網で包まれるように拘束された、弱ったあの子を。


――もしかして、この蜘蛛が?


 扉の前で暫し固まったあたしは、目の前の蜘蛛を凝視する。蜘蛛もあたしを認識しているようなのだが、やがて、その体と同じように半透明だった小さな目が紅に染まっていく。

 そして濃い赤の光となると、ちかり、ちかり、とふたつの光を放ち始めた。と同時に体、特にお尻のあたりを動かし始めているのに気づく。

 また、あくまでも直感でしかないのだが……目の前の蜘蛛はあたしを敵と見做したような気がした。それを「是」とでも言うように、蜘蛛は再びぱちりと電光を散らした。


 小さなふたつの赤は、今にも何事かを起こそうとしているように、高速で点滅している。

大変お待たせしました。ホントにすみません……。

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