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「……あれ?」


 席に戻ったあたしは、席を離れた時と机の様子が()()()()()()()ことに違和感を覚えた。

 裏庭でバウマン公爵と窓越しに目を合わせた数日後のこと、授業の合間の出来事だ。



 かつて、ヘンドリックが謀らずも引き連れていた令嬢達は、昼休みに裏庭に顔を見せなくなった代わりにあたしに嫌がらせをするようになった。ただ、極々小さなものなので、あたしもそれほど気に病まないというか、「今度はどんなだろうか」と若干面白がるような気持ちで対応していた。

 令嬢達にしてみたら、なぜ身分も容姿も王太子の隣に立つに相応しいであろう自分達より、あたしのような平民ギリギリの男爵令嬢と彼が懇意にしているのか理解に苦しむだろうし、かといってそれを平常心で放置するほどの大人の心は持ち合わせていないのだろう。わかる。


 そんな訳で、今日もうっかり机にノートや筆記用具を置いたまま席を離れてしまったため、用件の帰る道すがら「ノートに落書きかな〜」とか「いや、筆記用具のインクが抜かれているとかかな〜」と思いながら戻ってきたのであった。何事も無い、拍子抜けである。


「あの……ちょっと宜しいですか?」


 突然背後から声をかけられて、びくりとしつつ振り返ると、あたしの斜め後方に一人の令嬢が所在無げに立っていた。

 見覚えのあるその令嬢は、確かヘンドリックが以前引き連れていた中にいたような……。あれ? 違うかな? だけど、なんか見覚えはある。


「は、はい。何かご用事でも?」


 あたしが答えると、その令嬢は視線を床に落とし、何か言い淀むような様子を見せた。

 なんだか何かに怯えているようにも見えて、大丈夫かと声を掛けようとしたところ、突然勢いよく顔を上げた。


「あのっ、別棟でお呼びです!」


 誰が。


 と思って首を傾げると、


「……あ、理事の、バウマン……さんがお呼びです」


 理事? 学校の? なぜ?


 と首を傾げたまま考えていると、よっぽど怪訝な顔をしていたのであろう、目の前の令嬢は慌てた様子を見せた。


「せっ生徒の、生活指導は、バウマンさんが担当されているのですわ。何か……そう、伺いたい事があるそうで、お呼びするよう申しつかりました。場所は……」


 話しているうちに落ち着いたのであろう、令嬢は場所についての話になると途端に饒舌になった。あたしは詳細に説明されたその場所が、先日別棟を見上げた時に目が合った人物が立っていたあの部屋のようだと当たりを付ける。もしかしたら、あの人物が件の理事なのかもしれない。


 *****


 庭園を抜け、いつもの昼食場所を目の端に映しながら、滅多に触れることのない別棟の扉に手を掛ける。

 学生棟のざわざわした賑やかさと反対に、静謐といった印象の別棟は人もほぼ見られない。教師や関係者は一人一室部屋を与えられ、自らの授業の時や何かしらの要件がある時以外はほぼ部屋から出てこない。余りにも静かなので、廊下を歩くと気をつけていても靴音が響く。


 教えられた通り目的の部屋に到着すると、右手で軽く扉に音を立てる。


「入りたまえ」


 扉の向こうから聞こえてきた男性の落ち着いた声を合図に、あたしは扉を押し開いた。


 目に飛び込んできたのはどっしりとした重量感のありそうな机。そしてやはり、その机に座していたのは先日目を合わせたあの男だった。男の背中側には件の窓があり、窓からの景色の遠方に学生棟が見えている。


「貴重な休み時間にわざわざ申し訳ないね」

「いいえ、支障ありません」


 その男、バウマン公爵は金縁の眼鏡をくい、と上げてあたしを見た。やせ型で抜け目がなさそうな佇まい。部屋の片側にある書棚は、書籍が大きさ、色など一定の規則性をもって隙なく整えられている。神経質なんだろうな、と予想する。

 少々色の淡い金髪はきれいに櫛目が入っており、ただの1本も乱れを許さない意思を感じさせる。

 誰かに似ている気がする……気のせいだろうか。


 などと考えていると、少しの沈黙の後、バウマンが口を開いた。


「学園生活はどうかね? 何か不自由していることや、困ったことは?」

「はい、お陰様で楽しく過ごしています。ありがとうございます」

「そうか」


 と言うと、バウマンはスッと目を細めて言った。


「……嫌がらせなどをされていたりは?」


 あたしは思い当たることがないわけではないので、思わずぴくりと反応する。

 あたしの反応を注意深く観察し、バウマン公爵は小さく笑った、ように見えた。



 ――笑った? なぜ?



 バウマン公爵は話を続ける。


「君は、王太子のお気に入りのようだね」


「いえっ、お気に入りなんてそんな!」


 ほら! リック、理事にまで咎められるじゃない。呼ばれたのはきっと、釘を刺すためよね。婚約者がいる、しかも王太子に迫ったりしてないよね? 的な。嫌だ。変な想像をされないように、きっちり否定しておかなくちゃ……。


「身の程は弁えているつもりです。ご心配は不要です。友人として親しくしているだけで……」


「……友人?」


 そしてバウマン公爵は呟いた。


「それは困ったな」




 え?


 今、何て?




「君は、彼を自分のものにしたいわけではないのかな。」


「っ、そんなこと、違います!」


 随分ストレートな物言いに、あたしは思わず面喰らう。


「……なるほど」


 バウマン公爵はつまらなさそうに机上の書類をぱらりとめくった。


「身分の高い男性を伴侶にすることはご両親の幸せにも繋がるということは君もわかっているだろう?」

「それはそうですが、そのためにここにいるわけではありません。勉学に励み、仕事を得たいと考えています」


 バウマンは軽く瞠目し、すぐに表情を戻すと苦笑した。


 そして「王太子に寵愛されるより仕事、ねぇ」というと、机上に目を落とし、パラパラと書類を弄ぶ音を立てた。


「ああ、そうだ。では、王太子が嫌なら私の知人を紹介してあげよう」


 目線をあたしに戻したバウマンは、思いついたように話し始めた。

 何か突拍子もないことを言われたような気がして、あたしは首を傾げる。この人は一体何を言いたいんだろう。あたしは結婚相手を探しに来ているわけではないと言っているのに。


「若い女が好きな知り合いが何人かいてね。若ければ若いほどいいらしいんだ。皆、君より何十歳も年上だが、大層お金持ちでね。きっと不自由はしない。ご両親も喜ぶのではないかな?」


 バウマンは探るような眼であたしを見つめたまま続ける。


「ただ、彼らは家の最奥に君を閉じ込めるだろうから、ご両親には会えなくなってしまうかもしれないがね」


 あたしは思わず、スッと息を飲みこむ。


「……さて、どちらが良いかな? 見目麗しい王太子と、変態の年寄りと」


 と言うと、バウマンはクッと笑った。



 ――待って。


 あたしは呆然としながらも何とか頭を働かせる。


 ――今、どうして、あたしは脅迫されているの……?



「……どうして」

 思わず言葉が漏れる。何が起こっているかが理解できず、言葉を取り繕うことなど忘れてしまっていた。


「いや、君が素直じゃないようだから、協力してあげようと思ってね」

 バウマン公爵はおどけた様子で両手を上げる。


「あたしに、どうしろと言うんですか?」


「私は君が素直になったらいいと思うんだよ。彼の婚約者に嫌がらせをされていることや、君が彼に好意を抱いていることを伝えたら良いのではないかな?」


 そして、バウマンはあたしを見据えて言った。


「いや、()()()()()ではないかな? 君たちの今後のためにも」


 あたしは震えを抑えながら言葉を返す。


「嫌がらせは、アストリッド様ではありません!」


 アストリッドはあたしと顔を合わせたことが殆どない。ヘンドリックと懇意にしていることを咎められたことはただの一度も無いのだ。嫌がらせをするというよりも、寧ろ全くもって無関心のように見える。


 バウマンは頬杖をつき、苦笑しながら言った。


()()、王太子妃が君に嫌がらせをしていると言っているんだ。君はそれに従えばいい」


 バウマンはちらりとあたしを見、それから机上から懐中時計を取り上げた。


「時間だ。授業が始まる。戻りなさい」


 あたしが動けないでいると、授業に遅刻しないよう諫められ、あたしは言われるがままにゆるゆると扉の方へ向かった。

 足がガクガク震えるのを堪えながら、あたしは何とか始業のチャイム前に教室に戻ることができた。



 *****



 いつもの岩場でぼんやりとしていると、遠くの方にヘンドリックが見えた。

 手を上げるヘンドリックに、あたしは力なく頷く。今日はお昼が喉を通らなさそうだと思っていたが、ヘンドリックを前にして益々食欲が減退していくのを感じた。


「……マリア、どうかしたのか? 顔色が良くないな」


 ヘンドリックが顔を曇らせて心配する。


「うん、ちょっと……気分がすぐれなくて」

「大丈夫か? 何かあったのか?」


 ぐっと喉の辺りが締まる。あたしは戸惑いながらも唇を開いた。


「……実は、あたし嫌がらせをされていて。教科書を破かれていたり、机に置いておいたものが捨てられていたり、小さなことなんだけど……」

「えっ……どういうこと?」


 あたしは、いくつかの嫌がらせの内容、それがここ最近続いていること、そして……その一連のことが、もしかしたら彼の婚約者であるアストリッドが関わっているかもしれない、と告げる。ヘンドリックは瞠目し、それから口元に手をやり、考えている様子を見せた。


「アストリッドが……? 彼女は、そんなことをするような人ではないのだが……」


 その言葉は決してあたしを疑うような響きを持ったものではなく、そのことがあたしに罪悪感を与えた。あたしのことを信じてくれている、だが、アストリッドのことも人となりを理解しているのだろう。

 ヘンドリックは眉間にしわを寄せて黙り込んだ。

 その様子をみて、あたしの身体はぎゅっと縮まり息苦しくなる。


 ああ、嘘だと言ってしまおうか。

 そして、さっきのバウマンとの出来事を言ってしまおうか、と思ったその時、ヘンドリックは何かが気になったのか、ふと視線を上に向けた。


 その方角を追うとあの窓があり、そして窓の向こうにバウマンがこちらを見下ろしているのが見えて、あたしはびくりと身体を震わせた。


 ヘンドリックはバウマンを認めると軽く手を上げた。


 そして、バウマンも同じように手を上げて挨拶をすると、スッと部屋の奥へと消えていった。


「リック、……今の、方は?」

 と、あたしは、恐る恐る尋ねた。


「君は知らなかったか。理事のバウマン公爵だよ。彼は僕の伯父だ。国王陛下の王兄ということだね」



 ドクン、と心臓が音を立てた。


 身体の震えが止まらない。



「公爵はもちろん有能な方だったんだけど、父の方が優秀な上人望もあるからって王位継承権を返上したんだ。家臣として国を支えたいって、それで教育分野に……っマリア? どうしたんだ?」



 ヘンドリックには言えない、とわかってしまった。



 話の様子から、ヘンドリックが伯父であるバウマンを敬っている様子が見て取れた。あたしが本当のことを伝えたとしたら……ヘンドリックはどんな顔であたしを見るのだろうか。



 ぽたり、と膝の上で音がした。

 涙が勝手にあたしの頬を濡らしていた。止めることができず、あたしはスカートに落ちる水滴をただ茫然と眺めていた。


「……マリア」


 ヘンドリックは顔をくしゃりと歪めて、涙を流すあたしを抱き寄せる。


「マリア、大丈夫だ」


「君のことは俺が守るから」


 あたしは首を振った。

 ヘンドリックはあたしが嫌がらせを恐れて涙を流しているのだと思っているのだろう。彼があたしを抱き寄せる手にぐっと力が加わる。

 そうじゃない、本当は違う……とは、もう、伝えることができなかった。


 あたしが、あなたの叔父に教唆され、あなたに嘘をつき、あなたの身近にいる罪のない人物を陥れようとしている、などと言えるだろうか。


 そして、恐らく密かにあの窓から見下ろしているであろう、バウマン公爵の視線があたしを突き刺しているのを感じる。あたしを見ているのだ。きっと満足そうに。


 言う通りにするしかない。いま、あたしには味方がいない。

 ヘンドリックを、欺くしか――



 ――マリア、いいかい。お父さんやお母さんだけじゃなく、周りにいる人たちのことも大事にするんだよ。


 ――傷つけたり、嘘をついてはいけないよ。さもなければ――



 幼い頃、おばあちゃんがあたしの頭を撫でながら何度も何度も語りかけた戒めが、思い出されては消えていく。

 そして、消えていく度に、あたしの身体は崩れ落ちそうになる。



 ――誰か、誰か助けて


 あたしは、ヘンドリックの腕の中にいて、声なく叫んだ。




 ――おばあちゃん!




読みに来てくださりありがとうございます!

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