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遅くなってしまって誠に申し訳ありません……

 夜会から三ヶ月程前のその日。


 鐘の音を合図にあたしは立ち上がった。


 昼休み、あたしはいつも通り校舎の奥、裏庭に通じる扉を押し開く。


 草木の緑と密やかに開く花々の色が、その日もあたしの目に飛び込んでくる。文字を追い続けて疲れを感じていた瞳の奥がじんわりと癒されていく。


 あたしは扉の向こうに進み、校舎から離れ、そのまま庭園を進んでいく。校舎の扉の程近く、花々が咲き乱れる付近は、比較的多めにベンチが設置され昼食時は場所の取り合いだ。今日も昼食場所を確保する人で混み合っている。


 ヘンドリックと再会したときは、この付近でサンドイッチを食べていた。それから、なぜかしょっちゅう顔を合わせるようになり、多少の居心地の悪さを感じていた私はちょっとずつ移動してみたり、それでもすぐに見つけられてしまったり……とちまちま移動を繰り返していた。その末にようやく見つけた落ちつきどころに向かう。


 花々より更に少し進むと小さな噴水があり、その噴水を境に花よりも木々などの緑が増えて行く。この付近になるとベンチもほぼ無く人もまばら。その更に奥に進むと少し開けた芝生があり、少し腰かけるくらいなら許されそうな岩場がある。そこはほぼ人が訪れない穴場だ。


 やがてヘンドリックも現れるであろう。ここに落ち着いたときも、結局見つけられてしまったのだ。

 あたしはちらりと時計に目をやる。ヘンドリックが現れるまで、ほんの少し時間がある。この到着時間のずれは、時間と同時に教室を飛び出すことのできる友達の少ないあたしと、取り巻きから逃れながら向かわなければならない王太子との差なのだろう。

 初めの頃はヘンドリックが来るのは気が張るし面倒くさいと思っていたけれど、取り巻きの一部である令嬢達も昼には来ないことだし、彼も一息つける時間なのかなと思うようになった。この昼休みはあたしにとってもヘンドリックにとっても唯一心を癒してくれる大事な時間であるということなのだろう。


 暫し立ち止まり、まるで腰掛けるために誂えたかのような、いつもの平坦な岩に腰掛ける。一面緑の風景を堪能し、染み渡るように心を癒され――ほう、と一息ついた刹那、黒い物体があたしが目に映していた光景を中央から縦に切り裂いた。


「えっ」


 そして黒い「それ」は豊かに成長した植物たちを少しばかり犠牲にした後、地面に打ち付けられた、ように見えた。


「それ」が何なのか確認するために恐る恐る近づくと、その黒い塊は微かに動きを見せる。注意深く見つめると、黒い翼を持つそれ――鴉は、小刻みに羽を震わせて地面に伏していた。

 鴉は大層弱っている様子だった。ただ、地面に強打した様に見えた割には出血なども見られず、怪我は無さそうで安堵する。落下速度は早かったように感じたので、怪我がないのは不思議な話ではあるのだが。

 それよりも気になるのは若干の痙攣。視線があちこちに泳ぎ、前後不覚というか何かに痺れて動きを取れないでいるかのような様子だった。


 ――状態異常? って感じに見える。なんだろうこれ……。


 あたしは立ち上がり歩を進めて、距離は保ちつつも近くにしゃがみ込み、鴉を注意深く観察した。見たところまだ幼く、成鳥ではないように見える。痙攣のせいか動きが鈍く、飛び去りたげに身体を揺らしながらも叶わない様子だ。あたしと目を合わせると、自分のことを放っておいてほしいような、でも救いも求めているような、或いは諦めてでもいるかのような感情をつぶらな瞳に滲ませている。


 ふと、鴉が落ちてきた上方へと視線を向けると、その先には学園の役員室に当たる場所の窓があった。


 たった今あたしが扉を開いた教室棟を出ると、いつも昼食時を過ごす裏庭がある。その先に職員室や校長室、その他役員室などがある別棟が聳え立つ。裏庭は教室棟と別棟の間にあるということだ。

 あたしは、見上げていた役員室の窓から目を離し、弱っている鴉を見下ろす。


「……ねえ、大丈夫?」


 答えを返される訳もないが、あたしは注意深く反応を見た。

 そしてあたしは鴉に声をかけながら、怯えさせないよう、できる限りゆっくりとした動きで鴉に手を近づける。鴉は一瞬警戒するように身動ぎしたが、まだ自身の動きが鈍いことを察し目を閉じた。

 どうやら「どうにでもなれ」と諦めたようだ。


 どうしようかな。

 放っておけないか……


 などと独り言ちると、あたしは周囲の様子を探る。人の気配は無いようだ。ヘンドリックも通常ならもう少し来るまでに時間がある。今なら――



 あたしは更に鴉の方に手を伸ばした。


 目を閉じたまま大人しくしている、黒々とした翼に触れるか触れないところで手を止める。艶やかな漆黒のそれは、地面に叩きつけられたせいで土まみれだ。

 あたしはそっと小さな光を作り出す。そしてそれを膨らませ、それを広げ、ふんわりと薄布を掛けるように鴉の身体に被せる。



 ――これは……雷属性?


 鴉の身体は極々細い糸を紡いだ網のようなもので絡め取られているようだった。そして、この細い糸一本一本にピリッと電気のような振動を感じる。放電に当てられた単なるショックで動けないのではなく、檻で囲われているというのでもなく……電気を帯びた細かいメッシュ状の網のようなものががっちりと鴉を包み、力を失わせている。


 ――こんなの、初めて見た。


 実際には目で見えているのではなく、感じるだけなのだが。


 あたしは被せた光を網に密着させ、(できるかしら)と思いつつ、じわりと網を溶かそうとする。

 ふと気づくと鴉は薄く目を開け、あたしと目を合わせる。何か自身が考えていた状況と違うように考えたのだろう。ただ、どうやらあたしが自分を助けようとしているようだと言うのは理解したようで、その瞳からは先程までの鋭い警戒心が殆どなくなっていた。


 うん、行けそうだ。もうすぐ網は解けるけど、このままもう少し動かないでいて。


 網をあたしの光で変容させ同化した後、そのまま網を利用して癒しの光を行き渡らせる。鴉が怯えることがないように、時間がないながらも出来る限りゆっくりとその身体に浸透させていった。

 暫くすると光が掌に押し戻される感覚を感じ、あたしは「よし」とゆっくり鴉から手を戻していった。


 鴉は甘えたように小さく「クゥ」と鳴き、ゆるゆると身体を起こしてあたしを見上げる。見たところは大丈夫、動けそうだ。よかった。

 そして、何か言いたげな瞳を向けられた。視線を受け止めると、何かふわりと胸のあたりに暖かさを感じた。


 ――あれ? この子、普通の鴉よね……


 あたしは胸に生まれた何かにこそばゆさを感じつつも、不思議な気持ちで鴉を眺める。

 暫くすると、その場に留まるのも得策ではないと判断したようだ。鴉は地面から離れ、名残惜しそうにあたしの頭上を数回旋回した後、飛び去っていった。


 鴉が遠のいて行くのを見届け、あたしはひと仕事終えたような気持ちでほっと一息つく。そしてゆっくり立ち上がる――と、背後で何かが落ちる音がした。


「……聖女様」


 あたしはびくりと肩を揺らす。

 しまった。思ったよりも時間がかかってしまったのか……。


 声のする背後の方へゆっくりと視線を移すと、陽の光を受けた鮮やかな赤毛を輝かせ、滑らかな白い肌にそばかすを散らした少女が、両掌で口元を覆って瞠目していた。足元には昼食らしい包みが転がっている。


 そして、あろうことか――そのすぐ後ろには同じように瞠目してあたしを見据える王太子、ヘンドリックの姿があった。


 イザベラとの出会い。

 そして、ヘンドリックにあたしが癒しの力を持っていたことがバレた瞬間だった。



 *****



「あっ、マリア様!」


 イザベラがあたしを見つけて手を振る。その右手には昼食の包みを携えている。

 あの日以来、彼女も昼食にこの場所を訪れるようになった。


「今日は兄に捕まらなかったので来ちゃいました!」

 と、イザベラは満面の笑みをあたしに向ける。笑顔で引き上げられた頬が紅潮しており、急いできたことが伺われる。


「そんなに急がなくてもよかったのに」

「ええ? ダメです! 兄に見つかったら来れませんから!」


 イザベラの兄は妹であるイザベラのことをかなり溺愛しており、自分の時間が許す限りイザベラと一緒にいようとするそうなのだ。朝の登校はもちろん一緒、昼も可能な限り一緒に食べ――教室まで迎えに来るらしい。それはキツイ――そしてもちろん帰る時も一緒なのだそうだ。危ない目に遭ってはいけないので、帰りは一緒に帰らない選択肢がないのだそうだ。過保護ってこう言うのを言うのよね?


「別にお兄さん一緒でもいいけど」

「ますますダメです! うちの兄、マリア様のこと勝手にライバルだと思ってますから!」


 ……なんだと?


「なんか今、変なこと聞いた気がするんだけど」

「変……ですか? 兄がなぜ最近昼にいないのか尋ねるので、お二人とご一緒しているとお話ししたんです。そうしたら、あろう事かわたくしが殿下に憧れていると勘違いされてしまって!」


 顔を真っ赤にして興奮気味に話しているイザベラの肩越しに、ヘンドリックがやってくるのが見えた。


「キッチリ否定しておきましたわ! わたくしが憧れているのは殿下ではなくマリア様だと!」

 近づいてきたヘンドリックは苦笑いで、拳を握りしめて力説しているイザベラに、「そうだね、君はマリアを心酔しているもんね」と言葉をかけた。突然の語りかけに驚いたイザベラは、昼食の包みを落としそうになり慌てている。


「申し訳ありません! 決してその……殿下を蔑ろにしているわけではなく!」

「大丈夫。君がマリアのことが大好きだということだよね?」

「そうです! 仰る通りです!」

 と、顔を赤くしたままイザベラは素直に答え、ヘンドリックは思わず吹き出している。その様子をくすぐったい気持ちで眺めていると、ハッとした様子でイザベラがあたしの方に向き直り、声の調子を落として言った。


「もちろん、お約束は守っています! 兄にも、秘密は決して漏らしません!」


 秘密とは、先日の鴉を癒した件のことだ。


 あたしは二人に癒しの力を持っている事を知られてしまった後、この事を公にしたくないと口止めをし、了承を得た。

 イザベラは『聖なるお力があるのなら、ご待遇も良くなるでしょうに』と言う。イザベラもあたしと同じ男爵令嬢なので、思うところがあるのだろう。だけどあたしは「今の状況が気に入っているから」と伝えて納得してもらった。


 嘗ておばあちゃんが言っていた言葉が、あたしの頭を掠めた。


「光のことは誰にも言ってはいけないよ」

「怖い人が来てしまうかも知れないからね」


 ヘンドリックは、改めて兄であるアルフレッドに会って欲しいと言うだろうかと思っていたのだが、彼はただ何も言わずに頷いてくれただけだった。

 そして、その何も言われないという事が、返ってあたしの良心を突き続けていた。



 あたしはふと鴉の事を思い出し、鴉が落ちてきた辺り――役員室の窓を見上げた。

 すると、引かれたカーテンの隙間にこちらを見ている痩せた男がいることに気づいた。目が合ったため、小さく会釈をすると、男はにい、と笑って姿を消した。


「マリア様? どうしたんですか? お昼の時間終わっちゃいますよ?」


 あたしは「なんでもないわ」と、2人の近くに腰掛け、昼食の包みを開いた。今日はローストビーフのサンドイッチだ。美味しそうである。



 数日後、あたしはその役員室の窓からこちらを見ていた男――バウマン公爵と、あの窓のある部屋で会うことになる。

読みにきていただきありがとうございます。

長く更新しないでいて本当にすみません。

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