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この日、あたしは王太子ヘンドリックの希望で、彼のパートナーとしてこの夜会に出席していた。
だが、本来ヘンドリックのパートナーは婚約者である公爵令嬢アストリッドだ。ヘンドリックとアストリッドは幼い頃にお互いを婚約者と決められていた。
正確には、元々アストリッドはヘンドリックのお兄様である第一王子のアルフレッドと婚約していたのだけど、不幸なことにアルフレッドは重い病にかかってしまい、今は病床だ。最近ではもう長くはないのではと目されている。
あたしとヘンドリック、そして病床のアルフレッドは実は幼馴染で、小さい頃には定期的に交流があった。
この国の王、ヘンドリックとアルフレッドの父は先進的というか変わった方で、「可能な限り民と触れ合い、その思いを理解することを良しとする」という考えの元、自身の家族が視察と称して市井に潜り込むことを禁止していない。
当然、二人が市井に降りることを承認していた。いや、むしろ推奨と言っていいだろう。
もちろん公にはされていない話だが。
そしてその際に世話役として付き添う役目を仰せつかっていたのがあたしの家だ。
元々平民だった祖母が、功績目覚しいものとして小さな領地と爵位を賜ったとかで、あたしの家は一応男爵家だったりする。
祖母はかつて王宮で働いていて、本当はもっと大きな褒章を賜る予定だったそうなんだけど、身に余るしひっそり暮らしたいという本人の希望で、大半を辞退して最小限にしてもらったんだって。なんかうちのおばあちゃんすごい。
そんなわけで、うちは男爵家なんだけどほぼ末端で、どちらかと言うと商人というか平民に近い生活をしていた。これは祖母の遺言でもある。いつ平民になっても支障がないように賢く生きるように、悪目立ちしないように生きなさいと常々言っていたそうだ。
「目立たずひそやかに暮らしていくことは、決して侘しいことではなく幸せなことなんだよ」
まだ小さかったあたしにおばあちゃんが言った言葉を、今でも思い出す。
祖母は国に対して功績があったのだけど、そのせいでたくさんの苦労もあったそうだ。
だからなのか、祖母は人に会いたがらなかった。
たまに会いたいと来訪者があっても、ほぼ了承されることはなかった。
唯一の例外は、アルフレッドとヘンドリックのお忍びの時くらいで、たまに一緒に来ていた知らないおじさんと部屋でこそこそ話をしていた。今考えると、あれは髪と瞳の色を変えた国王陛下だったのかも知れない、なんて思ってる。
おじさんと祖母が話している間、アルフレッドとヘンドリックをおもてなしするのがあたしの役割だった。
あたしとヘンドリックが無邪気に遊んでいるのを、少し遠くから見守るように佇んでいたアルフレッドを思いだす。その頃はまだアルフレッドに病魔は襲い掛かっていなかった。
誠実で優しく、そして聡いといった印象だったアルフレッドは、無邪気で少し無鉄砲なところのあるヘンドリックとは対照的だった。
もしも健やかであったならば、王太子に相応しいのはアルフレッドであることは間違いない。王としての資質の面でも。
アルフレッドはヘンドリックを可愛がり、あたしのことも妹であるかのように大切にしてくれた。「アル兄」と呼ばせてもらって、とても懐いていた記憶がある。
ヘンドリックも兄を大層慕っていたのである。
アルフレッドが病魔に侵されたことをきっかけに、二人が市井に降りることは途絶えた。彼らの訪れがなく少し寂しくはあったが、幼い頃は目新しい楽しいことが他にもたくさんあるわけで、あたしは緩やかに、脳内にある彼らとの思い出を薄めていった。
そして同じ頃、祖母は天に召されてあたしの元を去ってしまった。
祖母はあたしのことを大層心配し、いつまでも見守っているからと唇を弱々しく動かすと、眠るように息を引き取った。
葬儀は国をあげた大きなものだったらしい。
「らしい」というのは、その大きな葬儀にあたしは出席しなかったからだ。
祖母も生前、慎ましいものにしてほしい、何なら家族だけでいいと言っていたそうだが、祖母にお世話になったとかで貴族が許さなかったそうだ。特に戦いに赴く立場の方々からの要望がとても大きかった。
その時あたしは初めて「おばあちゃんは聖女だった」と知ったのである。
祖母があたしを必要以上に心配していた理由、それはあたしに癒しの力があるという事がわかったからだ。
祖母はあたしが小さな傷を作ってくると、傷を手のひらで覆い、小さな光で包んでくれた。光が止み手が離れると、傷はキレイになくなり、あたしは「おばあちゃんってすごい!」と思ったものだった。
そして祖母は微笑んで「手品みたいでしょう?」というのだ。
あたしがその手品にどんな仕掛けがあるのか何度聞いても、含み笑いをして教えてくれない。なので、幼い頃は本当に「おばあちゃんは手品師なのかも知れない」と思っていたくらいだ。
その仕掛けを知ったのは、奇しくも祖母がベッドから離れなくなってからだ。
今までおばあちゃんはあたしをたくさん癒してくれた。今度はあたしの番だ。そう思ったあたしは、祖母が手品を見せてくれる時の仕草を懸命に思い出し、見よう見まねで光の玉を練ってみた。何度も何度も練習し、ようやく形になった「それ」を思い切って祖母に見せると……驚く一方でスッと顔を青ざめさせた。
喜んでくれるだろうと思っていた当てが外れてしまい、あたしはしょんぼりと俯いた。涙が溢れそうだった。
おばあちゃんを治したかった。せめて、喜んで欲しかったのだ。
そんなあたしの様子を見て、祖母は微笑んだ。
「ばばのために、ありがとうね。触って見てもいいかい?」
と優しく声をかけてくれる。
コクリと頷くと、祖母が光を受け取ろうと緩く丸めた両の手の側面をピタリとつけ、何かを掬い取るように形作った。
あたしは窪んだそこへ、そうっと光を落とす。あたしの「光」が、ふわり、と祖母の両掌へ着地した。
祖母はあたしの光を確かめ、一瞬ハッとする。
「……おばあちゃん?」
「……何でもないよ。これは、ばばがもらってもいいのね?」
あたしが強く頷くと、祖母の掌がゆっくりと光を吸い込んだ。
そして、暫く堪能するかのように目を閉じる。
「優しい光だ。……とても気分が良くなったから、また少し休もうかね」
そう言うと祖母は上掛けを整えて瞼を下ろした。安らかな表情だった。
あたしはその様子を見て、音を立てないように部屋の扉に向かうと、「マリア、ありがとう」と小さな声が聞こえた。
祖母と両親は「光のことは誰にも言ってはいけないよ」と言った。
「怖い人が来てしまうかも知れないからね」と。
子供にとって「怖い人が来てしまう」はかなりのパワーワードで、あたしは暫く「光」のことは封印することにした。
時折、祖母を助けたい一心で作り出したあの小さな光のことを思い出しては、祖母の最期の言葉を思い返す。そして、「もし怖い人が来たとしても、おばあちゃんはあたしを見守ってくれるだろうか」と思うのだ。
それからしばらく平穏な日々を過ごしていたあたしは、入学した王立学園でヘンドリックと再会した。
無事入学試験に通ったあたしは、父様から「昔よく来てたあの二人は王家の方だから。王子様だから。因みに、これから通う学園に弟君の方は在籍してるから。不敬なことをしたら我が家は滅亡するから」と衝撃の内容を告げられた。
そう、あたしは彼らが王族と気づいてはいなかった。
どっかの貴族のおぼっちゃまかなと思ってた……。
ヘンドリックだけでなく、学院には彼の婚約者のアストリッドも入学していて、二人より一つ年下のあたしは彼らの一年後に入学。風の噂で二人は卒業と同時に結婚となると聞き、「ああ、あの男の子が結婚するのねぇ」と感慨深く思ったものだ。
だけど、ヘンドリックは優秀でそつがないアストリッドに微妙な感情を抱いていたようだった。これも噂で聞いたんだけどね。
確かに、二人が学園内で交流といった交流をしているのを見たことがない。
また、かつてはワガママで無鉄砲、でも憎めないガキ大将という印象だった彼は変わってしまっていた。その様子はかつての輝きを抑えつけているかのように、隠しているかのように、あたしには感じられた。
アストリッドは容姿端麗であるだけでなく、学年中順位が片手以下になったことがないほどの才媛、多くの人の憧れの存在だった。王太子であるヘンドリックがかすんでしまうほどだ。
国王陛下でさえ「アストリッドが王太子妃、そしてのちに王妃にさえなれば我が国は確実に安泰だろう」と貴族たちの前で宣ったとも聞いている。
その一方で、王太子としてのヘンドリックの評価は決して低くはないのだが高くもないという微妙なものだった。不敬を承知で言うならば「凡庸」と思われていた。
それは兄であるアルフレッドがアストリッドに負けず劣らず優秀であり、また決断力にも優れ、後の王として期待されてきた存在であり、事あるごとに比較されたことにも起因する。
実際のところ、ヘンドリックは能力がないのではなくアルフレッドやアストリッドが有能すぎるのだ。
ヘンドリックだって学年トップではないながらも順位が二桁になったことはないのだから。
完璧なまでに優秀な兄と婚約者に挟まれ比べられるのだ。あたしでさえ居た堪れない気持ちになる。
病床のアルフレッドはともかくとして、自身の婚約者であり王太子妃であるアストリッドを周囲が褒め称えるほど、ヘンドリックは小さく縮こまり目立たないようになっていった。とはいえ、ヘンドリックは王太子であり貴族らしい優雅な佇まいやその美しさで、目立たないように過ごすと言うことはほぼ不可能なのだけど。
噂を耳にする度に、何だか可哀想だなと思っていた。
当のヘンドリックはすっかり記憶から抜け落ちている下々の者にそんなことを考えられているなんて、思ってもいないだろうけど。
学園に入学し、ようやくその生活に慣れた頃、あたしはヘンドリックに再び出会った。
その日あたしは学園の裏庭、花々が咲き乱れる中にあるベンチでお昼のサンドイッチを頬張っていた。
春ほどではないが、秋の花々が目を楽しませてくれるその庭は、足を踏み入れるといつでも癒しの気で満ち溢れているような気がした。そのせいか、つい心地よくてウトウトしてしまうのだ。お腹が満たされている時だったから、その心地よさは倍増しだった。
目を閉じるまいと眠気と格闘し、まんまと負けそうになっていたあたしは、突然声をかけられた。
「ねえ、君……」
と言う声が聞こえてきて、寝ぼけ眼で頭を上げると、かつての幼馴染がそこに立っていた。
その、見覚えのある金髪の少年は眩しい微笑みをこちらに向けてあたしに尋ねる。
「君、僕のことを覚えてる?」
まだ半覚醒状態で「あれ? 昔の夢を見ているのかな……?」と思いながらあたしは答えた。
「おぼえてるよぉ〜リック……」
そしてあたしはあくびを噛み殺し、目を瞑って小さく伸びをした。
するとククッと小さな笑い声が聞こえてきて……
ーーしまった。
あたしは素早く立ち上がり、頭を低くする。
当然ながら、一気に目が覚めた。
「いいんだ。誰も見てないじゃないか。……久しぶりだね、マリア」
幼馴染の面影を残した金髪、淡いブルーの瞳の王子様は、目を細めて眩しそうにあたしを見た。
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