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残酷な描写があります。苦手な方はご注意ください。

 父様、母様、ごめんなさい。

 まさかこんなことになるなんて思わなかったの。

 あたしはただ、二人を幸せにしたかった。ただそれだけだった。


 でも、だめね。

 やっぱり、誰かを陥れて幸せを掴もうなんて。

 やってはいけないことだったのよね。

 だから、天罰が下ったんだ--


 馬車の扉から投げ出されて宙に浮いたあたしが思ったのは、そんな言葉だった。

 最早、誰にも届くことがない懺悔。


 そしてあたしは落下しながら、ゆっくりと意識を手放した。

 断罪の場で最後に目にした両親の、青ざめた姿を瞼の裏に感じながら……


 ふと、時が止まったかのような感覚があったのだが、それは希望的観測というものだろう。




 --痛い。


 体が痛い。

 どさり、と言う鈍い音が耳に届いたと思ったら、次に訪れた感覚は身体中の痛み、だった。

 なんだかこう、あちこちが痛いのである。頭も肩も背中も、腕や足も。


 ああ、でも、あたし馬車の外へ投げ出されたんだったよね?

 いや、それ以前に……あたしの身体はぼろぼろの傷だらけで、痛みに悲鳴を上げるのも忘れてしまうほどだったっけ。


 あたしが直近で聞いた言葉は確か、


「もうこいついらないだろ? 捨てていいわそこから」


 だった。

 そしてガタゴトと揺れる馬車が一瞬停まって、硬い床に荷物みたいに置かれていたあたしは、扉の向こうに二人がかりで放り出されたんだったわ。


 そうだ、そうだった。

 馬車から地面に投げられたんだもん。そりゃ痛いわ。


 えっ、痛い? ……って、じゃああたし、生きて……る?


 身体中から伝えられる痛みに堪えながら、あたしは思考を巡らせる。

 そして、恐る恐る瞼を持ち上げてみたのだ。



 目の前に見えたのは案の定、床。


 だけど放り出された筈の、石がゴロゴロしてる野路でも荒れ果てた草むらでもなくて、うっとりするほどつやつやに磨き上げられた床に、そこに広げられた見るからに高価そうな重厚なカーペット、そして段、階段……?


 痛む身体をなんとか支えて浮かせ、少し目線を上げてみる。

 目の前の階段を、一段ずつ見上げていく。

 やがてその頂に辿り着くと、キラキラと美しい装飾が施された、ふわりと広がる深海色のドレスの裾、豊かな胸元に施された細密な金糸刺繍……


 そして。


 波打つプラチナゴールドの豊かな髪、陶器のようなアイボリーホワイトの肌、殿方であれば誰もが『守りたい』と考えるであろう儚げな印象でありながら、翠の瞳には意志の強さを宿した美しい令嬢が、酷く青ざめた様子であたしを見下ろしていた。艶やかに色づいた唇がうっすらと開いており、驚き戸惑った様子が窺われる。


 その令嬢と、階段に程近い床に臥しているあたしを、見守るように人々が取り巻いている。


 ーーああ、やっぱりキレイだなぁ……。


 美しい令嬢ーーアストリッドと目が合う。

 絡み合った視線を外すことができず、互いに互いの感情を読み合う。

 それは目を合わせている二人だからこそわかる、密かな腹の探り合いだった。


 青ざめてはいるものの、凛として佇むその姿は見るものを強烈に惹きつけて止まない。

 高位貴族であるというその事実だけでは収まりきれないその威厳は、本人の意図とは無関係にその身に纏われており、圧倒させられる。


 そして利発そうな瞳の輝き。

 学園では常にトップクラスの成績、頭脳明晰、果断な性格で身分の隔てなく人々に接するという。

 で、あるのに、ぱっと見た容姿そのものはおとなしやかな深窓の令嬢なのである。なんなのそれ。めっちゃ嘘っぽい。


 と、思っていた。

 でも……


 ーーこの人には太刀打ちできない。かなわない。


 この場で対峙して、はっきりとそう思ったことを()()()()

 最初から勝負は決まっていたようなものだ。いや、確実に決まっていた。


 湧き上がる『あたしはこの人には勝てない』という思い。

 だけど過去のその時、あたしはその感情に蓋をした。

 負けを認めることはあたしの人生の終わりを意味していたからだ。

 だけど、例え負けをここで認めなかったとしても人生がいきなり終わるであろうことを、あたしはその時知らなかった。

 もう後戻りはできない、その時はそう思っていた。頭が鈍っていたのだ。

 自らの欲望と、報復への恐れで狂わされていたのだ。


 この場面を、確かにあたしは()()()()()


 あたしはこの時、階段の上からあたしを見下ろすこの令嬢を陥れようとしていた。

 アストリッドに突き落とされたことにするために、彼女が立つあの場所から階段をわざと滑り落ちたのだ。


 できるだけ体をかばって落ちたのだけど、そう、あれは痛かったわー……。

 当然ね。今見ても結構な段数じゃん。


 それからこの後、あたしは自分がどうなったかもわかっている。


 そして……ぼろ雑巾みたいな扱いをされて最終的に馬車から落とされるのよ。


 え、待って。そうよね、放り出されたわよね?

 ボロボロの状態であんなところから捨てられたのに……あれって普通は死ぬんじゃない?


 どういうこと? これ。

 どうなったの?

 もしかして、死ぬ前には走馬灯のように生きてきた思い出が流れてくるっていうアレ?

 いや、まさか。


 あたしはふと、床に着いた自身の手に目をやる。


 ……何度も踏みつけられたためにできた無数のアザがない。面白がってナイフで傷つけられた痕もない。爪もちゃんとある……。


 その代わりに、学院の卒業式直前に催されたこの夜会のために、徹底的に磨き上げられた見覚えのある肌がそこにあった。


 ただし、階段から落ちたためにできたアザが右腕にできていた。

 そしてそのアザは()()にも同じ位置にあったものだ……。


 ーー巻き戻ってる?

 そんなことってあるの?


 それとも、今、瞼を開く前のあれは夢だったの?

 落ちて気絶でもして、そのときに見たとか?

 でも恐ろしいほどリアルだったんだけど。

 もしも夢だとしたら……予知夢じゃないでしょうね。そんなの震えるわ。


 身体の痛みと動揺をいなしながら、あたしはなんとか頭を回す。


 もし、

 もしも、

 これが本当に過去に戻ったということなのだとしたら、この後に来るのは確か……。


「マリア!」


 --来た。


 慌てた男性の声があたしを呼ぶ。

 そう、この後あたしの元へやってくるのは--


 身体のどこかで、ぞわりと寒気が這っていく。


 あの手を、取るわけには行かない。

 もうあの未来につながるものは全て断ち切るんだ。

 全て全て、無かったことにするんだ。

 そして無事に学院を卒業して、あたしは父様と母様の元へ戻って、出来るだけ目立たないようにひっそりと暮らすの。


 絶対、あんな風に捨てられたりしない!


 あたしは何とかして起き上がろうとした……のだけど、身体を相当打ったらしく、思うように動かすことができない。特に背中を強く打ったのか、肺がうまく機能しないっていうか上手く息が吸えないのだ。

 唇から微かなひゅう、ひゅう、といった音が漏れる。


 じわりと嫌な汗が背を伝う。

 早く、一刻も早く立たなくちゃ、そう思うのだけど……本当に身体が言うことを聞かないのだ。

 今まさにこちらに向かって走って来ようとしている彼に触れられる前に、起き上がりたい……だけど、その願いを、とうとうあたしの身体は叶えてくれなかった。


 彼、透き通るようなブロンドの髪、淡いブルーの瞳を持つ王太子--ヘンドリックは、すい、とあたしの体を抱き上げ、優しくその身に引き寄せる。そして寒気がするほど低い声であたしに尋ねる。


「……アストリッドか?」


 そしてヘンドリックは階段の上から見下ろしている令嬢を睨みつける。階上の美しい令嬢は青ざめながらも、毅然とした様子でこちらを見下ろしている。


「……わたくしは、何もしていませんわ」

 令嬢--アストリッドはヘンドリックの言葉にきっぱりと否定を返すと、さらりと広げた扇で口元を隠した。


 ヘンドリックは小さく舌打ちすると、労わるような表情であたしを見つめた。


「マリア? 何があったんだ?」

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