7 えっちゃんが仲間になった!
その女(?)は海の底からぽこっと現れた。
キリッとした目つきは怒っているようにも、呆れているようにも、さして興味がないと言った目にも見えた。猛禽類を思わせる鋭い眼光が、俺の心臓を貫いて離さない。
俺はそんな彼女の瞳に映る酷い顔をした自分を見て、ようやく落ち着きを取り戻した。
ごめんやっぱ落ち着いてない。すっぽのけた理性が頭の上を一周して帰ってきたと言うべきか。もう自分でもわけが分からない。
頭を掻き毟しって悩みたいけど、俺の理性はそんなくだらないことやってないでもっと考えるべきことがあるだろっ!、と腕は脳からの信号を拒否する。
そうだ。もっと優先するべきことがある。まずはこの状況をどうにか飲み込まなければ。そして、次に俺はどうするべきなのか―――
「あのー」
「え……あ」
「聞いていやがりますかこの野郎。さっきから何度も質問しているのに間抜けな面して無視とはいい度胸ではねぇですか。えっちゃんの触手であの世行きにしてやりましょうか?もちろん、ここでは快楽”地獄”という意味と快楽”天国”という二つの意味で解釈して貰っても構いませんが」
「っ。あ、いや…………」
俺は対話を試みようとした。―――としたのだ。だが言葉が喉に突っ掛かって出て来ない。口の中にバリアでも張られているみたいに、どうしても口から言葉が零れ落ちない。
あっ、あっ、と口ごもる。赤子にでもなった気分だ。
徐々に目の前の彼女の表情も強張っていく。イラついているようだ。マズイ、非常にマズイ。あの亀たちを一瞬の内に海に沈めたやつだ。この状況で襲われたらまず勝ち目はない。
ピリピリと海水による痛みが増していき思考回路が乱れていく。口を開き呆けた顔をしながらガタガタと瞳が痙攣する。
「おい、君。………聞いてやがりますか。おーい。………あれ、まじで大丈夫ですか?」
「あがっ、……あぁ、っ、あ」
―――――――あ。駄目だこりゃ。
#######
――――夢を見た。
誰が――何の――どんな――誰と――どう――いつ――どこで――どのように――――。
『死んでしまえ』
分からない。ただ見えたのは一筋の光。ズボズボと沈み込む沼のような気持ち悪い空間の中で、水面から入り込む灯り。
『殺せ』
とにかく苦しくて苦しくて、気持ち悪くて気持ち悪くて、痛くて痛くて、熱くて熱くて、不愉快で不愉快で、悲しくて悲しくて―――俺はその光に手を伸ばした。
『何故生きている』
とにかくおおよそこの世の『負の感情』と呼ばれるもの全てをぶち込みぐつぐつに煮込んで腐らせたそんな空間から脱したい。この先へ、光の世界へと足をばたつかせて進む。
『何故存在する』
全身という全身が重い。百キロもある肩パッドをつけて泳いでる気分だ。気持ちが悪い。だがそれももう少し、
『お前は怒りだ』
眼球から血が垂れ落ちる。いつの間にか片腕が消えている。落ちる落ちる落ちていく沈んでいく―――あの光さえあれば――――俺は―――。
『お前は悲しみだ』
邪魔だ。どけ。俺はあの光が必要なんだ、あの光がないと死んでしまう。いや、死すら生ぬるい『何か』に包まれて崩壊してしまう。塵の一辺すら残さずに彼方へと行ってしまう。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
『お前は憂鬱だ』
この薄い水面一枚隔てたところにあれがある。必死であるかも分からない腕を伸ばす。しかし夢は俺をおもちゃのように弄び、あと一歩のところで届かない。何故だ。届かない。クソ、クソ、クソ!速く行かなければ。俺は―――俺は―――儂は―――私は――――
『お前は』
届いた。ようやくここから出れる。出口を発見した洞窟遭難者のように喜びの笑みを浮かべて水面から顔を出す。全身の力を一滴も残さず振り絞って這い上がる。そこには――――
『リュリュナはミオ様のことを愛しています』
炎があった。
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「―――っかは!?」
ビクンっ!と陸に上がった魚のように飛び跳ね起きる。寝ていたはずなのに息が荒い。ガタガタと足が震える。さながら、怖い夢でも見た幼子のようだ。
………実際、怖いかどうかはさておき恐ろしいものを見た。あれは何だったのだ。根っこのねの字から到底理解できない、否、人間が決して理解してはいけないおぞましい何かだった。
思い出すだけで吐き気がする。夢が醒めた今でも全身があの炎に焼き尽くされる感覚を覚える。指先がガタガタと震え、腕に立ち上がる力さえも入らない。
憎悪、嫌悪、怒り、殺意、闘争、絶望。
あらゆる負の感情を煮詰めた脱出不可能な闇鍋に入れられた普通の具材、それがさっきの俺だ。何故こんな夢を見たのか分からない。そもそもあれは何の意味があったのかもすら理解不能だ。
しかも死に物狂いで闇鍋から脱出したと思ったら――――
「――――うっぷ」
思い出せない。最後の最後、俺は何を見たのだろうか。しかし体はそれに対し拒否反応を起こしている。頭痛がして、吐き気がする。ジンジンと頭で響く頭痛は、その夢に対する警報ベルにも聞こえた。
「…………………」
一つだけ言えることがある。あれはきっと鬼神の記憶だ。
夢にしてはリアルで、負の感情で煮込まれるあの感覚は夢ながら実際に体験しているようだった。あんな体験、少なくとも俺の14年余りの人生で一度もない。あってるたまるかってんだ。
これが鬼神の記憶だと、はっきりと言える証拠材料はないが何となく感覚で分かる。何故なら、今の俺と鬼神は文字通り『魂』で繋がった仲なのだ。
もしあれが鬼神の過去に起こった悲劇なのだとしたら、あいつは一体どんな人生を歩んできたんだ?
もし鬼神の意志であれを俺に見せたのなら、何が伝えたかったのだろうか?
考えれば考えるとほどジレンマにハマっていく。鬼神の考えていることが分かんねぇーー!
「…………聞こえてるか。おーい」
「へ?」
「やっと気付きやがりましたか。起き上がって早々、まず最初にやることが周りを無視して考え事とは。ずいぶんと、まぁ」
「……へ?」
ぐるりと首を捻らせ、辺りを見渡す。
どうやら例のカプセル型の船の中のだった。横には心配そうに俺を見つめる包帯を頭に巻いたエルザ。床には大の字に広がって横たわるアキレスと、アキレスに押しつぶされて眠るマーマンの姿があった。
「大丈夫ですか、カツジさん?随分とうなされていたようですけど………何か悪い夢でも?」
「あ………えーと、まぁそんなところかな。心配かけてごめん。………んで、あの後どうなったの?」
「えーと、突然気絶したカツジさんはそのまま海の底へ。そしたら彼女がカツジさんのことを引っ張り上げてくれたんです」
「彼女…………あの人が?」
「命の恩人に対してあの人とは失礼な野郎ですね。ま、いいでしょう。自己紹介としますか。
私の名前はえっちゃん。人間と魚人族のクォーターです。この背中から生えているタコの足は気にしないでください」
えっちゃん、と名乗った少女は背後のタコの足を鞭のようにしならせながら言った。
いや、超気になるわ。
タコの墨のように真っ黒いウェーブのかかった髪は肩辺りまで伸びており、後頭部には大きめのお団子ヘアーが乗っかっている。
眼鏡がとても似合いそうな鋭い目つきは、最初は少々怖かったがよく見るとそこまで怖くない。黒いビキニの上に白い水着パーカーを着ていて、少々目のやり場に困る。
「えーと、えっちゃん………さん?」
「はいえっちゃんです」
「本名?それ」
「んなこたぁはどうでもいいのです。言いたいことがあるのでしょう?海の底へ沈んでいるところを助けて貰った命の恩人に、言うことがあるのでしょーーう?」
目は笑っていなかったが、頬が少し緩むのが見えた。う、うぜぇ………自分で言うか普通。
「…………助けてくれて、どうもありがとう。恩に着るよ」
「よろしい。」
「それで、あんたはどうするんだ。少なくとも、あの亀達を沈めちまったんだ。追い掛けられてもおかしくない」
「別に構わねぇですよ。むしろ、ノコノコとあっち側から来てくれるなんて好都合です。ぐつぐつの亀鍋にしていつも食に困っている知り合いの家族にでも送りつけてやります。おそらく泣いて喜んで食すでしょう」
「調理するだけしてあんたは食べないんかい。てかその家族怖ぇよ。一応知的生命体だよ!?…………多分だけど」
「あのーえっちゃんさん。何かあったんですか?」
エルザが立ち上がって質問する。えっちゃんは「……そうですね」と呟き、話すか否かを決める為の沈黙が生まれる。そして数秒後に、彼女は重い腰を上げ口を開いた。
「………眼鏡」
「「………………??」
「会社設立から約100年以上の歴史をもつ大企業、グラシーズ財閥が設立100周年を記念して作った超スーパーメガレアウルトラレア眼鏡。えっちゃんがあのクソ祖父に媚びってまで手に入れたえっちゃんの宝物。………………を、あいつらに壊されました」
「………………………????」
………………なんて?
超スーパーメガレタうる…………何?レア二回言わなかった?何それ。語彙力壊滅してるし何故に眼鏡だしもしそれが動機だとしても、んなもんを持ち歩いてる方が悪いし。バカジャナイノ。
「許さねぇです。ええ、絶対に許さんぞ虫けらども。えっちゃんの眼鏡を奪った罪は重い。えっちゃんを敵に回したことを後悔させながら、じわじわと嬲り殺しにしてくれるわ」
「たかが眼鏡で何物騒なこと言ってんだよ!エルザも何か言ってやってくれ……!」
「………なるほど。た、多分『メガネ』と言う世界を滅ぼしかねない超重要機密情報なんですよね。えっちゃんさんはそれを取り戻しに来た。あの亀達の科学力は『メガネ』が原因だったわけですかそうですかそうですよねだってそうじゃないとおかしい…………」
エルザだって頭抱えてるじゃん!半ば錯乱してるやん!違うぞエルザ!眼鏡は世界を滅ぼしかねない機密情報なんかじゃないぞ戻ってこい!
「い、一応聞くが何故そんなことに?」
「深海泳いでました」
「うん」
「なんだかよく分からない小っこい人魚が私の目の前を通り過ぎました」
「うん…………うん?」
「珍しいなぁと思い見てたら横からきた亀の船に激突しました。眼鏡壊れました。ぶ っ 殺 す。お分かり?」
「分かんねぇよ。とりあえずあんたが不注意マヌケ野郎ってことしか分かんねぇよ」
「歯ぁ食い縛れ、絞め殺してやりますよ」
「切り刻んでたこ焼きにしてやらぁ!」
「まぁまぁまぁ!二人とも落ち着いてください!ここは一つ、敵の敵は味方ということで。えっちゃんさん、ここは協力しましょう。
私達は乙姫さんの手助けをする。えっちゃんさんはメガネを取り返して世界を救う。その為にはあの亀達と戦わなければなりません。利害関係は一致しています。あの亀達を一瞬の内に沈めたえっちゃんさんがいれば百人力、いや千人力です!どうでしょう?」
エルザは両手を合わせおねだりするような仕草で提案を持ちかける。
確かに、最終地点はどうあれ「亀達を倒す」という点では利害関係が一致している。この水に囲まれた海の上、しかも魚人島は文字通り魚人族のテリトリー。
肺呼吸しかできない俺達にとって水中を自由に移動できる戦力は非常に頼もしい。エルザの言う百人力、千人力だって過言じゃない。
だが彼女が首を縦にふるという保証はない。何故なら彼女にそこまでのメリットがないからだ。
彼女は単体で亀達を文字通り海の藻屑にしてしまう戦闘力を持つ。に、対して俺は陸上でも亀一匹に勝つのにやっとだったし、水中戦では手も足もでない。
つまり、協力したところで彼女の足手まといにしかならないのだ。しかもあちらはただの報復というか逆恨みに対し、こちらは乙姫の王位奪還という複雑な事情が絡む。彼女がそこまで首を突っ込む理由にはなら―――
「あ、おっけー」
「軽っ!?え、いいの!?俺達ただの足手まといだよ!?」
「自慢じゃないのですが、えっちゃんこう見えても行動力はあっても計画性がないのが短所でして。ぶっちゃけここ何処だし状態ですし魚人島って何だよって感じなんです。
なんで、あんたらに案内なりして貰おうついでに訴えられたら罪を全て押しつけようとか思ってたり思わなかったり」
「本音、最後に隠しきれない本音がでてるから」
「まぁそういうわけで、よろしくおねげぇしますよ。精々えっちゃんに利用されてください。大丈夫ですよ、突然裏切ったりとか危害を加えたりとかはしないんで。えっちゃんに二言はありません」
えっちゃんは前に出ると、すっと手を差し伸べた。握手しろ………ということだろうか。いかんせん、信用していいのか悪いのか分からないが――――
「…………よろしく」
俺はその差し伸べられた手を握るしかなかった。
えっちゃん(本名不明)
とあるタコの魚人族の孫であり、魚人族のクォーター。背中からタコの足が生えており、実は第二の口も背中にある。普段は周りに擬態させており景色と同化して見えない。大の眼鏡好きで日課の深海歩きの時もつけている。
「えっちゃんの眼鏡には指先一つ触れさせねぇ、です」




