0 亀と■■■■
昔々、あるところに一匹の亀がいた。
その亀は陸に上がると、近辺に住むクソガキもとい不良達に虐められていた。
『ほら、持ってんだろ?ジャンプしてみろよ』
(この体でジャンプは無理があるって…………)
『ほら速く卵出せよ!あれは取引で高値で売れるんだ。大人しく出せばこれ以上痛めつけるのはやめてやるからよ。おい、聞いてんのか?』
(カツアゲか!)
『おい、こいつ今俺のこと睨んだぞ!』
『生意気な亀公だぜ!このっ、このっ!』
(…………痛い痛い!出ちゃうから!卵じゃなくて口から血が出ちゃうから!ちょ、やめ、やめろぉ!)
亀は必死に心の中で訴えかける。しかし悲しいかな、陸の上では上手く発音ができずに、そのまま殴られ蹴られ、されるがままであった。
苦しい、誰か助けてくれ。
亀がそう願った時だった。
『こら、君達!亀を虐めるんじゃあないぞ!亀は神聖な生き物、この■■■■の前でそのような非道、許しはせぬ!』
『あぁ?なんだおっさん。邪魔だよどっかいけ!』
『そうだそうだ!今時亀を神聖な生き物として崇めるとか古いんだよ!時代は鰐!亀なんかよりもずっと強くてカッコイイんだぞ!』
『何だと!亀には、亀の良さがあるんだ!それを分かろうともせずに愚弄するとは、何事だ!』
『じゃあおっさん亀の良いところ言ってみろよ』
『………………………………えっと、それはだな………えーと』
『えぇ………』
(えぇ………)
『とにかくだ!散れ!どっかいけ!』
『ちっ、ここはとりあえず引くぞ』
『覚えてろよー!』
そしてチンピラ共は捨て台詞を吐いて去って行った。
『大丈夫か?怪我はないか?………おぉ、これは酷いな。すぐに手当てしよう』
(えっ)
その青年は彼の体重の何倍もある亀を涼しい顔で軽々と持ち上げ、家まで運んでいった。
『母さん!何か、血を止めるようなものとか持ってない!?この亀を今すぐにでも助けたいんだ!』
『ふっ。そんなこともあろうかと常に医療機器は携帯している。使いな』
(いや、そんな状況ある?)
青年はその後丁寧に亀の傷ついた体を手当てし、その上傷が治るまで家で面倒まで看てくれた。
亀は思った。
(胡散臭えぇぇぇ)
亀はあまり人間を信用をしていなかった。助けてくれたことは感謝しているが、だからといって100%信頼できる訳じゃない。
心の中では、こいつも私の卵狙いなんじゃないか、とか。下手したら食べられてしまうのでは無いか、とか。決して警戒を緩めることなく、日々を怯えながら過ごした。
襲われた時の対処法も、逃走経路も、できる限りのことを熟考して準備してきた。
しかし、それらは全て無意味に終わった。
彼と、彼の唯一の家族である母親は決して亀を傷つけることなく、丁重に扱ってくれた。少ないお金で亀の為に新鮮な野菜を購入し、薬を買い、身の回りの世話もして貰った。
亀は深い罪悪感を覚えた。嫌々するのでもなく、ゲスな考えを持つのでもなく、ただ『元気になって欲しい』。その一心だけでここまで尽くしてくれたのだ。
あの二人の家族の笑顔は、日の光が届かない海に暮らす亀にとって眩しすぎた。
『さ、海にお帰り。今度は虐められないようにするんだぞ』
(……………………)
ここまでしてくれたのに、こちらからは何も返せない。そんなのは嫌だ。そう思い亀は勇気を出して声を発した。
『私を助けてくれてありがとう。お礼として、君を我らが城に招待しよう』
『……………???????』
亀は戸惑う青年を、説明が何となく面倒くさかったので省きそのままらchi、連れて行った。
海に入ると、浮力や水圧は感じないのにひんやりとした感触はしっかりと青年の体を包み込んだ。
美しい珊瑚礁、生き生きとした魚達、水面から差し込む太陽の光はまるで純白のカーテンのよう。まるでこの世の物とは思えない幻想的な光景は、青年の脳裏に焦げるほど焼き付いた。
何もかもに胸が躍った。これから起こることが何かは検討もつかないが、きっと自分の期待を大いに上回ることだろう。
青年は最初は戸惑いつつも、徐々にこの現状に慣れてきた。更にいえば、陸にいる友人や唯一の家族である母すら忘れるほどに夢うつつだった。
『あれが我らが城、竜宮城だ。きっと君を喜んでもてなしてくれるだろう』
『これが………竜宮城………』
見たことも聞いたこともない独特なフォルムの城は、ひとりでに開くドアによって青年を招き入れた。門兵のような人に亀は事情を話す。
撃退用の武器などは何一つ持っていないが、恐らくは門兵さんだろう。青年は気にしないことにした。
妙な鉄箱によって、上か下かは分からないが階を進む。ドアを開き、部屋の奥へと亀に誘われる。
そこには、この世の人間とは思えない美貌を兼ね備えた少女がいた。他の人達は彼女に平服し、亀も微妙だが頭を下げていた。
『私の配下を助けてくれてありがとうございます。今日一日、我らはあなたに極楽をお与えしましょう』
『……………まじすか』
少女はニコっと笑いそう言った。
そこからは何もかもが新鮮で、刺激的で、愉快で、夢のようで、淡く儚いまさに『極楽』の時間だった。
初めての酒の味に興奮した。初めての美味しいお肉に感動した。熱すぎるくらいのスープは心も体も温まった。魚達の舞は息を呑むほど素晴らしかった。
そして、楽しい時間はあっという間に過ぎる。
『そろそろ帰らなければ。母が待っているのでね』
『では最後に、手土産を』
『手土産?』
『こちらの玉手箱を。これは、あなたの願いを叶えてくれる箱です。ですが、決して安易に使ってはいけません。あなたが心からそれを願う時、箱は応えてくれるでしょう』
『んー。何だかよく分からないけど、余程じゃない限り使うなってことだろ?分かった。約束するよ』
『はい。では、さようなら』
そして帰りも亀の背中にのって、青年は陸へと帰って行った。
『帰ってきたぁ。何だか何年も海にいた気分だよ。素晴らしいお返しをくれてありがとう』
亀は「どういたしまして」と頷いた。
『さぁて家に帰ろうかな。にしても、あそこの木ってあんなに大きかったっけか?ま、いいや』
上機嫌な足取りで家に向かう。母にこの話をしたくてしたくて溜まらなかった青年はいつの間にか走り出していた。
――――しかし、そこには懐かしの家なぞまるで最初から無かったかのように消え去っていた。跡形もなく、儚く消える泡のように。
青年は目を疑った。
青年は動揺しながらも、近くを通りすがった老人に家のことを尋ねた。
『そこの老人!ここに、ここに家がなかったか!?古臭くて、小さくて、でもそこに私……イケメンで誠実で人間の鑑みたいな青年とその母親が住んでいたはずなんだ!』
『は?家?………あー、そういえば5年くらい前にあったな、そんな家。けどもう取り壊されたよ。…………確かに一人の婆さんが住んでたよ。何でも、亀を海に帰しに行ったっきり戻ってこなくなった息子の帰りを一人で何年も待っていたそうだ』
『――――――は―――?』
『その婆さんはもっと前に死んじまったが、息子の帰る場所をとっておいて欲しいって言うから5年前まで壊されなかったが、息子は一向に帰ってこないし壊していっか!………てな感じで、今はここに何もないよ』
『……………………』
『にしても兄ちゃん………何だか見たことある顔だな………何だったか。少なくとも、良い思い出じゃなかった気がするな』
青年はその後辺りを走り回った。しかし青年を覚えておる者は一人としておらず、母親は皆口を揃えて死んだと言った。
走り回った途中で、青年は見慣れない光景を度々見かけた。同じ場所のはずなのに、昔遊んだ光景のはずなのに、母と思い出を作った場所のはずなのに。
―――――はずなのに。
『何故、なんだ』
青年は絶望した。
誰も青年のことを知らない。覚えていない。唯一の肉親である母は死んだ。青年の帰りを、ずっと信じて待っていた。
『なのに、私はあの場所で……』
のうのうと、夢を見ていた。許せない。母を裏切ってしまった自分が許せない。この無限のように湧いてくる怒りは何処へぶつければいい?
頭が砂浜のように真っ白くなって、廃人のように何も考えられなくなっていた。数時間前に青年を覆っていたひんやりとした優しい冷たさではなく、もはや言い表すことが度し難い『何か』の寒さが体を凍てつかせた。
『……………』
『………君か。まだ陸にいたのかい?』
『……………』
『なんでこんなことになってると思う?私が、何をしたというんだ』
『…………』
亀は何も言わなかった。ただただ青年を傍観するだけだった。
所詮は亀。人の悲しみなど分かるはずもないか、と青年はらしくない解釈をし半ば諦めていた。ガクリ、突然足に力が抜けて膝が折れる。
カタン、と何かが懐から落ちる音がした。
あの少女から貰った箱だった。
『………なんでも、願いを叶える箱だったか………』
もう、何でもいい。
この孤独から、世界に置いてかれ、独りぼっちになった自分を助けてくれるなら。何だっていい。誰でもいい。なんなら、自分が消えてもいい。
この苦しみから解放されるなら、何でも――――。
そして、青年は手を箱へと伸ばした。
―――それを亀は何も言わずに、ただただ黙って見てることしかできなかった。




